第40話 逃れられない糾弾※イザベラ視点

 まだ続く眩しい光と轟音。窓ガラス越しに、赤や青、金色の光が会場を照らし続けている。


「花火、か?」


 誰かが呟いた。低く、落ち着いた声だった。


 そう、そうよ。花火よ。私が用意しておいたサプライズ。会場の襲撃なんかじゃない。


「花火だ。庭園の方角から上がっている」


 別の貴族が、冷静に状況を説明する声が聞こえてきた。


「窓を確認しろ。ガラスは無事か」

「装飾が落ちている。怪我人はいないか」


 あれは、軍人貴族の者たちだろうか。次々と指示を出し、周囲に声をかけていく。彼らの落ち着いた態度が、パニックを起こしていた貴族たちに伝わっていく。


「花火か。そうか、驚いたな」

「なるほど。襲撃ではないのだな」


 状況を把握した貴族たちが、少しずつ落ち着きを取り戻していく。肩で息をしていた貴婦人たちも、胸に手を当てて深呼吸をしている。


 ああ、よかった。一瞬、安堵が胸を過ぎる。膝から力が抜けそうになった。


 でも、すぐに新しい恐怖が襲ってきた。


 会場の装飾は、ぐちゃぐちゃに崩れている。壁際に飾っていた華やかな花のアレンジメントが、床に散乱していた。テーブルクロスは乱れ、椅子はいくつも倒れている。窓ガラスは割れていないけど、振動で落ちたグラスや食器が床で砕けている。キラキラと光る破片が、絨毯の上に散らばっていた。


 参加者たちは周囲を見回し、何人かの医者が数名の貴族の手当てをしている。転倒した時の打撲や擦り傷だろう。血が滲んでいる腕を押さえている貴婦人もいる。幸い大けがをした人はいないようだけど、それでも軽傷者は多数いた。


「花火だったのか」

「驚かせるな。心臓が止まるかと思った」

「だが、こんなタイミングと場所で、事前告知なしとは」


 参加者たちの不満の声が、会場に響く。最初は小さな囁きだったそれが、徐々に大きくなっていく。


「非常識すぎる!」

「一体誰が指示したんだ。参加者に何も告げずに花火を打ち上げるなど!」

「怪我人まで出ているではないか!」


 そんな声が聞こえてくる。花火は、私が用意した参加者たちに向けての特別なサプライズだった。庭園の特別ステージから見る予定だった。夜空を彩る美しい花火を、参加者全員で楽しむはずだったのに。


 でも、予定と違ったから。まだ参加者を特別ステージに誘導していなかったのに。なんで今、打ち上がったのよ。担当者は、ちゃんと指示を守るべきだったのに。


 やっぱり私は、悪くないでしょ。予定外だったのよ。私の指示通りにやっていれば、こんなことにはならなかったのに。


 そう思うけれど、喉が渇く。心臓が早鐘を打っている。この状況を、どうやって収めるのか。どうすればいいのか、わからない。


「もしかして、これもパーティーの演出の一つのつもり、だったのかしら?」


 小声で囁く声が聞こえた。若い貴婦人の声だった。


「まさか、こんなことをするのに事前に知らせないなんて」

「ありえないわ。非常識すぎる。怪我人まで出ているのよ」

「前回も、新しいアイデアだと言って会場内に用意した噴水が暴走したそうだが」

「ああ、聞いた。あの時も、大変だったらしいわね」


 参加者たちの目が、私に向けられていることに気づいた。疑いの目。非難の目。冷たい視線が、四方八方から突き刺さってくる。


 なんで私を、そんな目で見るの?


 私は、悪くないのに。予定外だったのに。今回こそ特別なサプライズは、成功するはずだったのに。ちゃんと準備したのに。担当者が勝手に早く打ち上げただけなのに。


「本当に、イザベラ嬢が主催したパーティーなのか?」

「前回は無難だったと聞いたが」

「今回なんか、特に酷すぎるだろう」


 非難の声が、波のように押し寄せてくる。


 ロデリックはどこ? 助けてほしい。私は、アナタの婚約者でしょう。何か言ってよ。


 彼と視線が合う。


 でも、彼は冷たく目を逸らした。何も言わず、ただ黙って私から顔を背けた。


 え、なんで。なんで、助けてくれないの。


「前回よりずっと酷い」

「これが、本当の実力なのでは」

「前回が『無難』だったのは、誰かの助けがあったからではないか」


 そんな囁きが、針のように私の心に突き刺さる。


 違う。私は、頑張ったのよ。ちゃんと準備したのよ。何度も何度も計画書を見直して、スタッフに指示を出して、全力でやったのよ。


 お姉様の計画書を参考にして、私なりに改良して、完璧な計画書を作ったのに。


 なのに、なんで。


 なんで、こんなことになるのよ。私は、間違ってない。私のせいじゃない。




 人混みの中からゆったりとした動きで、一人の年配の貴婦人が前に出てきた。


 銀色の髪を優雅に結い上げ、深い青のドレスを纏っている。胸元には、ウィンザーフィールド公爵家の紋章が光っている。マーガレット・ウィンザーフィールド公爵未亡人。社交界の女王とも呼ばれる、重鎮中の重鎮。


 その公爵未亡人が、私の前に立った。堂々とした足取りで、真っ直ぐに私を見つめながら。


 場が、静まり返る。


 私の心臓が、跳ね上がる。


「イザベラ嬢」


 低く、丁寧な口調。だけど、全く温かみのない声。氷のように冷たい声だった。


「一つ、お伺いしたいのですが」


 周囲が、私たちに注目している。視線が痛い。逃げたい。でも、動けない。


 逃げられない。


「っ! 何でしょうか?」


 声が震えそうになるが、動揺を悟られたくない。必死に抑えた声で問いかける。できるだけ落ち着いているように見せようと、背筋を伸ばす。


 公爵未亡人は、私の目をじっと見つめた。鋭い眼光。まるで、心の奥まで見透かされているような気がする。


「この前、ある噂が流れましたわね」


 噂。嫌な予感が、背筋を駆け上がる。何を言おうとしているのか。


「忘れてしまいましたか? セラフィナ嬢が、妹であるあなたから、パーティー運営のアイデアを盗んだという噂ですわ」

「っ!」


 そう言われて、私は凍りつく。止めようとしても、声を出せない。早く止めないと。


「ですが、本日のパーティーを拝見させてもらい、疑問に思ったのです」


 やめて。それ以上、言わないで。お願い。


「本当に、あの噂は真実だったのでしょうか?」


 指摘されて、頭の中が真っ白になる。


「お答えください、イザベラ嬢」


 公爵未亡人の声が、静まり返った会場に響く。重く、厳かな声。


「噂の真実は、逆だったのではありませんか?」

「そんな、ことは……」


 ようやく出てきた言葉。だが、喉が詰まって続きを言えない。違うんだと。


「セラフィナ嬢の功績を、あなたが奪おうとしたのではなくて?」


 違う。違う、違う、違う! そんなの、違うわ。私は、悪くない。お姉様が、私のアイデアを盗んだのよ。私が被害者なのよ。


「ち、違うわっ!」


 ようやく出た声が裏返った。大きすぎる声が、会場に響く。


 周囲がざわめく。視線が、一斉に私に突き刺さる。疑いの目、非難の目、軽蔑の目。


 違う、違うのよ。信じて。お願い。

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