第14話
北海道に帰って、二度目の春が来た。
雪解けの水が道端を流れ、柔らかな風が頬を撫でる。
桜の蕾がふくらみ始め、街は少しずつ色を取り戻していた。
お父さんはすっかり元気になり、職場に復帰して忙しく働いている。
お母さんは、相変わらず家事をテキパキとこなしながら、
時折、夏海の好物を作ってくれる。
そして、夏海自身も—— 新しい仕事に就いていた。
何社か面談を重ねた末に、運送業の事務職に落ち着いた。
電話対応、伝票整理、ドライバーとの連携。
慌ただしいけれど、どこか心地よい日々。
気持ちも、すっかり落ち着いていた。
時々、過去のことを思い出すことはある。
でも、不安になることはもうない。
そして—— この職場で、夏海は良い出会いをした。
倉田亮さん。
ふたつ年上の男性。
大柄で、声も低くて、最初は少し怖い印象だった。
でも、倉田さんは優しかった。
誰にでも分け隔てなく接し、困っている人にはすぐに手を差し伸べる。
冗談を言って場を和ませることもあれば、黙って誰かの
荷物を持ってあげることもある。
ある日、夏海が伝票のミスで落ち込んでいたとき—— 倉田さんは、そっと声をかけてきた。
「大丈夫。誰だって最初は間違えるよ。俺なんて、初日にトラックの鍵なくしたからね」
その言葉に、夏海は思わず笑ってしまった。
そして、少しずつ——心が惹かれていった。
春の風が、また新しい季節を運んできた。
それは、過去を包み込むような優しさと、
未来を見つめる静かな力を持っていた。
ある日…。
倉田さんが事故に巻き込まれた…。
うしろから追突されて軽いケガをした ケガはたいしたことなかったが
大事をとって2週間ほど入院をした。
夏海は倉田さんのお見舞いに病院へ向かった。
コンコン—— 病室のドアをノックすると、すぐに声が返ってきた。
「どうぞ!」
夏海は、そっとドアを開けた。
白いカーテンが揺れ、消毒液の匂いが鼻をくすぐる。
ベッドの上で、倉田は驚いた顔をした。
「な、夏海ちゃん!?」
その声は、少しだけ裏返っていた。
夏海は思わず笑ってしまった。
普段の落ち着いたトーンとは違って、どこか照れくさそうだった。
「お見舞いに来ました。びっくりしましたよ、事故なんて……」
夏海は、手に持っていた紙袋を差し出した。
「これ、差し入れです・・・。」
中には、倉田さんの好きだと言っていた焼き菓子と、読みやすい文庫本が入っていた。
「ありがとう……でも、ほんとに軽傷だから。
ちょっと大げさに入院してるだけでさ」
倉田さんは、頭をかきながら笑った。
腕には包帯が巻かれていたけれど、顔色は良かった。
「でも、来てくれて嬉しいよ。
まさか夏海ちゃんが来てくれるなんて思ってなかったから」
その言葉に、夏海は少しだけ頬を赤らめた。
「……来たかったんです。心配だったし」
病室の窓からは、春の光が差し込んでいた。
白いシーツの上に、柔らかな影が落ちている。
ふたりの間に流れる空気は、いつもより少しだけ近かった。
言葉にしなくても、伝わるものがあった。
「じゃあ、しばらく話していってくれる?」
「はい。今日は時間ありますから」
夏海は椅子に腰を下ろし、倉田の顔を見た。
その笑顔に、心がふっとほどけていくのを感じた。
白い部屋の中で、春のぬくもりが静かに満ちていった。
時計の針は午後5時を指していた。
夏海は時計をチラリと見て少し寂しそうに…。
「そろそろ帰りますね」
夏海が立ち上がりながらそう言うと、病室の空気が少しだけ静かになった。
窓の外では、夕暮れの光が白いカーテンを淡く染めていた。
倉田は、ベッドの上で少し身を起こしながら—— 照れくさそうに、でも確かに心を込めて言った。
「ありがとうね……夏海ちゃん」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
ぎこちなくも感謝を伝えようとしているのがわかった。
夏海は、微笑んだ。
「いえ、早く元気になってくださいね」
ふたりの間に流れる空気は、言葉以上のものを含んでいた。
それは、信頼の芽のようなもの。
まだ小さくて、まだ不確かだけれど—— 確かに、そこに根を張り始めていた。
ドアの前で振り返ると、倉田が手を振っていた。
その仕草が、なんだか少し照れくさくて、少し嬉しくて—— 夏海は、静かに病室をあとにした。
廊下の先には、春の夜風が待っていた。
その風は、どこか優しくて、どこか新しい。
倉田は、予定通り2週間で退院した。
病院の玄関前で、春の風がそっと吹いていた。
包帯も取れ、少し痩せたように見えたけれど、表情は明るかった。
夏海は、玄関のベンチで待っていた。
倉田が姿を見せると、思わず立ち上がって駆け寄った。
「無事に退院できてよかったです。ほんと、安心しました」
そう言うと、倉田さんは少し照れくさそうに笑って——
「え…夏海ちゃん!?来てくれたんだありがとう。」
その声は、病室で聞いたときよりもずっと力強くて、あたたかかった。
「これからは、無理しないでくださいね。ちゃんと休みながら働いてください」
「うん、そうする。……でも、夏海ちゃんが心配してくれるなら、ちょっとくらい無理してもいいかもな」
「それはダメです」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
その笑いの中には、言葉にしなくても伝わる何かがあった。
空は、少しずつ春の青に染まり始めていた。
退院の日の空は、どこか新しい始まりの色をしていた。
第15話に続く…。
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