第30話 永遠の愛という名の、冷たい牢獄

 俺たちは、子供の手を引き、都の中心部へと向かっていた。侯爵家の門を出た瞬間、周囲の空気は一変した。


「リ・ユエ、これが子供の心の不安が生み出した現象か…」


 俺は息をのんだ。目の前の通りは、完全に静止していた。


 街路樹、建物、馬車、そして人々。全てが淡いピンク色の光を放つ結晶に覆われている。結晶はダイヤモンドのように硬質で、太陽の光を反射して、街全体を異様な輝きで満たしていた。


「見てください、シン・ジエン」


 リ・ユエが指差す。結晶の中の人々は、笑顔を浮かべたまま動かない。互いの手を握り合い、顔は幸せそうだが、その瞳には生命の光がない。


「彼らは、『永遠の愛』という名の幻想の中に閉じ込められています」リ・ユエは冷静に解析する。「この結晶は、彼らの不完全な感情を排除し、『愛は永遠で完璧である』という子供の無意識の願望を具現化したものです」


 馬車の御者は、鞭を振るう直前で時が止まり、隣に座る女性にキスをしようとする男は、唇が触れる寸前で静止している。全てが、美しいが冷たい、永遠の標本と化していた。


「恋人の名前すら忘れているというのは…」


「はい。個人の記憶や葛藤は、愛の不完全性を示す要素です。それを全てシステムから削除し、『永遠の愛』という状態だけを残した。これは、感情の死です」


 リ・ユエの分析は正確だ。子供は、愛する人がいつか自分を捨ててしまうかもしれないという恐れから、永遠という名の冷たい牢獄を作り出してしまったのだ。


「この結晶に触れるな、リ・ユエ。異能を使っても、破壊できない」


「承知しています。愛によって生まれた現象は、より大きな愛でしか修復できない。破壊は、子供の心を永遠に傷つけます」


 リ・ユエの眼差しは、凍りついた街ではなく、子供に向けられている。彼はもう、力で解決する異能者ではない。愛の論理で解決する父親だ。


 その時、子供は結晶に覆われた街を見て、初めて事態の深刻さに気づいたようだ。


「これ…僕がやったの…?」


 子供の小さな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「あのね、ママとパパが、いつか僕のこと嫌いになっちゃうのが、怖かったの…だから、ずっと一緒がいいって…」


 子供の嗚咽が、静寂の街に響き渡る。


「そうだ。お前の気持ちはわかる」


 俺は子供の小さな身体を抱きしめた。


「だがな、永遠の愛なんて、この世にはないんだ。愛は、毎日『今日』もあんたを愛すると選び続けることで生まれる。それが、不完全な愛の奇跡だ」


 リ・ユエも子供の隣に膝をついた。彼の瞳は、かつての狂気ではなく、深い共感に満ちていた。


「この結晶は、私と君が、過去に恐れていた孤独の具現化です。愛が永遠でないからこそ、私たちは昨日よりも今日、強く結ばれることを選びます」


 リ・ユエの言葉は、かつて世界の鎖に縛られていた彼の孤独な魂からの、切実なメッセージだった。


「さあ、子供。もう大丈夫だ。君の力で、この冷たい幻想を溶かしてやろう。私たちと一緒に、不完全だけど温かい現実に戻るんだ」


 俺たちは、子供の手を取り、愛の暴走が生み出した冷たい結晶へと、歩みを進めた。

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