第42話 剥がれ落ちた仮面

 魔王ゾグの首が転がり、その巨躯が物言わぬ肉塊へと成り果てた広間で、ゼルリナだけがふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべた。


「ふふ……。ようやく、不愉快な邪魔者が消えましたわ」


 ゼルリナは、血の海の中でレイリアを抱き締め、嗚咽を漏らし続けるライナスへと歩み寄った。その足取りは、愛しい恋人に駆け寄る乙女そのものだ。


「あらあら。ハッピーエンドに涙は似合わなくてよ、ライナス様。……さあ、その子を一度放してくださいな。わたくしの『物語』に、血なまぐさい死体は必要ありませんもの」


 ゼルリナが白く細い指先をかざすと、そこから濃密で、闇の底から湧き上がってくるような冷たさを孕んだ魔力が溢れ出した。その魔力がレイリアの身体を包み込むと、魔王の一撃によって刻まれた深い裂傷が、まるで時間を巻き戻すかのように塞がっていく。


「……っ、あ……」


 レイリアの体に熱が戻り、弱々しくも確かな呼吸が漏れた。


「レイリア!? レイリア……っ! ああ、良かった……!」


 歓喜に震え、レイリアを抱きしめるライナス。ゼルリナは満足げに頷くと、さも当然のことのように言い放った。


「さあ、行きましょう、ライナス様! 国へ戻り、わたくしたちの『真実の愛』を証明するため、盛大な結婚式を開きましょう! 歴史に刻まれる、最高のフィナーレになりますわ!」


​ ゼルリナは勝利の女神のように、白く細い手を差し伸べた。かつてのライナスであれば、狂喜乱舞してその手を取り、騎士王のように魔王を討伐し、物語の主役になれた自分を誇っただろう。


​ だが、ライナスの手がゼルリナの手を取ることはなかった。彼は腕の中で温もりを取り戻したレイリアの、埃と血に汚れた横顔を見つめていた。ライナスの瞳には、今までにない暗い葛藤と、激しい後悔が渦巻いている。


​「……何を迷っていらっしゃるの? 早く、わたくしの手を取ってくださいな。それとも、まだそのエキストラが気になるのかしら?」


​ ゼルリナの声から、わずかに苛立ちの色が見える。


 戸惑い、動けないライナスの背後から、スージーが静かに、しかし芯の通った力強い声で、ライナスに語りかける。


​「ライナス様。……貴方が今まで心酔していた『騎士王の物語』の中に、今の貴方の本心はありますか?」


​ ライナスがハッとしてスージーを振り返る。スージーは無機質な表情を崩さぬまま、真っ直ぐに主人の瞳を見据えていた。


​「物語は、所詮は過ぎ去った過去の写し絵。……ご自分の魂が、今この瞬間に何を求めているのか。どうか、その声にだけ耳を傾けてください」


​ ライナスの脳裏に、これまでの旅の光景が走馬灯のように駆け巡った。


​ わがままな自分の尻拭いをし、常に的確な助言で支えてくれたレイリア。

 伝説の剣を手にするとき、自己犠牲も厭わず、燃え盛る炎をものともせず、自分を助けてくれたレイリア。

 ゼルリナという「運命の女性」が現れてからも、影に徹し、最後の瞬間には自らの命を盾にして自分を守ってくれたレイリア。


​ その隣で、今この瞬間まで、自分は何をしていた?


 「物語」という名の虚像に踊らされ、目の前の本物の献身を、見て見ぬふりをしてきたのではないか。


​「……ライナス、様……?」


​ 意識を取り戻したレイリアが、不安げにライナスの顔を覗き込む。


 ライナスはその瞬間、自らの心の中にあった迷いが、跡形もなく消え去るのを感じた。


​「私は……」


​ ライナスはレイリアの手を、壊れ物を扱うように、それでいて二度と離さないという強い意志を込めて握りしめた。そして、ゆっくりと立ち上がり、冷たい笑みを浮かべるゼルリナを真っ向から見据えた。


​ ゼルリナの催促に、ライナスは喉を震わせ、絞り出すような声で答えた。


​「……すまない。ゼルリナ、私は……君の手を取ることはできない」

「……なんですって?」


​ ゼルリナの笑顔がピキリと凍りつく。ライナスは、震えるレイリアの手をそっと握り直し、自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。


​「私はずっと、騎士王のような英雄になりたいと思ってきた。物語のように、魔王を倒し英雄となり、運命の姫君と結ばれたいと……。だが、私は今になって気がついたのだ。……隣でこれほどまでに私を想い、傷つき、命を懸けて支えてくれた女性を放っておいて、何が英雄だ。何が真実の愛だ……!」


​ ライナスの瞳には、騎士王の血を引く者としての誇りではなく、一人の男としての「悔恨」と、何者にも曲げられない「覚悟」が宿っていた。


​「私はまだ……自分がどうしたいのか、上手く言葉にできない。いつかそうなりたいと憧れ続けてきた騎士王の物語を、否定することもできない。……けれど、これだけは分かるのだ。私は、レイリアといたい。騎士王の物語をなぞることよりも、ただ……レイリアと添い遂げたいのだ」


​ それは、今まで崇拝してきた信念を曲げる宣言ではなく、ライナスが自らの未熟さを認めた上での必死な「願い」だった。


​「ライナス、様……。そんな、私のことなんて……」


​ レイリアが驚きに目を見開く。その瞳から溢れる涙を、ライナスは震える指で拭った。

​ その光景を見ていたゼルリナの顔から、完璧な美貌が剥がれ落ちる。


​「……わたくしが……このわたくしが、どれほどの歳月をかけて、この完璧な台本を練り上げてきたと思っているの……!? 使い捨てのエキストラの分際で、わたくしの台本を汚すなんて……ッ!」


​ 地を這うような低い声。それは、先ほどまでの可憐な姫のそれとは似ても似つかぬ、深淵の底から響くような怨嗟の響きだった。城全体が、彼女の怒りに呼応して悲鳴を上げ、激しく揺れ始める。


​ スージーが素早く警棒を構え、ゼルリナの前に立ち塞がった。


​「ようやく化けの皮が剥がれましたね。……そろそろ、その『台本』とやらについて、真実を語っていただけませんか? ゼルリナ姫」

​「真実ですって……? ふふ、あははははは!!」


​ ゼルリナは狂ったように笑い声を上げると、その身体から人間のものとは思えない、圧倒的な「魔力」を放ち始めた。


​「良いわ……教えてあげる。あなた達が信じているこの世界が、いかにわたくしの『暇つぶし』のために用意された、無意味な箱庭に過ぎないのかを――!」

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