第25話

美味しい海鮮丼で満たされた4人は、神威岬の先端を目指して歩き始めた。

潮風が心地よく、空はどこまでも青い。

けれど——しばらく歩くと、運動不足の倉田と三浦が徐々にペースを落とし始めた。


「……ちょっと、坂きつくない?」


「……昼寝したい……」


そんなふたりをよそに、澪と夏海は軽やかに先を進んでいた。

すると、道の途中に古びた門が現れた。


女人禁制——


澪が立ち止まり、眉をひそめる。


「なにこれ、うちら入れないじゃん!」


夏海は、門の横に立てられた案内板を見ながら、落ち着いた声で答えた。


「大丈夫ですよ。これは昔の話で、女性がこの地に入ると舟が難破するって言われてたそうです」


「へ〜……夏海ちゃん、物知り〜」


夏海は、少し照れながら指をさした。


「いや……看板に書いてます」


その言葉に、澪は吹き出した。


「素直でよろしい!」


倉田と三浦もようやく追いつき、門の前で息を整えながら言った。


「……昔の人、迷信すごいな」


「でも、こういうのって、旅っぽくていいよな」


門の向こうには、さらに続く岬の道。

風が吹き抜け、波の音が遠くから響いていた。


4人は、笑いながらその門をくぐった。

歴史を越えて、今を歩く——

そんな旅の一歩が、静かに刻まれていた。


4人は、ついに神威岬の先端に辿り着いた。

風が強く、潮の香りが濃くなる。

目の前に広がるのは——言葉を失うほどの絶景だった。


「……すごい……綺麗……」


澪が思わず声を漏らす。

日本海の透き通る青さと、空の白と青のグラデーション。

その境界線は、まるで絵の具で描いたようにくっきりと美しかった。


遠くに、細く尖った岩が海から突き出していた。


「あの細い岩はなに?」


澪が指をさして尋ねると、夏海が静かに答えた。


「あれは……蝋燭岩って言うそうです」


「蝋燭岩?」


「はい。そう呼ばれていて……逸話もあるそうです」


「へ〜……やっぱ夏海ちゃん、物知りじゃん!」


夏海は、少し照れながら指をさした。


「……いえ、それも看板に書いてます」


その素直な返答に、また澪は吹き出した。


「正直でよろしい!」


倉田と三浦も笑いながら、蝋燭岩の方へ目を向けた。


風が吹き抜ける。

波が岩にぶつかり、白いしぶきが舞う。


この場所に立つだけで——

何かを乗り越えてきたような気がした。


夏海は、そっと目を閉じて風を感じた。

頬の痛みはまだ少し残っていたけれど——

それ以上に、心が澄み渡っていた。


元々は、2泊3日の予定だったキャンプ。

けれど、思いがけない出来事が重なり、予定は大きく変更された。


その日の夕方——


夏海は倉田と一緒に、自宅の玄関の前に立っていた。


「……ほんとに、大丈夫ですよ?」


夏海が心配そうに言うと、倉田は静かに首を振った。


「いや……責任もあるから、ちゃんと説明しないと」


「……そう、ですか」


夏海は、少しだけ深呼吸をして、いつものように玄関を開けた。


「ただいまー」


その声に反応して、いつもなら母が出てくるはずだった。 けれど——今回は違った。


「……夏海、おかえり」


玄関に立っていたのは、父だった。


「……お父さん、ただいま」


夏海は少し驚きながらも、笑顔を見せた。


「紹介するね。会社でお世話になってる……倉田さん」


倉田は、深く頭を下げた。


「初めまして。倉田です」


その瞬間—— 父の目が、夏海の顔に向けられた。


「……その顔、どうした!?」


怒ったような声。

空気が一瞬、張り詰めた。


倉田は、すぐに前に出て、深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした!!」

「娘さんがケガをするようなことになってしまって…。」


倉田はその経緯を隠さず話した…。


その声は、真摯で、揺るぎなかった。


父は、しばらく黙っていた。

そして——静かに言った。


「……そうか。それは……娘が迷惑をかけました」

「あがっていきなさい…もう少しキミと話しがしたい。」

「は、はい!」


怒るのかと思っていた。

けれど、その声は、どこか優しかった。


(……お父さん)


倉田は、すこし緊張した感じでリビングへと入った。


「私、お茶を入れてくるね……」


夏海はそう言って、そっとキッチンへと向かった。

湯を沸かす音が静かに響く。

その背中には、少しの緊張と、少しの安堵が混ざっていた。


そのとき—— 玄関の方から、ドアの開く音がした。


「ただいま〜。買い物袋、重かったわ……」


母が帰ってきた。

表に車が止まっているのを見て、誰か来ていることに気づいたようだった。


「……誰かと思ったら……」


倉田はすぐに立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「はじめまして。倉田です。夏海さんには、会社でお世話になっております」


その声に、キッチンから夏海が顔を出した。


「お母さん、おかえり……」


母は、笑顔で返そうとしたが—— 夏海の顔を見て、すぐに表情を変えた。


「……あら、その顔……どうしたの!?」


夏海は、思わず笑ってしまった。


「あー……あはは……」


照れくささと、ちょっとした気まずさがあった。


母は、少し驚きながらも、倉田に目を向けた。


「……お話、聞かせてもらえるかしら?」


倉田は、静かに頷いた。


「はい。すべて、きちんとご説明させていただきます」



夏海は、湯気の立つ湯呑みを丁寧に配り終えると、倉田の隣にちょこんと座った。 その動作には、少しの緊張と、少しの覚悟が滲んでいた。


「あの…お父さん…。」

「こんな形で紹介したくなかったんだけど……」


夏海は、改まって倉田の方を見て、そして父に向き直った。


「いま、私は倉田さんと……お付き合いしてます。 どうか、温かく見守っていて欲しいです」


部屋の空気が、少しだけ張り詰めた。

父は、驚いたようだったが—— すぐに、静かに頷いた。


「そうか…倉田くん。娘を、よろしくお願いします」


倉田は、深く頭を下げた。


「……はい」


その一言に、すべての誠意が込められていた。


母は、にこやかに言った。


「倉田さん、ご飯食べていきなさいな。ちょうど煮物もできてるし」


夏海は立ち上がりながら、笑顔で言った。


「私も手伝うね」


キッチンへ向かうその背中には、少しの照れと、少しの誇らしさがあった。


リビングには、父と倉田が残された。

男同士の静かな会話が始まろうとしていた。


それは、未来を迎えるための—— 小さな儀式のようだった。




第26話につづく…。

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