おかえりを一人で言ってはいけない
//SE ページを開く音
『4 おかえりをひとりで言ってはいけない』
「『ただいま』はひとりで言うこともあるよね。誰かいるかわからなくても、とりあえずクセで言っちゃう。けど、その逆、『おかえり』は、普通ひとりでは言わないよね?」
「これは、『おかえり』をひとりで言い続けた男の話」
(口調が変わる。無機質で抑揚のない声)
「ある男がひとりで暮らしていた」
「彼は、毎日決まった時間に『おかえり』を言う習慣があった。誰に対してでもない。ただ、玄関のドアの方を見つめて、静かに、ぽつりと──」
『おかえり』
「家には誰もいない。返ってくる声も足音もない。それでも、男は毎日、欠かさず『おかえり』を言った」
「やがて、近所の人が噂するようになった」
『あの人、とうとうおかしくなったんだよ』
「けれど男は、おかしくなったのではない。ただ男は願ったのだ──『ある人に帰って来て欲しい』と」
「その相手は、事故で亡くした息子だった」
「通学途中の交通事故で、当時まだ9歳だった」
「男はその日を境に、毎日『おかえり』を言うようになったのだという」
「男は毎日、毎日、言い続けた。もう誰も帰って、こないその家で」
「やがて、男の声に変化が現れた」
「最初は穏やかだった声が、日に日に震え、怒り、泣くような声音に変わっていった」
「そしてある日──男は、自宅のドアノブで首を吊って死んだ」
(ドアがゆっくり軋み開く音)
「死因は自殺とされた」
「だが、発見された男の遺体は、両腕を広げるような体勢で倒れていたという」
「その姿はまるで、『誰かを抱きしめている』ようだった」
「そして、ドアの内側には、小さな靴跡が、残っていた」
(ページを閉じる音)
(咲の口調が戻る)
「……ひとりで『おかえり』なんて、普通言わないよね」
「きっと、あの人は、ずっと……向こうから『ただいま』が返ってくるのを、待ってたんだ」
(少し息を呑んで)
「……でも、もしそれが『ちがう何か』だったら、って考えると──」
「ねえ、きみなら、どうする?」
(囁くように)
「……それでも、『おかえり』って、言える?」
//SE 木の葉がさらさらと風に舞う音
//SE 舗道を歩く足音、時折落ち葉を踏む音
//SE 電線に風が吹きつける音、少し遠くで踏切の音
「……さっきの話、ちょっと来たね。胸に」
「『おかえり』って言葉、やっぱり──特別なんだよね」
「誰かが自分を待っていてくれてる。それだけで救われる、って思うこと、あるよね?」
(少し間)
「……わたし、あんまり言ってもらったことないんだ」
「共働きで、家に帰っても誰もいなくて。電気つけて、冷蔵庫開けて……」
「それで、いつのまにか『ただいま』も言わなくなった」
(風の音が強くなる)
「……あ、でも」
「中学のとき、一度だけあるの。熱出して休んだ日、クラスの誰かがプリント届けに来てくれて」
「うとうとしてたら、玄関でおかえりって──」
「……夢だったのかな」
「でも、あの声は──やさしかった」
(少し笑って)
「きみ、じゃないよね?あれ」
(冗談めかして)
「……って、赤くなってる?ふふ、まさかね」
//SE カラスが鳴きながら飛び立つ音
//SE 足音がゆっくり止まる
「……ねえ、きみは、おかえりって言われたい?
それとも──誰かに、言ってあげたい?」
(間)
「──じゃ、歩こっか。ほら、次は……想像の話」
「想像したことが現実になるって、あり得ると思う?」
//SE 再び歩き出す足音
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