第13話
「もういいんだ……私は……」
そう自分に言い聞かせながら、夏海は駅に向かっていた。
トランクの持ち手を握る手に、少しだけ力が入る。
北海道に帰る——それは、逃げではなく、選び直すこと。
でもその前に、どうしても立ち寄りたい場所があった。
風花—— あのカフェの扉を、夏海は静かに押した。
店内には、いつもの香りが漂っていた。
コーヒーと焼き菓子の甘い匂い。
そして、マスターの穏やかな背中。
「……いらっしゃい」
カウンターの奥から、マスターが顔を上げた。
夏海の姿を見て、少しだけ目を細める。
「マスター…いろいろありがとうね…。」
そう言った夏海の目には涙が溢れていた…。
マスターは何も言わずにいつものミルクティーを用意してくれた。
夏海は、カウンター席に腰を下ろした。
その静けさが、夏海にはありがたかった。
「……今日、北海道に帰るの。もう、こっちには戻らないと思う」
マスターは、手を止めずに頷いた。
「そうかい…。」
カップから立ちのぼる湯気が、まるで優しい手のように夏海を包んだ。
「……ありがとう。ここに来て、よかった」
「またいつでも戻っておいで。風花は、いつでも開いてるよ」
その言葉に、夏海は少しだけ涙ぐんだ。
でも、もう泣かなかった。
泣き尽くしたから。
そして、前を向くと決めたから。
風花の扉を出るとき、夏海は振り返らなかった。
その背中には、静かな決意が宿っていた。
マスターに別れを伝え夏海は駅に向かった…。
航空チケットは最終便に空きがあったので取ることができた。
そしてまた来た道引き返す…電車、モノレールと乗り継ぎ 空港に着いた。
搭乗時刻まではまだ時間があった。
空港のロビーは、この時間でも結構人がいた…。
照明の光が床に柔らかく反射している。
夏海は、トランクを引きながら空港内のカフェを見つけた。
(そういえば……朝から何も食べてない)
急に、お腹が空いていることに気づいた。
心が張り詰めていたせいで、空腹さえ忘れていた。
店内は落ち着いた雰囲気で、木目調のテーブルが並んでいた。
カウンターの奥では、スタッフが静かにコーヒーを淹れている。
夏海は、窓際の席に腰を下ろした。
トランクを足元に置き、メニューを開く。
(あたたかいもの……)
選んだのは、スープパスタのセット。 そして、カフェラテ。
注文を終えると、ふっと肩の力が抜けた。
空港という場所は、出発と到着が交差する場所。
でも今の夏海には、別れの場所のように感じられた。
料理が運ばれてくると、湯気がふわりと立ちのぼった。
スプーンを口に運ぶと、トマトの酸味と野菜の甘みが広がる。
(……おいしい)
そのひと口が、張り詰めていた心を少しだけほどいてくれた。
窓の外では、滑走路の灯りが点滅していた。
飛行機がゆっくりと動き出す様子が見える。
夏海は、カフェラテを両手で包みながら、静かに思った。
(もう、戻らなくていいんだ)
その言葉は、悲しみではなく—— 少しだけ、安らぎを含んでいた。
食事を終え、夏海は搭乗手続きに向かって歩き出した。
空港ロビーの照明が、彼女の影を長く引き伸ばしていた。
トランクのキャスターが静かに床を滑る音だけが、耳に残る。
そのとき——スマホが再び鳴った。
画面に表示された名前を見て、夏海は一瞬立ち止まった。
出るべきか、出ないべきか。
迷った末に、指先が画面に触れた。
「……もしもし?」
“夏海……どこにいるんだよ?”
その声は、焦りと不安を含んでいた。
でも、夏海の心はもう揺れなかった。
「だから教えないって……」
そう言った瞬間—— 空港のアナウンスが流れた。
「20時45分発、千歳行は搭乗手続きを開始します」
その声が、まるで夏海の決意を後押しするように響いた。
スマホの向こうで、悠真が問いかけたかけた。
“空港…?なんで空港にいるんだよ…?”
けれど、夏海はもう耳を傾けなかった。
「舞とお幸せに…。」
“え?舞!?舞ってなんだよ…おい!!”
夏海は、静かに通話を切った。
そして、搭乗口へと歩き出した。
振り返らない。 もう、振り返らなくていい。
滑走路の向こうには、夜の空が広がっていた。
その空の下で、夏海は——自分の人生を選び直す。
さようならの先は…別れじゃない…新しい出会いが待っている。
第14話に続く…。
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