第34話 もう気にならない、過去の人
それから私は、軍人貴族だけでなく文官貴族もお招きするパーティーの準備に取り掛かった。
最も重要なのは、招待客の選定だ。
書斎の大きなテーブルに、貴族の名簿を広げる。マキシミリアン様、アルバート、そしてリーベンフェルト家の執事たちにも協力していただき、招待客を一人ずつ慎重に検討していく。
まず、これまで小規模なパーティーを開催した際に参加してくださった方々は、必ずお招きする。既に新しいスタイルに慣れていただいているし、好意的な反応もいただいている。その方々が中心にいてくださることで、初めて参加される方々も安心できるはずだ。
そして、文官貴族に関して。
私がヴァンデルディング公爵家にいた頃に関係を構築した方々に、今回の招待状をお送りする予定だった。
あの婚約破棄の騒動の後に、残念ながら関係が切れてしまった方もいらっしゃる。それは仕方のないことだった。噂を信じた人たちを、私は責めるつもりはない。
あの時、私は特に反論したりしなかったから。色々とタイミングを逃して、そのままリーベンフェルト侯爵家に来ることになった。その後も、やはり様々な事情があって、反論する機会を持てなかった。それで、残念ながら疎遠になってしまった方々もいらっしゃる。
でも、まだ関係を続けてくださっている方々もいる。
その方々の社交界での影響力は、決して侮れない。長年の経験と人脈を持ち、社交界の動向に大きな影響を与える方々だ。
「この方々なら、興味を持って参加してくださると思います」
私は、候補者に印をつけながら説明する。
一人ずつ、その方の性格や好み、社交界での立ち位置を考えながら選んでいく。ただ招待するのではなく、この新しい試みを理解し、評価してくださる可能性のある方々を。
軍人貴族と文官貴族、およそ半数ずつ招く。これまでの規模と比べて、三倍ほどになる予定だった。
招待状の文面も文官貴族向けと軍人貴族向けで、少しずつ表現を変える。
軍人貴族の皆様には、実質的な内容を明確に。何をするのか、どのような趣旨なのかを、わかりやすく伝える。
用意した数種類の文面を、テーブルの上に並べて見せた。
内容は同じでも、言葉の選び方、文章のリズム、装飾の度合いが微妙に異なる。それぞれを尊重しながら、同じメッセージを伝えるための工夫をしてある。
「細かいところまで、よく考えているな」
マキシミリアン様が文面を一つ一つ確認しながら、感心したように言ってくださった。
「招待状は、パーティーへの第一印象を決める大切なものですから」
「なるほど。確かにその通りだ」
マキシミリアン様が頷かれる。
そう思いながら、私たちは一緒に招待状の文面の推敲を続けた。この言葉はもう少し柔らかくした方がいいか。この表現は堅すぎないか。一文字、一語に至るまで、丁寧に検討していく。
パーティーの準備が佳境に入ったある日のこと。私が書斎で当日のスケジュールについて確認していると、アルバートが入ってきた。
「セラフィナ様、少々よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
私はスケジュール表から目を上げた。
「文官貴族の方々への招待状ですが、こちらの文面で最終確認をお願いしたいのですが」
「わかったわ」
私は受け取った文面に目を通し始めた。確認していると、アルバートは少しの間を置いてから、何気ない調子で言った。
「そういえば……最近、社交界で少々話題になっていることがありまして」
「話題?」
私は招待状を見ながら、軽く返事をした。
「ヴァンデルディング家のパーティーで、少々トラブルがあったとか」
私の手が、一瞬だけ止まった。でも、すぐに動き出す。
「そうなの?」
自分の声は、いつも通り平坦だった。過去に関わりのあった家ね。ただそれだけの印象だった。驚きも、動揺も、そこにはなかった。
詳しい話を聞いてみると、それは少し前の出来事らしい。そして、妹のイザベラが関わっているのだとか。しばらく社交界から疎遠になっていた私は、その事件を知らなかった。
「なんでも、パーティーの最中に噴水が暴走したとか……」
「噴水が、暴走?」
私は招待状の確認の手を止めて、顔を上げた。
噴水が暴走。その言葉を頭の中で反芻してみたが、よくわからなかった。何がどうして、そんなことになったのか。暴走したというのは、一体どういう状況なのだろう。
「大丈夫だったの? 怪我人とか」
私はそう尋ねた。パーティーの参加者に怪我人が出たとなれば、それは大変なことだ。
「怪我人はいなかったようです。ただ、ドレスの損傷など、物的な被害を受けた方が多数おられたとか」
「そう。それは、災難ね」
私はそう言って、また招待状の文面に目を戻した。
この表現は、もう少し丁寧にした方がいいかもしれない。文官貴族の方々には、より洗練された言葉遣いが好まれる。特にこの部分は、パーティーの趣旨を説明する重要な箇所だから。
私はペンを取り、文面の一部に修正を加え始めた。
アルバートは、私の様子を静かに見守っていた。そして、報告を終えた彼は、静かに部屋を出て行った。
私は招待状の推敲を続けた。イザベラのパーティーがどうなったかは、もう私には関係のないことだ。今は、自分のやるべきことに集中しなければ。
しばらくして、ドアが再びノックされた。
「セラフィナ」
マキシミリアン様だった。今度のパーティーに関しての確認かしら。
「少し、聞きたいことがあるんだが」
「はい、なんでしょうか?」
私は席を立ち、ソファの方へと移動した。マキシミリアン様も一緒に移動され、向かい合って座る。
「アルバートから聞いたんだが」
「何をでしょうか?」
「ヴァンデルディング家のパーティーの話だ」
さっき私も聞いた、その件かと軽く頷く。
「私も聞きました。噴水の件ですね」
マキシミリアン様は少し間を置いてから、静かに尋ねられた。
「君の妹が関わっているらしいが、気になるか?」
「いいえ、特には」
即座に答えた。その言葉は、本心だった。
おそらく、マキシミリアン様は私のことを気遣って、わざわざ確認しに来てくださったのだろう。婚約破棄の件も知っていらっしゃるから、それで私の心情を心配してくださったのだと思う。
マキシミリアン様が、私の目をじっと見つめられた。嘘を言っていないかどうか。強がっていないか、確かめるように。
私は静かに微笑んだ。
「本当よ。今はもう、気にならないわ」
「そうか」
いつもより少し砕けた口調で、本心であることを伝える。マキシミリアン様が納得したように、静かに頷いてくださった。
元婚約相手であるロデリックのこと。イザベラのこと。
血の繋がる妹ではあったけれど、今はそれより自分たちのことの方が大事。こっちの準備を進めていかないと。
前は気にしていたこともあった。婚約破棄の直後も、やっぱり複雑な気持ちもあった。でも、リーベンフェルト家に来て、マキシミリアン様やご家族と過ごす中で、その気持ちは消えていった。
離れたからこそ、彼女のことを落ち着いて放っておける。
イザベラに対して、怒りや悲しみ、嫉妬などはなかった。もう関係ない人。そういう感じである。それが、今の私の正直な気持ちだった。
とにかく今は、目の前のパーティーを成功させるために全力を注ぎたい。
「この招待状、これでいいと思います。どうでしょうか?」
私は、最終確認を終えた招待状の文面を、マキシミリアン様にお見せした。
「ああ、完璧だな」
マキシミリアン様が満足そうに頷かれた。
「招待状を送る手続きを進めようか」
「はい、お願いします」
承認を得て手続きが始まった。次は、返事を待つ段階だ。
招待状を送ってから数日後。
返事が届き始めた。
最初は軍人貴族からだった。
「喜んで参加させていただきます」
「楽しみにしております」
ほとんどの方が、快く承諾してくださった。小規模パーティーに参加してくださった方々は、皆様参加を表明してくださった。それだけでも、心強い。
そして、文官貴族の方々からも。
「ご招待いただき、光栄です」
「新しい試みと伺い、大変興味があります」
「ぜひ、参加させていただきたく」
一通、また一通と、参加の返事が届く。
正直に言えば、不安があった。招待を拒否されたらどうしよう。例の噂の件で、参加を断る人が多かったらどうしようかと。そのせいで新しい試みが失敗してしまったらと思うと、不安だった。マキシミリアン様やリーベンフェルト家の皆様の期待に応えられなかったら。
でも、その不安は杞憂だった。
予想していた以上に、多くの方が参加を承諾してくださった。文官貴族の方々も、軍人貴族の方々も。招待した方の多くが参加を表明してくださっている。
自分の目で確かめてもらう機会を得た。
実際のパーティーを見ていただける。新しいスタイルを、直接体験していただける。そうなれば、自信はある。
「気合を入れて、準備を進めましょう」
私は決意を新たにした。
期待に応えなければ。
文官貴族の方々も、軍人貴族の方々も、誰もが心から楽しめるパーティーを。両方の文化を尊重し、融合させた、新しいスタイルのパーティーを。
私は返事の束を、大切に机の上に置いた。一通一通が、楽しみにされている証だ。その期待に応えたい。
さあ、本番に向けて。
装飾の手配、料理の選定、音楽の手配、スタッフへの指示。やるべきことは山ほどある。でも、一つ一つ丁寧に。今まで積み重ねてきたものを信じて。
最後の準備を、進めていきましょう。
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