第6話 リ・ユエの「鎖」と、悪役令息の書庫
俺とリ・ユエは、シン・ジエン侯爵家の広大な屋敷の一室にいた。リ・ユエは警戒を解いていないものの、俺の提案に乗った以上、行動を共にせざるを得ない状況だ。
「ここが、この屋敷の『知の要塞』だ」
俺が指し示したのは、シン・ジエン家の広大な私設書庫。壁一面に天井まで届く書架が並び、古びた紙とインクの匂いが満ちている。ゲームでは、悪役令息が主人公を罠にかけるための資料を探す場所だったが、今、俺は全く別の目的でこの場所に立っている。
リ・ユエは無言で書架を見上げた。彼の視線は、背表紙の文字を追うというより、その奥にある空間の歪みを探っているようだった。
「あんたの『鎖』――その呪文に関する手がかりを探す。古代の異能や、この世界の成り立ちについて記された文献があれば、何かヒントがあるはずだ」
俺は袖をまくり上げ、早速書架の奥へ進む。リ・ユエは、その場から動かず、静かに問いかけてきた。
「…君は、本当にこの世界の救済を信じているのか? それとも、私を利用して、破滅を回避しようとしているのか」
その質問に、俺は立ち止まり、振り返った。
「元々は、破滅回避が目的だった。だが、もう違う」
俺は一つ息をつく。
「シン・ジエンの破滅ルートなんて、所詮、ゲームの小さなシナリオだ。あんたが背負っているのは、この世界そのもののバッドエンド。より大きなバッドエンドを前にして、小さな破滅なんてどうでもよくなった」
俺は、一冊の古びた文献を引き抜く。その表紙には、見慣れない象形文字が刻まれていた。
「俺は、システムのエラーを解決するのが仕事だった。そして、あんたは今、世界最大のエラーだ。このエラーを放置したら、俺自身も含めて全てが消える。だから、これは俺自身の生存戦略でもある」
リ・ユエは、俺の言葉にわずかに目を細めた。彼の口元に、微かな笑みが浮かんだように見えたが、すぐに消えた。
「実に論理的だ。私を利用すると、明確に宣言している」
「当然だ。俺には、あんたの狂気的な力を制御する知略しかない。あんたの力と俺の頭脳。それが、この物語をハッピーエンドに導く唯一のチート能力だ」
俺はそう言って、再び書架に向き直る。
「さて、この古文書だ。古代の異能に関する記述がある。リ・ユエ、あんたが能力を使うときに呟く呪文を、もう一度教えてくれないか?」
リ・ユエは、一瞬ためらった後、極めて低い声で、その音を発した。それは、耳慣れない音の連なりだったが、不思議と体の中に響くような振動があった。まるで、この世界の初期設定を呼び出すコマンドのようだった。
俺は、その音を何度も反芻し、古文書の象形文字と照らし合わせていく。シン・ジエンの卓越した頭脳と、前世の俺の分析力が融合し、思考が加速する。
「見つけた」
数刻後、俺は一冊の分厚い文献を広げ、声を上げた。そこには、リ・ユエが呟いた音と酷似した文字が記されていた。
『天啓の柱と、その贄』
「『贄』だと…?」
リ・ユエは、静かに俺の隣に立つと、その文字を覗き込んだ。彼の瞳に映る文字は、まるで彼自身の運命を示しているようだった。
「この文献によると、あんたの呪文は、世界を維持するための『盟約』だ。そして、その盟約を結んだ者は、世界の柱となる代わりに、その魂と命を、世界に『贄』として捧げなければならない」
俺はリ・ユエを見上げた。彼の瞳は、絶望的な孤独の色を帯びていた。
「…知っていた。だから、私はこの世界を救う義務があると、諦めていた」
リ・ユエがそう呟くと、彼の周囲の空気が再び重くなる。世界を壊しかねない、不安定な力が渦巻き始めていた。
「待て! まだだ!」
俺は慌てて、古文書のさらに奥のページをめくった。そこには、小さな注釈が付け加えられていた。
『ただし、贄の魂を鎖から解き放つ術が、一つだけ存在する。それは…』
俺は、その注釈に記された、たった一つの可能性を信じ、リ・ユエに告げた。その言葉は、リ・ユエの狂気を一瞬で鎮め、彼の瞳に、初めて希望の光を灯すものだった。
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