第21話 聖女の焦り、心理戦の第二幕
「……なんですの、あれは」
聖騎士団の本陣。
天蓋の下に設えられた椅子に座り、優雅に戦況を見守っていた聖女エリクシアの眉が、ぴくりと動いた。
彼女の完璧に計算された攻城計画は、開始早々、理解不能な形で瓦解しつつあった。
切り札であった破城槌部隊は、城門の前でスケート大会を始め、使い物にならない。
満を持して投入した二基の攻城塔は、まるでコントのように自滅したのだ。
死傷者はほとんど出ていない。だが、それ故に、兵士たちの士気は別の意味で著しく低下していた。屈強な騎士たちの顔から、「誇り」や「使命感」といったものが抜け落ち、「何だかよく分からないけど、すごく恥ずかしい」という表情に変わっている。
「……魔術……ではない? ただの氷? ただの投石……?」
エリクシアには、魔王軍が使っている戦術が理解できなかった。
そこに高度な魔術も悪魔的な呪いも見られない。あるのは、ただひたすらに地味で小賢しく、恐ろしく効果的な「嫌がらせ」だけだ。
「まさか……これも、ユキナの……?」
エリクシアの脳裏に、あの純朴で少し気弱で、それでいて芯の強い愛しい人の顔が浮かぶ。
彼が、こんな悪戯のような、しかし的確にこちらの弱点を突いてくる策を……?
(いいえ、ありえない。きっと、あの魔王が彼に無理やり……!)
エリクシアは、自分の都合の良い結論に飛びついた。
だが、焦りは隠せない。彼女が望んでいたのは、聖女の圧倒的な力で魔王軍を蹂躙し、愛する人を劇的に救い出すという美しい絵図だ。
こんな泥臭くてマヌケな展開ではない。
「……全軍、一度後退!」
プライドの高い彼女にとって、屈辱的な命令だった。
聖騎士団が一旦引くと、城壁の上から、わあっという魔王軍の勝ち鬨の声が聞こえてきた。 それが、さらに彼女の神経を逆撫でする。
「く……っ!」
エリクシアは、ギリッと奥歯を噛み締めた。
その時だった。
魔王城の城壁の上に、二つの人影が現れた。
一人は、忌々しい魔王の小娘。そしてもう一人は――愛しい、我がユキナ。
「――聞こえますか、聖女エリクシア!」
ユキナの声が魔法によって増幅され、エリクシアの耳に届いた。
その声を聞いた瞬間、エリクシアの心臓がきゅっと甘く締め付けられる。
ああ、愛しい人の声。
『もう、やめにしませんか! あんたがやりたいのは、戦争じゃなくて、ただの痴話喧嘩でしょうが!』
「ち、痴話喧嘩ですって……!?」
エリクシアは思わず椅子から立ち上がった。
なんてことを言うのですか、私のユキナ。
これは、あなたを救うための聖戦ですのに。
『そうだぞ、ストーカー女!』
今度は、魔王の小娘の声が響く。
『貴様の歪んだ愛情表現に、我らの兵を付き合わせるな! 帰ってママのおっぱいでも吸っているがいい!』
「な……なんですって……!?」
魔王の、あまりに品のない罵倒にエリクシアの額に青筋が浮かぶ。
だが、その時、ユキナが魔王を宥めるように何かを耳打ちしているのが見えた。そして、魔王はこくりと頷くと、不敵な笑みを浮かべて再びこちらを見た。
『……ふん。ユキナが貴様に最後のチャンスをやると言う。ならば、聞くがいい』
ルシルフィアは、芝居がかった仕草で腕を組んだ。
『――この戦いを終わらせる、ただ一つの方法。それは貴様と我らの一騎討ちだ』
エリクシアは息を呑んだ。
一騎討ち? 魔王と、自分自身がか。
それは、エリクシアが最も望んでいた展開――聖女と魔王の英雄譚に語られるような宿命の対決。
『だが、ただの一騎討ちではない。我らが勝てば、貴様は軍を率いて、二度と我らの前に姿を現さないと誓え。……だが、もし貴様が勝てば』
ルシルフィアは、ちらりと隣のユキナを見た。
『――ユキナを、貴様にくれてやろう』
「!」
エリクシアの心臓が大きく跳ねた。
ユキナを、くれる?
それは、エリクシアにとって、何物にも代えがたい最高の報酬だった。
(……罠……?)
一瞬、疑念が頭をよぎる。
だが、プライドの高いエリクシアにとって、この提案はあまりに魅力的すぎた。
それに自分があの小娘に負けるはずがない。
城壁の上でユキナが何かを叫んでいる。
『そんなこと言ってない! ちょっと、ルシルフィア様!?』
彼の慌てた声は、エリクシアの耳には都合よく届かなかった。
(ああ、ユキナ。あなたは、なんて賢いのでしょう)
エリクシアの思考は、再び彼女だけの歪んだ世界へと飛躍する。
(私が勝つと信じて、無益な犠牲を避けるために、あえて魔王にこの提案をさせたのですね! 私に、あなたを救い出すための、一番美しい舞台を用意してくれた……!)
全てを自分の勝利への布石と解釈したエリクシアは、歓喜に打ち震えた。
彼女は、魔王城の城壁に向かって、高らかに宣言した。
「――いいでしょう。その挑戦、聖女エリクシアの名において、お受けいたします!」
こうして、ユキナの意図しないところで戦いの舞台は、軍と軍との総力戦から、聖女と魔王の直接対決という、最終局面へと一気に移行したのだった。
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