第4話
先ほど長い悪夢を見たカミラーは、少し頭を冷やすために外に出ることにした。外は冷たい風とともに静かな静寂に包まれており、月と星の明かりしか差し込まない真っ暗な夜になっていた。彼女は入り口の前で一度大きく息を吸い込み、足を踏み出した。
彼女が向かったのは、近くの道筋だった。道の縁側には小さな茂みが連なって長い列を成していて、その上を何匹のホタルが飛んでいた。その光景は空に浮かぶ星々に似ていた。カミラーはその蛍たちがいる方に近づき、しばらくの間それをぼーっと眺めた。
虫の鳴き声が聞こえる。理由はよく分からないが、彼女は今のこの静けさが好きだった。何も感じられないこの状況が、彼女が感じる心の虚しさを代弁してくれるからかもしれない。一匹の蛍が彼女の人差し指の上に飛んでくると、彼女は小さく息を吹き込み、虫と別れを告げた。
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沈んだ日が昇ると、カミラーは地面から身を起こし、山脈を乗り越えて中に差し込む太陽の光に顔を少し歪めた。いつもの美しい光景に、彼女は新たな日が始まったことを実感する。今日彼女がやることは大して変わらなかった。だが、今日が少し特別な理由があるとすれば、それは刺激を求めて今日も都市に出るところにあった。
「...そろそろ行くか」
彼女は外出する準備が整うと、いつものフードを被り、残像だけを残して身を消した。
彼女は路上を歩いた。今日も相変わらずの高層ビルが立ち並ぶ風景。平和だった。数百年前あれほど戦争を起こしてほぼ壊滅したというのに、人間の歴史を身をもって体験した彼女からしたら今の景色は少し異常で、見慣れないものがあった。いつでも昔の時代に戻っても不思議ではない。彼女はいつもそう考えていた。
路上を歩きながら、朝出勤のために足を急ぐサラリーマンたちの姿が見えた。その中には、サンドイッチを口に咥えて走っている人もいれば、歩行スピードを上げてくれるシューズを足につけ、移動している人もいた。たまに、彼女とぶつかりそうになったが、その度紙一枚の差で衝突を避けた。
「危なっ」
全く人というのは、なぜあんなに必死で哀れな人生を歩むのが好きなんだろうと、カミラーはしばらくの間そう考えた。AIの発達、超人工知能とAIヒューマノイドの出現によって人間はもう完全に働かず生きていられるはずだった。それでも、なぜ人間はそんな楽な生き方を選ばず、むしろ仕事を奪うAIに怒りを覚え、戦争まで引き起こし、昔のシステムを維持しているのだろうか。人間は働かずには生きられない生き物なのだろうか。人間とは不思議極まりない生物だった。カミラーは無意識的に首を左右に振る。それに沿って周りから人の視線が感じられた。彼女は、そんなことはものともせず、自分の道を進んでいった。
カミラーは続いて道角から方向を変え、違う歩道に足を踏み入れた。今回も前と変わらない都市の風景が目の前に広がっていく。道を歩く彼女の目的地はなかった。ただ暇潰しがてら歩くだけ。よく彼女は一人で都市の中を散歩したりした。
無論、彼女は今現在、裏で警察や刑事たちによって跡を調べられていて、その事実を彼女自身も知っていた。このように都市の真ん中を自由自在に歩き回ることは自殺行為に他ならない。実は、町中に見えるあのAIヒューマノイドも、その味方であって24時間犯人と特定されそうな人物を探しているはずだった。それでも、彼女は気にしなかった。
そもそも、彼女は都市に侵入するときは、いつも新しい外見に切り替えており、もし、AIヒューマノイドが彼女の身分を確認しようとしても、彼女の技術によって実在する人物として表示されているはずだった。万が一の場合、彼女が誤りを犯してヒューマノイドや人によって正体を知られたとしても、今の人間の技術では彼女を物理的に捕まえることは不可能。それを知っているからこそ、こんなに大胆に行動を取ることができるのだった。一種の傲慢とも言えた。
カミラーは、そんなことは一旦さておき、引き続き人が作り上げた造形物を見物しながら町中を歩いていった。
それから約10分後、カミラーは相変わらず歩道の上を歩いていた。周りはいつもの平和な雰囲気で包まれており、これといった異変はない。これがまさに人間が望む退屈で倦怠極まりない社会ではないかと、彼女はしばらくの間考えた。
それから時間凌ぎ以外何にもならない意味もない散歩を続けていると、カミラーは目の前に少し見覚えのある後ろ姿を見つけた。同時に彼女は脳裏のカラクリをひっくり返してその人が誰を探った。
すると、確かあの後ろ姿は先日コンビニで出会ったあの若い店員だった。髪型や雰囲気が完全に一致していた。それに気づくと、カミラーは理由のわからない怒りに包まれた。この怒りは、あの時自分を胡散臭そうに睨みつけていたあの店員の不審な行動によるものだった。体が勝手に早く処理しろと言っているようだった。カミラーは無意識的に若い店員がいる方向へ近づいていった。そして気づけば、彼女の手はあの店員の肩の上に乗せられていた。
「うん?何ですか」
若者は後ろを振り返る。すると、うつむいて自分の肩を掴んでいるあるおじさんの姿が見えた。理由は分からないけど、息を切らしている。
「......」
「今忙しいので、離してください。」
「......」
周囲の視線がこちらに向けられる。それと同時に、若者の店員の顔に気味悪そうな表情が表れた。
「本当に何してるんですか?これ痴漢ですよ。分かってます?」
「......」
若い店員はその後、自分の肩に置いてある相手の手を力強く追い払った。そして前を向いて気持ち悪さを露にしながら、自分の道を進んでいった。
カミラーは、去っていくその後ろ姿をただ見つめるだけだった。危ういところだった。一瞬でも間違えたら自分の怒りを抑えることができず、人とAIヒューマノイド全員見ている中で殺人を行うところだった。目を合わせなくてよかったとカミラーは再び思い返す。
しかし、今のところの彼女の行動は変人それ以外何ものでもなく、周りの人から不信感と嫌悪感を買っている状況だった。さらに、ヒューマノイドの方では自分に対して警告の表示がされているはず。それに気づくと、カミラーは低く身を下げ、まるで何事もなかったかのように、近くにある喫茶店の中に入っていった。
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店内に入ったカミラーは、長生きした経験をもとにアイスコーヒーを注文し、テーブルの椅子に腰を下ろした。
周りを察しながら、コーヒが出されることを待つ。まだ自分を変な目で見ているものがいるか確認し、ないのを確認して心の奥でほっと息をする。
それから約5分後、コーヒが出来上がり店員に呼ばれた。カミラーは受け取り口で注文したアイスコーヒーを渡され、もとの席に戻っていった。
そこでカップの中にストローを入れ、コーヒー飲み込む。味はほとんど感じられなかったが、悪くはなかった。頭がキーンとするのを全身で受け止めながら、コーヒーをゴクゴク飲み込んでいく。
そして瞬時にコーヒーを半分ぐらい飲み終えた頃。カミラーは隣の席に座っている母親の赤ん坊が指をしゃぶりながら、自分ことを不思議そうに見ていることに気づいた。よく見ると、母はノートパソコンでAIとチャット会話しながら仕事をしており、その赤ん坊はその肩にもたれ掛かって自分のことを見つめていた。同時に、カミラーは不快さを感じた。よく赤ん坊のような生き物は感が鋭いと言われている。もう、すでに自分が人間ではないことを悟ったのかもしれない。となると。
「......」
カミラーは無意識に右の拳に力を入れた。そして殺気が込められた眼差しで赤ん坊を見つめ返す。それを見た赤ん坊は表情が固まって驚愕し、化け物でも見たかのような大きな声で急に泣き出した。泣き声は喫茶店全体に広がり、人々の視線が一気にこちらに向けられる。
「えっサラちゃん急にどうしたの? お腹の具合でも悪いのかしら」
母は泣き止みそうにない赤ん坊のことをなだめる。カミラーはその様子を歪めた顔で見つめ、席から立ち上がった。そして喫茶店の出口の方にへ歩き出し、ここから抜け出そうとした。その瞬間だった。
空間が揺れるようにカミラーの鋭い感覚に何かが引っ掛かった。これは、彼女のいるこの場所から半径約1キロメートルぐらいに渡って、張ってある監視システムに何かの異変が生じていることを意味した。同時にカミラーは、気を全集中してその異変が起きたところへ視点を移し、その状況を頭の中で再生した。すると、そこにはさっき出会ったあの若い店員と今まで見たことのない黒いスーツを着た背高い男二人が小路でその店員を真ん中に倒して腹部を蹴っているのが見えた。これを見てカミラーは今のこの状況がすぐには理解できなかったが、確かなことはその店員を殺すのは自分であること。あの男たちは邪魔だということだった。
「ふざけるなよ。その女は私のものだ」
そこまで考えが及ぶとカミラーは、体の奥から込み上げてくる大きな怒りとともにすぐ扉を開け、喫茶店から飛び出ていった。
歩道に出たカミラーは一度周り目をやり、身を隠れる場所を探った。そして、人影もなくヒューマノイドと監視カメラのない公衆トイレを見つけると、中に入って個室のドアを開け、完全に閉まる前に姿を消した。
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「こいつ早く処理しろ」
「はい、分かりました」
その後、隣にいる黒いスーツを着た男の人が、命令に従って地面に倒れている女の人の腹部を蹴った。それと同時に、四角い布で口を塞がれていた女性は声にならない悲鳴を上げた。
それは何分間続いた。命令した人はもういいと言い、倒れている若い女性に近づいた。そして、その頭を手でゆくりと持ち上げる。
「だから、なんであれだけ住宅ローン借りておいて急に逃げ出すのさ。ヒューマノイドに代わって住所変えたら、追いかけられないとでも思った?お陰さまで両足苦労したんだぜ。疲れた俺をちょっと褒めてくれたら嬉しいかな。」
「......」
その後、彼は気に入らない表情を浮かべて容赦なく力を抜き、頭を地面に落とした。そして再び立ち上がって後ろに振り向く。
「まったく......哀れなものだ。あの時、俺が全部返すまで待つよとあんなに言ってあげたのに、その金額に怯えて逃げ出すなんて。その結果が今のこれだが......今のこの時代で逃げを選ぶとは......これは頭が悪いというべきか、それともただ勇敢なだけなのか......」
彼は言葉が終わったあと、舌打ちをし、ポケットに手を入れてタバコの箱を取り出した。タバコを口に加え、火をつける。
「お前も吸うか?」
隣で待っている自分の仲間を見つけると、彼はそう言った。
「ありがたくいただきます」
タバコを渡され、黒いスーツの二人は横でタバコを吸い始めた。白い煙が空に向かって立ち昇る。
しばらくの間、タバコの匂いに浸っていた彼は、再び倒れている若い女性の方に目を向けると口を開いた。
「あ、あと言い忘れていた言葉があるが、もちろん、ここで言及されたすべての内容は秘密にしてもらうよ。もし、他の人にこの事実を知らせたり、警察に通報した場合。これらの契約を破棄したと考えて、今より酷い目に遭うことを覚悟すればいい。その時はもう命の保証はない。分かったか?」
彼は片方の眉毛を上げて、聞いてるみるが反応はない。彼は一ため息をつき、首を横に振った。
「まぁ、死んではいないだろうが.....これからもよろしく頼むよ。いつまでも待つからね。」
彼はそう言って、片手に持っていたタバコの火をもみつぶし、吸い殻を地面に捨てた。そして、そろそろ外に出る準備をした。
「あ、それと、今の格好だと外に出にくいと思うから、そのハンカチで血などは何とか綺麗にしてからね。でないと、俺たちがまるで悪いことでもしたみたいじゃないか。頼むよ。じゃあ」
彼はこの場を離れながら、後ろ向きで手を振り、仲間とともに小路を歩き出していった。
地面に倒れていた彼女は一瞬、頭を動かして離れていく彼らの後ろ姿を見つめた。悔しさに自然と拳に力が入る。彼らの姿はますます遠くなっていき、彼女はあたかもそれを手に掴むように指を折り曲げた。そして、意識が飛ぶように全身の力が抜ける。
その時だった。
彼らの後ろから足跡が響いた。彼らは思いもがけない音にすぐ後ろに振り向く。すると、目の前には一人の男性がうつむいた姿勢で路地の上に立っていた。彼らは、予想外の出来事に少し躊躇いながらもその中の一人が口を開いた。
「おい、そこの君。ここまでどうやって辿り着いたかは知らねぇが、一回目を瞑ってやれば命だけは見逃してやる。今すぐこの場から離れろ。これは、警告ではなく命令だ」
「......」
だが、返事はない。彼らは返ってこない言葉に少し首を傾げた。
「まったく......今度は口も利けないやつかよ。事態がどんどん面倒くさくなってきた。ダメだ。こいつも処理しよう」
彼はそう言って仲間に指示した。
「はい、了解です」
彼らは同時に、腕まくりをし始めた。これはもう力ずくで問題を解決するという意味だった。
だが、うつむいていた男は一瞬、倒れている若い女の人の方に目を向け、状態の分析を行った。すると、まだ生きてはいたが、あばら骨や体のあちこちが骨折し、身体中に軽い損傷があった。もし、ここでもっと深い傷を負っていたら命の危険があったかもしれない。今は気絶しているようだった。同時にカミラーの中では抑えきれない怒りが昇り始めた。これは、自分のものに手を出したことに対する怒りだった。
カミラーは、ゆっくり頭をあげるとあそこに立っている彼らに静かな声でこう言った。
「私のものに手出すんじゃねぇぞ。雑魚どもが」
瞬間、男の無惨な赤色の光を浴びる瞳が輝いた。
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