さよならの先に…。
涼宮 真代
第1話
蝉の声が遠くで鳴いている。
夏海は、駅前のロータリーに立っていた。
「懐かしいな…」
高3の夏、突然の転校で離れたこの町。
まさか社会人になって戻ってくるとは思わなかった。
保険会社に就職して半年。
新人外交員としての配属先が、かつて暮らしていたこの町だった。
初めての訪問先は、営業リストの一番上にあった名前——「佐伯 悠真」。
その名前に、夏海の心臓が一瞬跳ねた。
高校2年の夏、彼と付き合っていた。
サッカー部のエースで、学校中の人気者だった悠真。
そんな彼から突然…。
「前から好きだった。付き合ってくれないか?」と告白された日のことは、
今でも鮮明に覚えている。
あの時、特別付き合っている人もいなかったし、彼には密かに憧れていた。
だから、迷うことなく「うん」と答えた。
それからの毎日は、まるで夢のようだった。
けれど——
あの日が全てを変えた…。
風花——
アンティーク調の木製の扉、ステンドグラスのランプ、そして少し甘いコーヒーの香り。
夏海と悠真にとって、放課後の特別な場所だった。
サッカー部の練習が終わるのを待って、二人で寄り道するのが日課になっていた。
その日は朝から天気予報が「午後から大雨」と告げていた。
空はどんよりと曇り、校舎の窓には雨粒が打ちつけ始めていた。
夏海は、傘を片手に下駄箱の前で悠真を待っていた。
制服の袖が少し湿っていて、心なしか胸がざわついていた。
その時——
廊下の向こうから、聞き慣れた声が響いた。
「悠真くん、夏海と別れて…私と付き合ってください!」
舞の声だった。
夏海の友人で、明るくて、誰からも好かれる存在。
その言葉は、まるで雷のように夏海の心に落ちた。
一瞬、時間が止まったようだった。
悠真の返事は聞こえなかった。
でも、夏海はもうその場にいられなかった。
「……っ!」
傘を握りしめたまま、彼女は雨の中へと走り出した。
制服のスカートが濡れ、髪が頬に張りついても、涙なのか雨なのか分からなかった。
風花の前まで来て、立ち止まった。
いつも二人で座っていた窓際の席が、ぼんやりと見える。
「なんで…こんな気持ちになるんだろう…」
雨音が、彼女の心のざわめきをかき消していった。
翌朝、目が覚めると体が重かった。
喉が痛くて、頭がぼんやりする。
熱を測ると、38度を超えていた。
布団の中でスマホを手に取ると、悠真からのメールが1通届いていた。
件名もなく、本文はたった一行。
「他に好きな子が出来た。別れて欲しい」
……それだけだった。
何度も読み返しても、言葉は増えない。
昨日の雨、舞の告白、悠真の沈黙——すべてが繋がった瞬間だった。
夏海はスマホを胸元に落とし、目を閉じた。
涙は出なかった。
ただ、心が空っぽになった。
その時——
「夏海、入っていい?」
母の声が、ドアの向こうから優しく響いた。
「……うん」
ドアが静かに開き、母が入ってくる。
手にはお盆。
湯気の立つお粥と、冷えたタオル。
「まだ熱、あるみたいね。今日はゆっくり休みなさい」
母の言葉に、夏海は小さく頷いた。
「……ありがとう」
「夏海、少し話があるの。夏休みになったら…転校になるからね」
「え!?なにそれ聞いてないよ!?」
夏海は布団から半身を起こし、母を見つめた。
熱でぼんやりしていた頭が、一気に冴え渡る。
「どうして…?なんで急に…?」
母は少し困ったように微笑んだ。
「お父さんの仕事の都合でね。急に決まったのよ。
言おうと思ってたけど…ごめんなさいね。」
夏海は言葉を失った。
昨日の出来事、悠真のメール、そして今日の転校の知らせ——
まるで世界が自分を置いて進んでいるようだった。
「また…この町を離れるの?」
喉の奥から絞り出すように言ったその言葉に、母は静かに頷いた。
「でも、夏海。新しい場所でも、きっと素敵な出会いがあるわよ」
その言葉は優しかったけれど、夏海の胸にはぽっかりと穴が空いたようだった。
窓の外では、昨日の雨が嘘のように晴れていた。
けれど、夏海の心にはまだ、降り止まない雨が降っていた。
そして私は、何も言えずに彼の前から姿を消してしまった。
——現在。
「まさか、また会うことになるなんて…」
夏海は、営業カバンを握りしめながら、佐伯家のインターホンに指を伸ばした。
ピンポーン♪
しばらく待ったが返事は無かった。
「留守…か。」
少し安堵する自分がいた。
仕事とは言えどんな顔をしていいか正直わからなかった…。
あれから私は、恋をしていない。
大学生活は忙しく、勉強とアルバイトに追われる日々。
誰かに心を預ける余裕も、勇気もなかった。
それでも、時間は流れた。
大手の保険会社に就職が決まり、3カ月の研修期間を終えた頃——
配属先の通知を見て、私は息を呑んだ。
「……まさか、あの町に」
あの夏、すべてを置いてきた場所。
悠真と過ごした日々、そして突然の別れ。
記憶の奥にしまっていたはずの感情が、静かに揺れ始めた。
私はあの喫茶店「風花」を探した。
駅前の通りを曲がり、古びたレンガの壁を見つけた瞬間——
「まだ、あったんだ…」
懐かしさに胸が締め付けられながら、私は扉を押した。
カラン、と鈴の音が鳴る。
店内はあの頃と変わらず、柔らかな照明と木の香りに包まれていた。
窓際の席も、ステンドグラスのランプも、あのまま。
カウンターの奥から、マスターが顔を上げた。
白髪が少し増えていたけれど、優しい目は変わらない。
「マスター…お久しぶり」
私がそう言うと、マスターは何も言わずに頷き——
静かに、いつものミルクティーを差し出してくれた。
その香りに、涙がこぼれそうになった。
あの頃の私が、そこにいた。
第2話に続く…。
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