第42話 大事なお話はアザラシと共に 前編

 ラーメンを食べ終えて、風呂から上がった後、俺は自分の部屋に戻った。


 いつも通りの、見知った俺の部屋。

 だが、今は明麻絵が座りながら待っていた。



「お風呂、せっかくなら一緒に入りたかったです」

「女子がそんなことを言うではない」



 大胆がすぎるぞ。

 ただでさえ、恋人が俺のテリトリーにいるだけで落ち着かないというのに。


 

「わたし、透明人間ですよ? 御手くんはメガネをかけないと見えませんから」



 確かに、一緒にお風呂に入っても、俺は彼女の裸体が見えないだろう。

 

 

「それでも、俺は見られるだろ」

「恥ずかしいんですか?」

「俺も一応、15歳の男児だぞ」

「放課後の教室で出会った時、わたしに裸で土下座していた人がよく言いますね」

「……あの時はお前を異性として見ていなかったからな」

「…………そうですか。わたしはあの時から意識してましたよ」

「尻に鼻息かかってたよな」

「ええ、ついつい」



 なんだか妙な雰囲気だ。

 俺は今、いかがわしい目的でここにいるわけではない。


 なんとかして軌道修正せねば。



「それで、なんで俺の部屋なんだ?」



 今回の目的は明麻絵の過去の話を聞くこと。

 彼女の部屋の方が適していると思うのだが、俺の部屋が指定されたのだ。


 

「わたしの部屋だと、真面目な話ができる雰囲気ではありませんから」



 アニメグッズやゲームにあふれ、散らかり放題の部屋。

 たしかに、シリアスな雰囲気には不向きだ。


 しかしな。



「それは俺の部屋もあまり変わらないんだがな」

「……もっと質実剛健な部屋かと思っていましたよ」

「プライベートな空間ぐらい、癒しを追求したいのだ」

「それで、アザラシですか」

「ああ。アザラシはいいぞ」



 俺の部屋は、アザラシのぬいぐるみやポスター、写真集に埋め尽くされている。

 無論、スマホのストレージもアザラシでいっぱいだ。

 普段は表にあまり出していないが、俺はアザラシが大好きなのだ。

 月に一度は近所の水族館に通い、アザラシを見て一日を過ごすことも少なくない。


 寝ている姿も、渇いている姿も、茶柱のように泳いでいる姿も、換毛途中の姿も、エビフライのような幼い姿も、なにもかも愛おしくて仕方がない。

 将来は水族館で働きたいとさえ考えている。

 


「すごい量です。いつからなんですか?」

「物心ついた時からだな。アザラシはいいぞ」

「へー。もう遺伝子レベルじゃないですか」

「ああ、アザラシはいいぞ」

「アザラシのどこが好きなんですか?」

「筆舌に尽くしがたいが、アザラシはいいぞ」

「どの種類が特に好きなんですか?」

「どれもすばらしいが、アザラシはいいぞ」

「さっきから、その『アザラシはいいぞ』ってなんですか」



 これには深い事情があるのだ。


 

「昔、アザラシについて語りまくったら、親父に本気でキレられたことがあってな……。それ以来、語りすぎないように、すべての想いを『アザラシはいいぞ』に詰め込むようにしているのだ」

「一体どれだけ語ったんですか……」

「半日は軽く、な」

「それは誰だってキレますよ」



 今では懐かしい思い出であるが、反省はしっかりしている。



「あの、御手くん」

「なんだ? お腹を見せつけて」



 眠くなるではないか。


 

「わたしってアザラシっぽくないですか?」

「まあ、近い部分はある」

「わたしとアザラシを重ねていた部分」

「いや、アザラシと人間は別だ。雰囲気や寝顔は似ていると思うがな」

「あ、そこはきちんと分けているんですね」

「人間ごときがアザラシ様に並び立てると考えるなど、完全な不敬行為だ」

「かなり厄介オタクな理由だった……!」



 この世界はアザラシを生み育てるために存在しているのだ。



「なんだか、御手くんの色んな一面が見れておもしろいです」

「そうか? アザラシしかないぞ」

「一途な人だなー、って感じです」

「……まあ、否定はしない」



 頑固ではなく一途。

 言い方次第だが、明麻絵に言われると何故か嬉しく感じてしまう。


 

「そんな御手くんの恋人になれて、わたしは幸せですよ」

「……そうか」



 紙透明麻絵という女はなぜ、こうも恥ずかしいことを平然と言ってのけるのだ。



「御手くん」



 ふと、明麻絵の声の揺らぎが、変わった。



「そんな御手くんに聞いてほしいんです」

「……ああ」



 真剣な顔。

 和やかな空気が、徐々に引き締まっていくのを肌で感じる。

 


「なんの話なんだ?」

「わたしが忍者として挫折して、太ってしまったきっかけの話なんです」

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