【BL】美しい世界を紡ぐウタ

日燈

陽炎燃ゆる

プロローグ


「それでは、カムナギのアルシャ・ルーマ殿より、言祝ことほぎを頂戴しましょう」


 待ち望んだ瞬間に、周囲が一際ざわめいた。

 祭壇脇にある小ぶりの扉から、アルシャがゆったりと歩みでる。明かり窓から差し込む光を浴びて、煌めく金髪と白い礼服。光の当たる角度によって、七色に色を変える彩糸さいしの紋様が美しい。その神々しさときたら、まるで彼そのものが輝いているようだ。

 祭壇に立ったアルシャは、一礼すると一同を見渡し、微笑を浮かべる。


「なんて素敵なの…」


 よろめき倒れる女性たち。男ですら、彼に夢中だ。リュエルも光の化身のようなアルシャを唖然と眺めていた。

 おもむろに、アルシャが目を閉じる。

 一気に神聖な雰囲気になった。

 静寂のなか息を吸い、紡がれる、音――。

 甘く柔らかに、えも言われぬ美しい調べが鼓膜を震わす。不意に広々とした緑の大地のイメージが浮かんだ。光る風が頬を撫でるように、アルシャの声が心に触れる。


「……っ、」


 それはとても温かく、じわじわと身体中に浸透した。

 アルシャの唇は絶えず形を変え、音を紡ぎだしている。伏せられた金色の睫毛。祝福するような光のなか、きらきら煌めく音の粒子たち。精靈せいれいたちの輝きも、目に眩しいほどである。

 響きは徐々に大きくなり、やがて溶けるように消えてゆく。

 リュエルはその音が完全に消えてしまうまで、息をするのも忘れていた。


 わぁっと喝采が湧く。

 ハッとして我に返った。

 どわどわ、どわどわ。身体の奥深くから爪先まで、すべてが歓喜を帯びて振動しているようだ。心臓がドクドクいっている。胸を抑えて息を吐き、顔を上げれば、


「っ」


 思いがけず群青色の瞳とぶつかる視線――。

 アルシャは美しい微笑を残して扉の向こうへ消えた。

 人々は興奮冷めやらず、聖堂内は熱気とざわめきに満ちている。別天地を垣間見たかのような衝撃を、話さずにはいられないのだろう。高揚しているのは、精靈たちも同じらしい。きらきらと舞いながら輝く光の美しさといったら。

 リュエルは彼らに背を向け、すっと人混みから離脱した。


 衝動のまま、足を進ませる。

 背の高い木々を越えた向こうに、ちょっとした野原があるのだ。そこはひっそりと静かで、リュエルのお気に入りの場所だった。

 木陰から出ると、強い日差しに視界を奪われ、思わず手をかざす。

 ゆっくりと手を下ろしたとき、目に飛び込んできた人物に、驚いて息を呑んだ。鮮やかに脳裏へ焼きついた彼が――先ほどまで人々の頭の向こう、遠く祭壇にいたアルシャが、そこにいた。


「どうだった?」


 アルシャはふわりと笑みを浮かべる。

 カムナギのウタを体感したリュエルは、“ウタ紡ぎ” として立つ現場との違いをまざまざと感じていた。湧き上がる感情に耐え切れず、踵を返す。


(住む世界が違うんだ)


 不意に草を踏みしめる音が近づく。顔を上げる頃には、アルシャが目の前にいた。思わず後退しかけた身体を、柔らかな声が引き留める。


「君は今でもウタが好きだね」


 リュエルを映す群青色の瞳が、美しく煌めいた。


『ウタがすきなんだ?』


 ふいに浮かび上がった遠い記憶。――幼い日、リュエルはいつものようにお気に入りの場所で、座って紡いでいた。木々の向こうからひょっこり現れた見知らぬ子は、ツバの広い帽子のせいで顔がよく見えない。


『ウタがすきなんだ?』


 可憐な声は遊ぶよう。


『……べつに』


 リュエルはツンとそっぽを向いた。

 ウタを聞かれたのが恥ずかしいのもあったが、ウタが好きなんて言ったら、きっと笑われる。周りの子はみんな、口をそろえて剣士になりたいと言うのだ。

 見知らぬ子がこちらへ来る音が聞こえても、リュエルは素知らぬフリで近くの茂みを意味もなく睨みつけていた。


『ぼくは好きだよ』


 ハッとして、声の方を向く。


 ――お、……とこ?


 彼はすぐ近くに佇んでいた。リュエルは草原に座っていたので、その顔が見えたのだ。


『ぼくはウタが好き。しょうらいはね、カムナギになるんだ』


 彼は臆面もなく言い、ふわりと微笑む。群青色の瞳があんまり綺麗で、リュエルの胸はキュッと痛んだ。そっと伸ばされた白い手が、新雪を掬うようにリュエルの銀髪に触れる。


『こんど、きみのウタをぼくに聞かせて。またね』


 きらきら光る木漏れ日のなか、美しい笑みを残して、木々の向こうへ彼は去った。


(すっかり忘れてた)


 彼の言葉も、あのとき感じた気持ちも全て。思い出した今、胸が痛い。


「リュエル、君がカムナギになってくれたらって、僕は思うよ」


 アルシャは穏やかなまま、微笑を浮かべて言った。


「、なんで」

「……君は聖界に必要な存在だから」


 リュエルは鼻で笑ってしまう。


「聖界に?」


 疎まれることはあれど、必要とされるなんて考え難い。そのはずなのに、アルシャが曇りない瞳で見詰めてくるので、リュエルは言葉をなくした。

 まっすぐな視線に耐えきれず、睫毛を伏せる。


「でも、おれは…」

「君の家のことは、聖職関係者ならだいたい知ってる」


 それを聞いたリュエルは目を丸くして、今度こそ顔を背けてしまった。不意に右手を取られ、何やら封書を握らされる。こっそりと目をやると、

 ”リュエル・フラム”

 達筆な字で、自分の名前が書かれているではないか。驚く間もなく、アルシャの方へ向けていた横髪をさらりと耳にかけられた。


「フィーデルへおいで。待ってるよ」


  甘い声が、耳許でそっと囁く。リュエルは素晴らしい反応で耳を抑えて後ろへ下がった。顔が熱い。前髪越しに睨みつけると、アルシャはくつくつ笑った。嘲笑でも皮肉でもない。自然で、温かみすら感じられるような雰囲気だ。

 ――かつて睨みつけた相手に、このように笑われたことがあっただろうか。いや、ない。

 リュエルは動揺を悟られないよう、ますますまなじりを上げ、毛を逆立てる勢いで牽制する。


「ほら、綺麗な顔が台無しだよ」


 それがアルシャときたら、まったく気にせずスタスタやって来て、人差し指の腹で線の入った眉間をクリクリ押してくる。リュエルはこめかみに青筋を浮かせ、その指を掴み取った。


「誰のせいだと思って…ッ」


 勢いづいて口を開いたところで、はたと我に返った。近距離に、優しい雰囲気の端正な顔がある。そんな彼の爪先まで美しい指を、むんずと掴んでいる自分――。


「ぅわっ」


 リュエルはパッと手を離し、仰け反った。


「その反応は傷つくなぁ…」


 苦笑したアルシャが、こんな反応をされたのは初めてだとボヤく。そんな彼、今度は目に見えてしょんぼりしていた。思わぬ反応に、リュエルの視線が彷徨う。


「あー…、あんた、こんな所にいていいのかよ?」


 うっかり失念していたが、アルシャはカムナギという貴重な存在なのだ。


「大丈夫さ。僕が好きに動くのは、今に始まったことじゃないから。……ああでも、そろそろ行かないとな」


 アルシャは木々の向こうへ目をやり呟くと、改めてその瞳にリュエルを映した。


「またね」


 あのときと同じ、美しい微笑みを残して。

 リュエルは去りゆく後ろ姿を目で追う。封書を持つ手に、力がこもった。

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