第5話 悪役令息の地獄の説得術

 リ・ユエが俺の手を取った瞬間、周囲を覆っていた張り詰めた空気がわずかに緩んだ。しかし、それは一時的なものだと俺は知っている。


「で、だ」


 俺はリ・ユエの手をしっかりと握り、広場から少し離れた、比較的建物の被害が少ない路地へと彼を引っ張った。


「まずは、あんたの力を本当に制御するための具体的な方法を見つけなきゃならない。あんたの狂気がまた暴発したら、俺の『新たなプロット』どころか、この都全体が瓦礫の山だ」


 リ・ユエは、まるで慣れない場所に連れてこられた子どものように、周囲をきょろきょろと見回している。その視線には、いまだ警戒の色が残っていた。


「私の力は、制御できない。この世界の『嘘』が濃くなるほど、増幅する」


 彼の声には、深い諦めが滲んでいた。


「その『嘘』ってのを具体的に教えてくれ。俺には、この世界が本物としか思えないんだが」


 俺は、袖についた砂埃を払いながら、彼に問いかけた。


 リ・ユエは壁にもたれかかり、遠い目をする。


「例えば、この街の風景。鮮やかで美しい。だが、俺の目には、歪んだ光の集合体に見える。そして、お前が転生してきたこと。それは、この『物語』の綻びであり、嘘の最たるものだ」


「なるほど、デバッグモードってわけか」


 俺は思わず口に出た言葉を慌てて訂正した。


「つまり、あんたの能力は、世界のエラー検知システムでもあるんだな。俺の存在がエラーとして検知され、世界を維持しようとするあんたの能力が過剰に反応して暴走する、と」


 リ・ユエは初めて、俺の目を見て、わずかに驚いたように頷いた。


「…君の解釈は、的を射ている」


「よし、じゃあ仮説だ。あんたが呪文を唱えるのは、世界システムへの強制再起動(リブート)コマンドじゃないのか?」


「…」


「再起動を繰り返すことで、あんた自身に負荷がかかり、心が摩耗している。だから、狂気じみた行動になる。違うか?」


 リ・ユエは、目を閉じ、ゆっくりと呼吸をした。その呼吸が、彼の抱える孤独の重さを物語っているようだった。


「…その呪文は、私とこの世界を『結びつける鎖』だ。唱えるたびに、私の魂を世界に引き寄せる」


 彼は静かに答えた。その「鎖」という言葉に、俺の胸は締め付けられた。


「リ・ユエ」


 俺は彼の腕を掴んだ。彼の身体は相変わらず冷たかった。


「あんたは、世界を維持するために、あんた自身を犠牲にしているんだ。そんなもん、ハッピーエンドなわけがないだろ」


「だが、他に術がない。放っておけば、この世界は…」


「だから俺がいる!」


 俺は声を張り上げた。周囲を警戒するリ・ユエの瞳に、再び俺の姿が映り込む。


「俺は、非力な悪役令息だ。だが、あんたの力の源が分かれば、俺の知略で、あんたを世界から切り離す方法を見つけてみせる。あんたは、世界を救う義務なんてないんだ」


 リ・ユエは、俺のその言葉に、初めて人間らしい動揺を見せた。彼の瞳の奥に、幼い頃の諦めや、長年の苦しみが垣間見えた気がした。


「…私の知る限り、その方法はない。世界を維持するには、私の命と魂が不可欠だ」


「それでもだ! あんたは、俺の『新たなプロット』の主人公だ。この物語の結末は、俺が決める。そして、その結末は、あんたが世界に縛られずに、自由に生きることだ」


 俺は、彼の手を握りしめた。瓦礫の街で、悪役令息と世界の柱の、運命を覆すための最初の約束が交わされた瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る