第1話 ウタ紡ぎ

 リュエルは “ウタ紡ぎ” として活動している。それは成り行きだったが、自分にはそのような道しかないし、それでいいと思っていたのだ。

 ――あの日、アルシャと再会して…。

 唐突に、新たな道が目の前に示された。あのときは、突っぱねてしまったけれど。きっと、あの偶然の出会いから、ここへ続く流れが始まっていたのに違いない。


 あれはそう、寒い冬が過ぎ去り華やぐ季節。依頼を受けることに、慣れてきた頃のこと――。



「ここが例の森だ」

「”いかにも” って感じだな。リュエル、どうだ?」


 大きな灰色の瞳が窺うようにリュエルを見上げた。同い年のテオは《なんでも屋》の店員。仲介人として、ここにいる。


「そうだな…」


 リュエルは木々の向こうへ意識を集中させた。

 その森は、たしかに妙だった。通常、自然の中には精靈せいれいがたくさんいるのだが、その氣配があまりに薄かった。

 おそらく、精靈たちはこの森を離れつつある。

 精靈の輝きは生命エネルギーそのもの。それがなくなれば、大地は枯れる。


「あと数日なら」

「それは、数日後には手遅れかもしれないということか?」


 村長は長い三つ編みを揺らして、あわあわとリュエルに詰め寄った。

 リュエルはさりげなく後退し、青褪めた顔から目を逸らす。


「そのカムナギは、急いで来てくれるんだろ? それなら、その人に任せれば、」

「手遅れになっては困るのだ! 崩落した山もあると聞く」

「精靈の怒りで火山が爆発したとかな」

「テオ」


 リュエルが睨むと、テオはおどけて肩をすくめた。短く切られた前髪のおかげで、ひょいと上げられた短い眉毛までよく見える。


「すでに装置は止めさせた。皆、この森を大切に思っているんだ。……どうか、精靈たちに伝えておくれ」


 小さな村の住人からテオに依頼が来たのは昨日のことである。

 依頼書によると、村の西側の森の様子がおかしく、至急 “ウタ紡ぎ” を寄越してほしいとのことだった。どうやらその村は、人助けのつもりで、都会から来た研究者に土地を貸したらしい。近々カムナギが来る予定ではあるが、それまで山が持つのか気が気でないという。

 幸い、リュエルの予定もなく――リュエルはまだ学生だが、学問所へ行くことを強制されているわけではない――移動の陣が近くにある村だったので、翌日には現地に来られた。

 村長からにじり寄られたリュエルは後ろ頭をガシガシ掻いて、観念したように大きく息を吐く。


「おれは正式なカムナギじゃない。期待する結果にならないかもしれない。それでもいいなら、」

「いいとも!! 噂に聞きしリュエル殿。君は本物だ!」


 大柄な男が円らな瞳をキラキラ輝かせるので、リュエルの頬は引きつった。


「っわかったから。ここでじっとしていてくれ」

「頼んだぞ!」


 リュエルは村長を押しやり、テオに目をやる。小さく頷いた彼にこの場を任せ、静まりかえった森の奥へと足を進ませた。

 森は昼間なのに暗ぼったく、寒々しい。この華やぐ季節に、花はおろか葉の付いた木すら見当たらないのが妙だ。鳥の声も動物の気配もない。

 

(気味が悪いな)


 以前、精靈たちが人間の行いに腹を立て、あわや山火事という現場へ赴いたことがある。ここは真逆の様相だ。いったい、研究者とやらは何をしたのだろう。

 ――ふと、リュエルの脳裏に川のイメージが浮かんだ。魚がぷかぷか浮いている。なるほど、こんな水では生きられない。


「だからみんな、出て行く選択をしたんだな」


 リュエルは生気のない木にそっと手を当てる。

 そうして、ゆっくりと目蓋を閉じた。閃きのように音が降ってきて、唇から自然に発せられる。

 そうして紡がれるウタは、薄い硝子の欠片を拾い集めたような旋律だ。森の隅々まで、ゆっくりと浸透していく。それは、入り口付近でリュエルの帰りを待つ村長たちにまで届いていた。


「おお…! なんと儚い……あぁ…」


 村長からすると、罪悪感に押し潰されそうな音色である。

 研究者らは人々の役に立つ研究をすると言い、内容を説明してきた。小難しい言葉ばかりで、正直に言って理解不能だったのだ。それでも誠実そうに見えたので、住人たちは彼らを受け入れた。

 他所から来た彼らがこの地のことを何も考えていないとわかったのは、森に異変が起きてからだった。


「俺っちは森を大切に思ってきた。その心は、今も変わらねえ」

「そうだよ。あたしらも、この森と生きてきたんだ」


 村人たちは居ても立ってもいられず胸の前で指を組み、森に向かって心を尽くした。

 テオはシャツの胸元を握り締める。リュエルの声はあまりに綺麗で、何度聞いても胸が苦しい。

 最後の音が染み渡り、森に静寂が戻った。

 しばらくして、仄暗い森の奥からリュエルが姿を現す。


「リュエル殿! どうであろうか、精靈たちは…」


 前のめりな村長の緊張した面持ちを見上げ、リュエルはかすかに眉尻を下げた。


「ここの精靈たちは、みんなこの森が気に入ってた。誰も、出て行きたいなんて思ってなかったんだ」


 それでも、……いや、だからこそ、見ていられなくなって、ここを去ったのかもしれない。


「あんたらの心を知って、留まることにした精靈も一定数いる。……この森は、回復できる」


 村長の顔がパァーッと明るくなる。彼はおもむろに手を広げると、リュエルに突進する勢いで強く抱き締めた。


「よかっ、よかった! よかったぁ!!  ああありがとうリュエル殿…!」


 なんという腕力。胸板に激突した顔面が痛い。


「っ、ちょ、テオっ、笑ってないで助けろ!」

「ははっ、はいはいっと」


 そこかしこで歓声が上がり、すぐに祭りのような騒ぎとなった。


「兄ちゃんら、ここさ泊まってけ。 今夜はご馳走だ!」

「よし来た! リュエル、一晩くらい良いだろ? あー、家族に伝書飛ばすか?」

「……いい。ちょっと寝てくる」

「おー」


 リュエルは小さく欠伸し、お祭り騒ぎから抜け出した。

 ふと空に目をやれば、雲の合間から光が射して、きらきらと森を照らしている。

 美しい光景に目を細め、畑を横目に斜面を登ったところで、雑草が生い茂った一角を発見した。ほどよく木陰になっており、昼寝にちょうどいい。

 睡魔に負けて、リュエルはごろんと横になる。依頼を受けてウタを紡ぐと、いつもこうだ。


「テキトーに紡ぐときは、こんな事ないんだけどな…」


 森で感じた悲しみや怒りが、まだ胸に渦巻いている。目蓋を下ろせば草の香りに包まれ、身体に入っていた力が抜けた。そうしてリュエルは、泥のような眠りに就いた。

 ――ふっと目蓋を上げる。

 空が橙色になっていた。月が存在感を表し始めている。何時間も休んだはずだが、あまり寝た気がしない。

 リュエルはのそりと上体を起こし、小さく息を吐きだした。


「さむっ」


 ぶるりと身体が震えた。辺りはすっかり日陰になって、吹き抜ける風の冷たさが沁みる。リュエルはよいせと立ち上がり、暖かな光を求めて遠くへ目をやった。


「戻るか」


 そろそろ、テオが探しに来るだろう。

 斜面を降りていると、人の話し声が聞こえてきた。


「いや本当に。こんなに早く到着されるとは、」


 この声は村長か。もしかして、カムナギの一行が到着したのだろうか。数日掛かるという話だったが――。


「アルシャ、どうする。このまま向かうか?」

「一休憩した方がよいのでは」

「大丈夫。そこまで疲れてないよ」

「あー、そのー、急いで来ていただいたのに、申し訳ないのだが…、」


 話し声に集中して無意識に足を動かしていたところ、民家の角を曲がったところで、リュエルは彼らと出くわした。


(やばっ、)


 金髪の青年がリュエルを捉え、息を呑む。

 橙色の世界で暖色の輝きを放つその衣装は、青空の下では柔らかな白に違いない。マントの裏生地は黒色で、表の白を際立たせていた。


『アルシャ、どうする』


 ――アルシャ。アルシャ・ルーマ。その名は、リュエルも知っている。アルシャは巷で有名な、優れたカムナギを輩出する名家の御曹司なのである。


「リュエル…?」


 かすかな声が耳に届いて、リュエルは目を瞬いた。


「……実は、彼に頼んで、事を納めた次第であって」


 村長は額に浮かんだ大粒の汗を忙しなく拭う。そのときアルシャの背後から眼鏡の人が歩み出て、腕を組んだ。


「なるほど。最近噂を耳にするようになった “彼” ですね。道理で、妙だと思いましたよ」

「本当にオレらより年下っぽいな。大したもんだぜ」


 眼鏡の隣でひょっこりと顔を覗かせた赤髪の人が、ニッと笑った。


「ですが聖界では、彼の活動を問題視する声が大きいです。彼はカムナギとして、公認されていないのですから」


 聖界とは、カムナギを中心に発展した貴族社会のようなもの。

 リュエルは聞かなかったことにして、その場を立ち去ろうとした。


「っリュエル。リュエル・フラム」


 振り返ってしまったのは、衝動に近い。

 早くも暮れそうな空の下、最後の光を身に纏い、煌めく金髪。アルシャの口から溢れ出た声が、まだ辺りを漂っている。

 逆光で顔が見えない。彼はいま、どのような表情をしているのだろう。

 ――沈黙を破ったのは、村長だった。


「リュエル殿、この方はアルシャ・ルーマ殿。いやぁ、お目にかかれて光栄、光栄。アルシャ殿が来られると知っていたら…。いやいや、リュエル殿にはもちろん感謝している!」


 村長は、話しながらアルシャへ向いた顔をリュエルに戻し、今度はアルシャの両脇に控えている二人の方を向いた。


「我々には聖界のことはわからんが、彼を責めないでくれ。頼んだのはこちらなのだ」


 すると、眼鏡をカチリと上げて左側の人が言う。


「責めませんよ、我々は。アルシャが彼を肯定的に捉えているので」

「だな」


 右側の赤髪が肩をすくめた。そこで眼鏡の人が、真っ直ぐにリュエルを捉える。


「とはいえ、忠告はしておきます。聖界には、過激な者もいるのです」

「……そりゃどうも」


 リュエルは顎を引き、撫然と応えた。

 ぎこちない空気の中、ふと、アルシャが口を開く。


「いっそのこと、正式なカムナギになってしまえば?」

「たしかに、リュエル殿は公認されていないのがむしろ不思議であるな…」


 村長が腕を組んでフムと唸る。突然の提案に困惑したのはリュエルだ。


「おれは、……このままでいい」


 そっぽを向いて、どうにか答えた。


「志があるなら推薦状を渡すよ。それがあれば、フィーデルに入学できる」


 フィーデルは聖界が誇る全寮制の学び舎だ。カムナギを目指すには、うってつけの場所である。しかしリュエルは首を振り、ありがたい申し出を断った。


「ただでさえ学び舎ってやつは、窮屈で仕方ない」


 集団行動は性に合わないし、人との関わりは億劫で、勉強も好きではない。そんなわけで、地元の学問所にもろくに通っていないリュエルである。


「……例の森とは、あちらに見える?」


 さっさと行ってしまったリュエルに肩を落としたアルシャは、苦笑して話題を切り替えた。

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