『熱狂的ファン』
死んだ父の部屋で、俺は途方に暮れていた。
父は突然、心臓発作で逝ってしまった。享年68。
まだまだ元気だと思っていたのに、人生なんてあっけないもんだ。
父は地域医療に貢献してきた内科医で、近所では評判の良い医者だった。
そんな父の形見分けのために、俺は父の部屋を整理していた。
骨董品や絵画には興味がなかった父だが、読書が趣味だったこともあり、本だけは大量にあった。
俺は妙に本棚が気になっていた。
正確には、本棚の横の壁に溶け込むように隠された扉だ。
子供の頃、その扉の事をしつこく聞き、こっぴどく怒られたことがある。
その扉の鍵は、生前に父が大事に持っていた御守り袋から、すんなりと見つかった。
父が医者だったこともあり、何か特別な医学資料でも隠しているのかと、俺は少し期待した。
鍵を開け、扉を開けると、その空間には大量のブロマイドやレコード、雑誌の切り抜きが、まるで美術館の展示物のように並んでいた。
そこには、昔のアイドルの姿があった。
父がこんなに熱狂的なファンだったとは知らなかった。
地域のお医者さんとして、いつも真面目で誠実な姿しか知らなかった父の意外な一面に、俺は少し微笑んだ。
しかし、その微笑みは次の瞬間、凍りついた。
コレクションの中心に、異様な存在感を放つ小さな小瓶があったのだ。
透明なガラスの小瓶の中には、まるでゼリーのような、薄いピンク色の塊が浮いていた。
おそらく何かのホルマリン漬けのようだ。
父の職業柄、ホルマリンくらい容易に手に入れることができたのかもしれない。
背筋に冷たいものが走った。
俺はなんとなくスマホを取り出し、そのアイドルの名前を検索した。
彼女は1980年代に絶大な人気を誇っていた。
そして、すぐに彼女の壮絶な最期を知った。
彼女はコンサートの直後、ビルの屋上から飛び降り自殺を遂げていた。
そして、その検索結果の片隅に不気味な噂が載っていた。
「熱狂的なファンが、地面に飛び散った彼女の脳の一部を持ち去った」
まさか、父が?
あの常に冷静で理性的な父が、そんな狂気じみた行為を?
小瓶のラベルに書かれた日付に目を移す。
アイドルの死亡した日付と一致している。
小瓶を握りしめ、俺は部屋の中を見渡した。
壁に貼られたアイドルのポスター、まるで俺を見つめているかのような笑顔。
レコードのジャケットに描かれた無垢な瞳。
それらが、一気に責め立てているように感じた。
父が医療知識を悪用して、この小瓶を作ったのかと思うと、吐き気がした。
俺は警察に連絡すべきだろうか?
でも、そんなことをしたら、父は「自殺したアイドルの脳を盗んだ狂人」として、世間に知れ渡ってしまう。
死んでまで、そんな汚名を着せることはできない。
父が築き上げてきた医者としての名声も、すべてが崩れ去ってしまう。
そして、俺たち、残された家族も「狂人の家族」というレッテルが張られてしまう。
しかし、この小瓶をこのままにしておくこともできない。
小瓶の脳の一部は、まるで生きているかのように微かに揺らめいていた。
この瓶の中には、彼女の最期の記憶が閉じ込められているのだろうか。
それとも、父の熱狂的な愛が宿っているのだろうか。
通報するか、しないか。
永遠に答えを出せそうにない問題が、俺の心を蝕んでいく。
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