第21話 違った価値観

「セラフィナ、こちらへ」

「はい」


 マキシミリアン様が移動して、会場の一角に集まっている人々に声をかけた。軍服姿の男性たちが、五、六人ほど。皆、がっしりとした体格で、軍人らしい引き締まった雰囲気を纏っている。


 私も、彼と一緒にその輪に加わる。近づくにつれて、彼らの会話が聞こえてきた。大きな声で、遠慮なく。文官貴族のパーティーでは考えられない音量。でも、不快ではない。むしろ、活気があって心地よい。


「やあ、リーベンフェルト。よく来てくれた」


 髭を蓄えた男性が、マキシミリアン様の肩を叩いた。その仕草は、本当に親しい友人同士のもの。


「久しぶりだな、マキシミリアン。王宮での仕事は相変わらず忙しいか?」


 別の男性が、気さくに話しかける。文官貴族のパーティーならば、もっと形式的な挨拶から始まるところ。でも、ここでは違う。いきなり本題に入る。


 軍人たちが、マキシミリアン様を歓迎する。堅苦しい挨拶ではなく、親しい友人を迎えるような、温かい雰囲気。肩を叩き合い、握手を交わして、互いの無事を確認し合う。


 そして、私の方にも視線を向けてきた。興味深そうに、でも威圧的ではなく。値踏みするような冷たさもない。ただ、純粋な関心。


「その娘が、噂の婚約者か」

「初めまして。アルトヴェール家のセラフィナと申します。現在はリーベンフェルト侯爵家に身を寄せております」


 私は丁寧に挨拶をした。背筋を伸ばして、社交界で培った完璧な礼儀作法で。すると、彼らは温かく笑顔を向けてくれた。


「おお、礼儀正しい」


 まるで珍しいものを見たかのように、感心したように頷いた。


「ようこそ、セラフィナ嬢。リーベンフェルトの婚約者なら、我々の仲間だな」

「遠慮せずに、楽しんでいってくれ」


 彼らは快く迎え入れてくれた。本心で歓迎してくれている。その温かさが、ストレートに伝わってくる。文官貴族のような、計算された社交辞令ではない。素直な好意。


 この違いが、新鮮だった。文官貴族のパーティーでは、言葉の裏を読むことが常に必要だった。「ようこそ」と言われても、それが本心なのか、義務なのか、それとも何か別の意図があるのか、会話の駆け引きで常に考えなければならなかった。


 でも、ここでは違う。言葉が、そのままの意味で届いてくる。シンプルで、わかりやすい。


 会話に混ぜてもらい、お話する。彼らの話題は、主に軍の話だった。


「先日の演習では、第三部隊の動きが素晴らしかったな」

「ああ、あれは見事だった。包囲の陣形が完璧だった。若い士官たちも、よく訓練されている」

「次の北方巡察には、誰が行くんだ? そろそろ雪が降り始める時期だろう」

「俺の部隊が行くことになっている。準備は万端だ。防寒装備も、食料も、全て整えてある」


 戦術の話、部隊の話、訓練の話。兵站の話、気候の話、敵の動向の話。文官貴族のパーティーでは、絶対に聞かない話題。あちらでは、芸術や文学、最新の流行、宮廷の噂話。そういうことが話題の中心だった。どの貴族が誰と婚約するか、どの令嬢のドレスが素敵だったか、どの音楽家の演奏が素晴らしかったか。


 軍人貴族と文官貴族。おそらく、こういう内容の違いが大きいのでしょうね。同じ『貴族』でも、関心事が全く違う。価値観が違う。大切にするものが違う。


 どちらが正しいということはない。ただ、違うだけ。それを理解しなければ。


 しばらく話を聞いていると、一人の軍人が少し照れくさそうに私の方を向いた。四十代ぐらいの、温厚そうな顔立ちの男性。


「セラフィナ嬢は、社交界で名を馳せておられたとか」


 少し遠慮がちに尋ねてきた。その声には、敬意が込められていた。


「いえ、そこまでは……」


 謙遜しようとすると、マキシミリアン様が横から口を挟んだ。


「謙遜する必要はない。君の実力は、誰もが認めるところだ」


 その言葉に、少し顔が熱くなる。マキシミリアン様が、人前で私を褒めてくれる。それが嬉しくて、でも恥ずかしくて。


「実は」


 軍人の男性が、さらに照れくさそうに続けた。


「娘がもうすぐ社交界デビューするのだが、何か助言をいただけないだろうか。私には、そういうことが全く分からなくてな。娘も不安がっていて、どうしたものかと」


 その不器用な父親の姿に、私は思わず微笑んだ。大柄で屈強な軍人が、娘のことになると途端に心配そうな表情を浮かべる。その姿が、とても微笑ましい。


「もちろんです。何でもお聞きください」

「本当か! 助かる」


 彼が嬉しそうに顔を綻ばせる。


「実は、ドレスの色をどう選べばいいのか、まったく見当がつかなくてな。妻に任せておけばいいと思ったのだが、娘が『お父様の意見も聞きたい』と言うものだから」

「それは素敵ですね」


 私は、心から微笑んだ。


「お嬢様の髪の色や瞳の色、それから肌の色調によって、似合う色は変わってきます。それから、デビューの季節も大事ですね。春なら柔らかいパステルカラー、秋なら深みのある色合いが好まれると思います」


 私は、できるだけわかりやすく説明しようと心がけた。


「なるほど、なるほど」


 彼は真剣な表情で、私の言葉一つ一つに頷いている。メモを取り出して、必死に書き留めている姿が、なんとも言えず温かい。


「それから、初めてのパーティーでは、あまり派手すぎない方が好印象です。上品で清楚な印象を与える色合いが良いでしょう。淡いピンクや、柔らかいブルー、クリーム色などが無難ですね」

「なるほど、淡いピンク……柔らかいブルー……」


 彼が一生懸命メモを取る姿を見て、周りの軍人たちも微笑んでいる。


「ロバート、お前、娘には甘いからな」

「うるさい。娘を大事にすることは、父親として当然だろう。お前だって、娘が生まれたら同じようになるさ」

「ははは、そうかもしれないな」


 軽口を叩き合いながらも、その表情は温かい。互いを尊重し、互いの幸せを喜ぶ。そういう関係。


「セラフィナ嬢、本当にありがとうございます」


 ロバートと呼ばれた軍人が、深々と頭を下げた。


「いえ、お役に立てたなら嬉しいです。もし、他にも何か困ったことがあれば、いつでもお聞きください。お嬢様の社交界デビューが、素敵なものになりますように」


 彼らとの会話を経て、気づいた。


 華やかな装飾がなくても、洗練された料理がなくても、ここには、温かい繋がりがある。それこそが、彼らの大切にしているものなのだ。


 家族を思う気持ち。仲間を信頼する心。素直に喜び、素直に感謝する。計算や駆け引きではなく、真っ直ぐな感情。そういうものが、この場所には溢れている。


 彼らのお話を聞きながら、私は会場のスタッフの動きも観察していた。すると、そこにも気づいたことがあった。


 料理の提供タイミングが、実は絶妙だった。


 会話が途切れそうな瞬間。話題が一段落して、次の話に移る前の、わずかな沈黙。あるいは、誰かが席を立とうとした時。そのタイミングを見計らって、さりげなく新しい料理が運ばれてくる。


 スタッフの動きは淀みなく、参加者の邪魔をしない。会話を遮ることもなく、視界を横切ることもなく。まるで影のように、でも確実に仕事をこなしている。


 文官貴族のパーティーでも、スタッフは目立たないように、でも優雅に動く。ある意味、パフォーマンスの一部として。給仕する姿そのものが、パーティーの演出の一部として見られる。美しく、優雅に動くことが好まれる。


 ここも、文官貴族のパーティーとは違うのね。完全に、参加者のためだけに動いている。見せるためではなく、支えるために。参加者が快適に過ごせるように、全力でサポートしている。


 見た目の派手さはなくても、運営の質は決して低くない。いや、むしろ、ある意味では、より高度かもしれない。参加者の様子を常に観察して、必要なタイミングを完璧に見極めている。


 やっぱり、これは「文化が遅れている」のではない。


 「異なる価値観」なのだ。


 軍人たちが求めるもの――


 見栄えより実質。形式的な美しさより、実際の快適さ。


 形式より信頼。堅苦しい作法より、心からの交流。


 序列より実力。肩書きではなく、実際の功績を評価する。


 派手さより居心地の良さ。目を引く装飾より、心地よい空間。華やかな雰囲気より、リラックスできる環境。


 そういうものを、彼らは大切にしている。文官貴族とは違った価値観で、パーティーを楽しんでいる。

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