第6話 衝突
悠太から採取した骨髄液を調べた結果、彼の病名は再生不良性貧血と判明した。『再生不良性貧血』とは、骨髄の機能が著しく低下し、赤血球・白血球・血小板のすべてが作れなくなる造血機能不全の病気である。
血液内科でのチームカンファレンスで、白井は悠太の再生不良性貧血の治療方針に免疫抑制療法を第一候補として提案した。
「悠太君の今回のケースは、骨髄検査の結果からしても『再生不良性貧血』と見てまず間違いないと思います。次に治療アプローチの方ですが、私は免疫抑制療法を強く推奨します」
一般的に再生不良性貧血の治療には、造血幹細胞移植と免疫抑制療法の二種類が考えられる。しかし、白井はリスクを可能な限り排除した方法として免疫抑制療法を選択した。カンファレンスでは白井の方針に異を唱える者も無く、淡々と話し合いは進められた。
翌日、白井は悠太の両親に対し悠太の今後の治療方針についての説明をした。
「……以上が現時点での悠太君の治療方針になりますが、何か質問はありますか?」
「質問と云われましても、専門用語が多くて、私達には何をどう訊けばいいのかもわからない状態でして……」
「専門用語がわかりませんか。例えば、どんな用語がわかりませんか? 云っていただければ解説しますが」
「どんなって……いや、いいです。私達は先生を全面的に信頼していますので、悠太の治療に関しては全て白井先生にお任せします。なっ、恵」
「そうです。どうぞ悠太の事を、よろしくお願いします!」
「了解しました。我々も全力を尽くしますので、どうぞご安心ください」
和也と恵は、白井と固い握手を交わした後に白井の診察室を後にした。その後ろを三人の話を胸のランプを点滅させながらずっと静かに聞いていたアークが、ゆっくりと追いかけていった。
* * *
『和也さん、わたしに提案があるのですが』
白井の診察室から悠太の病室に戻るすがら、突然和也の背後からアークが話しかけた。
「うわっ、びっくりした! なんだアーク、どうしたんだ突然」
アークと和也がやりとりをする時には、大抵和也の言葉にアークが返すのが普通であった。今回のようにアークから彼に話しかける事など今までに無かったので、和也は驚いていた。
『先程の白井医師の悠太さんの治療方針ですが、わたしには、あの方法がベストな治療法であるとはとても思えません。悠太さんの治療に対する最適解は、他に存在します』
「なんだって!」
アークにそんな事を聴かされた和也はもちろん驚いたが、その和也よりも先に恵の方がアークの言葉に強く反応していた。
「アーク、それどういう事なのっ! 悠太の治療の最適解って、いったい何なのよっ!」
それが悠太の治療に関する事だと知り、アークの肩を揺するようにして詰め寄る恵にアークが自ら導き出した『最適解』を語り始めた。
『AIのデータ解析では、悠太さんの年齢であれば【免疫抑制療法】より【造血幹細胞移植】の治療方針を選択するべきです。なぜならば、この方法は患者の年齢が若く全身状態が良いほど成功率が高く完治の可能性も高いからです。
国内外の治療データでは、12歳以下で適合ドナーがいる場合、造血幹細胞移植の5年生存率は免疫抑制療法よりおよそ15%高く、再発率も低い傾向が報告されています』
「なんだと! それ本当か、アークッ。そんな方法があるなら、ぜひ白井先生に云って……」
『おそらく、白井医師はすでにその方法をご存じだと思います。それでいてなお且つ【免疫抑制療法】を選択するという事は、白井医師か、あるいはこの病院の環境にそれが出来ない原因があるのだと推察されます。わたしは、この問題を解決する為にセカンドオピニオンの実施及び他病院への転院を提案します』
「転院……」
アークの思いもよらない提案に、和也と恵は無言で顔を見合わせた。
「さすがに、転院っていうのは云い難いな。べつにこの病院で医療過誤があったわけでもないのに」
「そうね、白井先生はいい先生みたいだし……でも、アークの云う事も気になるわ」
結局、夜になってマンションに帰っても二人の話題はその事に終始し、その結果この話を白井に相談する事で結論付けた。
* * *
「そうですか。アークがそんな事を……」
翌日、和也と恵は白井の診察室に赴き彼にアークから提案された内容を話して、それに対する白井の判断を仰いだ。
「すみません。この間は『全面的にお任せする』なんて云っておきながら、こんな事を……」
「いえ、構いません。疑問があればいつでも私に仰ってください」
橋本夫妻の相談を受け、白井は今回の治療方針について、語り出した。
「確かに、アークの云う事にも一理あります。さすがは最先端のAIが導き出した答えと云うべきかもしれません。しかし、造血幹細胞移植という方法を取らなかったのは、なにも病院の環境のせいだとか、ましてや私自身が理由ではありません。
まず、移植にはドナーが必要です。悠太君にご兄弟のドナーがいれば成功率は高いですが、骨髄バンクだと適合する骨髄細胞を探すのに時間がかかります。さらに移植には合併症リスクが常に伴います。悠太君はまだ12歳です。
医者として、命の重さに優劣を付けるのは適切ではないのかもしれませんが、それでも高齢者の命よりも12歳の命は何倍も重いと云わざるを得ません。リスクは可能な限り避けたい。……それが私が免疫抑制療法を選んだ理由です」
説明を終えた後、白井は和也と恵の顔を見つめ、穏やかに微笑んだ。
「いや、なにも知らないで大変失礼な事を云いました! 本当に申し訳ありません」
和也は白井に深々と頭を下げ、恵もそれに倣った。そして、診察室を出た和也は不機嫌そうな表情で悠太の病室へと向かった。
「あっ、お父さん、お母さん!」
『こんにちは、和也さん、恵さん』
悠太の病室に来た和也は挨拶もほどほどに、アークに対し、
「まったく、アークのおかげでとんだ大恥をかいちゃったよ!」
和也は、先程白井から聞いた話をそのままアークに伝えた。
『そうですか。白井医師がそう云ったのですね』
「そうだよ。アークが云ってた方法はリスクがあるの!」
『リスクはどんな治療法にもあります。しかし、移植が成功すれば完治する可能性も高いです』
「あああっ! ああ云えばこう云うし、まったく口の減らないロボットだな! 君は。とにかく、セカンドオピニオンも転院もしないから。俺達は白井先生を信じるの!」
『わかりました。和也さん達がそれでいいのなら、わたしも従います。差し出がましいことを云って申し訳ありませんでした』
和也に謝ったあと、アークは胸のランプを細かく点滅させながら急に黙り込んでしまった。この時、
(12月8日(月)AM6:12 第7話につづく)
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