ヤンデレ聖女より、純情な美少女魔王に癒されたい!〜逃げても迫るヤンデレ聖女。捕まったら強制婚約のようです!?〜
咲月ねむと
第1章 魔王領での癒しと、忍び寄る聖女の影
第1話 聖女から逃げたら、魔王が可愛すぎた件
「はぁ……はぁ……っ!」
肺が悲鳴を上げ、足は鉛のように重い。
もうどれくらい走り続けただろうか。三日か、あるいは一週間か。昼も夜も、ただひたすらに南へ、南へと逃げてきた。
何からって? 決まってる。
この大陸で最も美しく、最も慈悲深く、そして最も――イカれていると評判の聖女様からだ。
俺、ユキナ・アークライトは、ほんの数ヶ月前までごく平凡な村人だった。それが何の因果か、聖女エリクシア様に気に入られてしまったのだ。
最初は誰もが羨むシンデレラストーリーだった。聖女様直々に「あなたに仕えてほしいのです」なんて言われて、舞い上がらない奴がいるだろうか。
だが、その本性を知るのに時間はかからなかった。
『ユキナ、今日も素敵ですね。その瞳、私だけを映していてくださいね♡』
『ユキナ、今、他の女性と話していませんでしたか? ダメですよ、他の虫に気を取られては』
『ユキナ、あなたの寝顔を見ていたら、なんだかムラムラしちゃって……え? 朝までずっと見ていたに決まっているじゃないですか♡』
.……怖すぎるだろ。
四六時中監視され、行動はすべて報告義務があり、少しでも他の女性と話そうものなら、その女性が翌日には大陸の果てに「栄転」していく。そんな生活、息が詰まって死んでしまう。
そして極めつけは、彼女が満面の笑みで差し出してきた一通の書類。
『ユキナ、これにサインを。私たちの永遠の愛の誓い……婚約届です♡』
逃げた。
その瞬間、俺は持てる力のすべてを振り絞って王都から逃げ出した。捕まれば最後、物理的に枷をはめられ、精神的に骨抜きにされ、永遠に彼女の鳥かごの中だ。
それは死よりも恐ろしい。
そして、俺が最後の希望として目指した場所。それが人間領の南に広がる禁断の地――魔王領だった。
聖女の力が及ばない場所なんて、そこくらいしかない。魔王に食われるのが先か、聖女に捕まるのが先か。究極の二択だったが、まだ未知の死の方がマシだと思えた。
「ここまで来れば、もう……」
目の前には、禍々しい瘴気を放つ巨大な城門がそびえ立っている。魔王城だ。
衛兵らしきゴブリンやオークがギョッとした目でこちらを見ている。まあ、ボロボロの人間が一人でここまで来たら、そうなるか。
.……もう、どうにでもなれ!
俺は覚悟を決め、震える声で叫んだ。
「た、頼む! 魔王様に会わせてくれ! 俺は、人間たちの敵だ!」
我ながら無茶苦茶な言い分だ。
だが、その言葉が功を奏したのか、衛兵たちは顔を見合わせると、意外にもすんなりと城の中へ通してくれた。
連れてこられたのは、だだっ広い玉座の間。天井は高く、壁には不気味な紋様が刻まれている。玉座には、巨大で、三つ目で、八本腕の、見るからに邪悪な魔王が鎮座しているに違いない。
ゴクリと喉が鳴る。
やがて、玉座の奥からゆっくりと一つの影が現れた。小柄な影だ。
あれ? 思ったより小さいな。まあ、見た目で判断してはいけない。
凝縮された邪悪の塊かもしれない。
そして、その姿がハッキリと見えた瞬間、俺は思考を停止した。
「わ、私が魔王のルシルフィアだ。人間よ、何の用だ?」
そこにいたのは、想像していたどんな恐ろしい怪物でもなく――銀色の髪をツインテールにした、大きな紅い瞳を持つ、可憐な美少女だった。
歳は俺と同じくらいか、少し下だろうか。フリルをあしらった豪奢な黒いドレスに身を包んでいるが、どう見ても威圧感より庇護欲をそそる。というか、めちゃくちゃ可愛い。
彼女は玉座にちょこんと座ると、必死に威厳を保とうとしているのか、ぷるぷると震えながら俺を睨みつけてくる。
「き、貴様が、人間たちの敵だと言った者か? 何を企んでいる……!」
その声まで鈴を転がすように愛らしい。
俺はあまりのギャップに、聖女から逃げてきた緊張の糸がぷつりと切れてしまうのを感じた。
「あ、あの……俺、聖女に追われてて……もう、疲れました……」
俺がそう言った途端、足から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
視界が霞んでいく。ああ、ここで死ぬのか。まあ、最後にあんな可愛い子を見れたなら、それも……。
「きゅ、救護班! 急いでこいつを客室へ! 丁重に扱え! いいか、絶対にだぞ!」
薄れゆく意識の中、必死な美少女魔王様の声が聞こえた。
なんだろう。聖女から感じた、ねっとりとした愛情とは違う、どこまでも純粋で温かい響きだった。
――ヤンデレ聖女より、純情な美少女魔王に癒されたい。
心からそう思ったのが、俺の魔王領での新たな生活の始まりだった。
――――
新たなラブコメがここに開幕!!
いつも私は不思議に思うけど、何で私の作品って聖女の個性がここまで強いのか……考えた結果、まったくわかりませんでした!
読者の皆様の応援が力なります。
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