星灯りの小姫

鹿乃きゅうり

Caput I : Amica Stellae(星の友だち)

Sub noctis velo, stellae susurrant.

Puella aurea manu lumen colligit.

(夜の帳の下で、星々はささやく。

金の髪の少女が、掌に光を集める。)


──────────


「ねえ、今夜の星は――くすぐったそうに笑っているみたい」


ルナリア王国は、月と夜を愛する国。

人々は昼の営みを終えると、夕暮れを合図に庭へ出て星を仰ぎ、灯火のもとで語らい合うことを楽しみにしていました。

夜会はその象徴であり、楽の音と笑い声に包まれた宴は、王国にとって欠かせぬ喜びのひとつとなっていたのです。


華やぎの中心は、いつも王都ソルミナでした。

きらびやかな灯が幾重にも重なり、通りには香り高い花々と人々の声が満ち、夜が訪れるたびに街そのものがひとつの大きな舞台のように輝いています。

けれどその北東には、湖や森を抱え、星と月の光に守られる穏やかな土地が広がっていました。


その一角に領地を構えるのがルミニス伯爵家。

湖を望む高台に建つ別邸には、星の光を抱き込むように造られた温室がありました。

天窓から注ぐ光が夜をそのまま招き入れ、星を間近に感じさせています。


そこに佇む姫君が一人おりました。

名を、セレスティアと言います。


淡い金色の髪は月明かりに照らされると透きとおり、星明かりに溶けこむように輝いていました。

その姿にふさわしく、セレスティアは幼いころから星を友だちと感じ、語りかけることを何よりの喜びにしていたのです。


掌に淡い光をすくいながら、彼女は夜空に瞬く星々へと微笑みかけました。


「今日はどんなお話をしてくれるの?」


声は小さく、秘密を打ち明けるように柔らかく響きます。

群青に沈む夜空からは幾つもの星が瞬き始め、ガラス越しの光は宝石のよう。

風に揺れる草花が、その輝きを抱きとめていました。


「あの小さな星……ちょっと拗ねているみたい。隣にいた星が見えなくなったから、寂しいのね」


瞬きが揺れた気がして、彼女は微笑みました。

「でも大丈夫。すぐに戻ってくるわ。だから泣かないで」


やがて隣の星が顔をのぞかせると、セレスティアはうれしそうに囁きます。

「ほら、仲直りできた。よかったわ」


今度は別の星がきらりと光ります。

「あなたは歌を歌いたいの? いいわ、一緒に歌いましょう。でも、わたし、歌は苦手なの……笑わないでね」


耳を澄ませば、竪琴のような調べが夜の静けさに混じったように思えました。


ひときわ明るく輝く星がありました。

「まぁ……そんなに胸を張って。まるで王さまみたい。でもね、もう十分立派なの。無理をしなくても、あなたの光はみんなに届いているわ」


星はひときわ強く瞬き、返事をするようでした。


ふと、かすかに震える小さな光が目にとまります。

「そんなに心細いの? 大丈夫。怖がらなくてもいいのよ。ちゃんとわたしが隣にいるから」


その光は少し落ち着いたように揺れ、セレスティアの言葉を受けとめたのでした。


星は笑い、拗ね、歌い、誇らしげに胸を張り、時には不安をこぼしました。

けれどそのひとつ残らずが、セレスティアのやさしい声に応えていたのです。


「ねぇ、ちょっと聞いて。今日はね、退屈でつまらなかったの」

セレスティアは胸に手を当て、夜空に微笑みかけました。

「昼のあいだ、誰ともおしゃべりできなかったけれど……こうして夜になると、あなたたちが話し相手になってくれるわ」


星は瞬き、応えるようにきらめきました。


そして別の方向には、小さな冠のような星の集まり。

「王冠をなくした星さま……きっと仲間の星たちに探してもらっているのね」


星々のきらめきは物語を紡ぐように広がり、

セレスティアはそれを絵本の続きを聞く子どものように楽しんでいました。



「また星と話しているのか、セレスティア」


声をかけてきたのは兄のカシアン。

穏やかな気質と落ち着いた物腰を備えた彼は、領主である父のもとで学びながら、妹を気遣う優しい兄でもありました。


「遊んでるんじゃないわ。星はちゃんと、わたしたちを見ているの」

セレスティアは胸を張るように言いました。


「あぁ……確かに、星はいつもそこにあるな」

カシアンは小さく笑い、妹の髪にそっと手を置きます。


「兄さまは、星にお願いをしたことはある?」

セレスティアが目を輝かせて尋ねます。


「昔はな。お前が真似をしてくれと言うから、一緒に数えて願いをかけたものだ」

カシアンは懐かしそうに目を細めました。


「そうだったわね。……わたし、あのときお願いごとを秘密にしたけれど、今もちゃんと覚えているの」

セレスティアは小さく笑い、胸の内で願いをそっと抱きしめました。


「兄さまは、今はもう願いをしないの?」

「俺は願うより、目の前のものを守るほうが性に合っている」

カシアンはそう言って、妹の頭を軽く撫でました。

「お前の願いを叶えるのは、きっと俺の役目だ」


二人の間に流れるのは静かなぬくもり。

セレスティアが星を見つめるとき、カシアンは必ずといっていいほど傍らで見守っていたのです。


「兄さま。もしもわたしが星と一緒に歩ける日が来たら、楽しいと思わない?」


「星と一緒に、か。……お前なら本当にそうなる気もするな」

カシアンの瞳はただ優しく、否定の影をひとつも宿してはいませんでした。



セレスティアの胸に、幼い日の記憶がふっと浮かびます。


まだ小さかったころ、夜更けに庭へ抜け出したことがありました。

散らばる星を見上げ、両手を伸ばして「一緒に遊びたい」とつぶやいたとき。

背後から父の声がしたのです。


『星は逃げない。けれど、お前が安心するなら、好きなだけ見ていなさい』


そのとき抱き上げられた腕の温もり。

父の衣に染みついたインクの香り。胸に響く声の低さ。

大きな手が背を支え、心ごと包みこんでくれる感覚。

そのすべてが幼い心を深く安心させました。


母もまた、やさしく微笑んで言いました。


『セレス、夜は星に挨拶してから眠るのですよ』


母はカーテンを閉めるとき、必ず一緒に星へ手を振らせました。

ときに子守歌を口ずさみながら。


――きらめく星よ どうか眠りを見守って

  やすらぎの夜を 静かに届けて――

――きらめく星よ わが子を抱いて

  明日の夢へ やさしく運んで――


短い歌でしたが、幼いセレスティアには宝物のようでした。


「はい」と布団にくるまりながら答える自分の声。

その温かな記憶は、今も彼女の胸を静かに満たしています。


父母に見守られた記憶と、今こうして兄が傍にいてくれる安心。

星に語りかけるとき、セレスティアは決してひとりではないのだと感じられるのでした。


記憶の余韻は胸の奥に静かに灯りを残し、彼女は再び目前の星空へと視線を戻します。

そこには変わらず、夜を彩る光が静かに瞬いていました。



温室を包む空気は少し冷たく、それでいて澄みきった静けさ。

カシアンは妹の肩にそっと外套をかけます。


「風邪をひく。……だが、もう少しだけなら」


「ありがとう、兄さま」

セレスティアは笑顔で礼を言い、再び夜空を仰ぎました。


窓硝子には二人の姿が映り、背後に並んで座る影はまるで星座のひとつのように寄り添っていました。

セレスティアが瞬きに囁くたび、カシアンは横目で妹を見やり、言葉を選ぶように口を閉ざします。

からかうこともせず、ただ静かに耳を傾けている――その姿は、彼女にとって星々と同じくらい心強い存在でした。


やがて温室を包む夜気がわずかに揺れ、灯火が花弁に影を落としました。

セレスティアはその光景にも微笑み、そっと小声でつぶやきます。


「……ほら、花たちまで星と一緒におしゃべりしているみたい」


窓の外に、新たに瞬き出した星々。

まるで彼女の言葉に応えるかのように。


「おやすみなさい。また明日も、遊んでね」


「……俺も言ったほうがいいのか?」

カシアンが小さく笑うと、セレスティアはうれしそうに頷きました。


「もちろんよ。星は兄さまの声だって待っているの」


カシアンは一度だけ夜空を仰ぎ、小さな声で囁きました。


「おやすみ。……セレスを、頼む」


囁きは夜に溶け、セレスティアはその横顔を見上げて微笑みました。

二人を見守る星は、確かにやさしく瞬いていたのです。

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