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 食堂で、エレノアねえさんは杖を席の後ろの壁に立てかけていたが、ばたんと倒れてしまい周りの人を驚かせていた(クリスティーナさんは杖をテーブルの隅に置いていた)。

「まあねえ、よく言われるのよ、大きすぎて邪魔だって。でもね、ユウ、私がこの杖を選んだのには、理由があるの」

 エレノアねえさんは、真剣な顔を俺に向けた。「これは、私の大切な夢を叶えるのに必要なものなの」

「夢?」

「ええ、でも、もう、あきらめている夢……」

 エレノアねえさんは悲しげに、首を横にゆっくりと振った。

「そんなもったいぶらないで教えてよ」

「しょうがないわね。駄々っ子のユウに教えてあげる」

 やれやれ、という感じで肩をすくめると、エレノアねえさんは語り出した。「あのね、クリスティーナと一本の杖に乗って空を飛び回ることが、小さいころからの私の夢だったの。あ、ちなみに私たち、幼馴染みよ。でもね、私、ある日気づいてしまったの。杖に乗って空を飛んでいたら、クリスティーナのかわいいお尻が下から丸見えだわってね。ヨダレたらしたゲスな連中の目、想像しただけでぞっとするわよ。というわけで、私は夢をあきらめたけれど、なんだか杖はね、二人で乗れそうな大きいのを選んじゃったってわけ」

 木々の葉の隙間から空を眺めるように上を見ていた、頬をほんのりと赤くしたクリスティーナさんに、じゃあこれで、と声をかけてから、俺はその場を去った。ちょっと、ユウ、私の話、理解したー? というエレノアねえさんの声を背中で聞きながら。


 なんだかしょうもない話まで思い出してしまった。俺はため息をついて目を閉じた。すると、そこでスコンと意識が途切れた。

 どうやら、本格的に疲れていたらしい。

 目が覚めると、夜だった。

(何時だろう)

 部屋の中はそこまで暗くなかった。ドア近くの棚の上にあるランプが灯っているのだ。ぼんやりとしたオレンジ色の光。

(管理人の人がつけてくれたのかな?)

 起き上がって、スリッパを履いてベッドから離れた。テーブルの上にも大きめのランプがあるが点いていなかった。なんとなく手を伸ばして触れたら、光った。ドア横のものよりも明るい。

(なんだ、これ)

 俺は顔を近づけた。台座の上にガラスの覆い、中央に筒があり、その中に光る固形の物体が入っている。もう一度ガラスに触れると光は消えて、また触れたら点いた。

(魔法の道具ってやつかな)

 部屋の中を見渡すと、テーブルの上のランプのおかげで壁の時計が見えた。午後八時十五分。管理人室に誰もいない時間だ。食堂はどうなんだろう。開いているかもしれないけれど、そんなにお腹はすいていない。

 また寝てしまおうかと思ったが、目が冴えていたので、風呂に入った。そのあと着た寝間着は、ワンピースみたいな形だった。外国の古い時代が舞台のドラマで登場人物が着ていそうなやつだ。

 浴室を出て、言われていた通り、衣類や靴の入った籠を部屋の外に出してから、テーブルの上のランプを消して、またベッドに寝転がった。

(……俺の身元が確定するのに、どのくらいかかるのかな)

 待っている間、何をしよう。

 掃除は、俺が部屋にいない間に係の人がやってくれると、食堂でクリスティーナさんが教えてくれた。洗濯も。ユウは好きなことをしていればいいわよ、とエレノアねえさんは言った。

(図書館の場所を教えてもらって、本を読んだりすればいいのかな)

 でも、なんのための本を読めばいいんだろう……。

 頭の中で、いろんな考えがくるくる回り出す。

 今日がこんな日になるなんて、朝起きたときは全然思わなかったな。当たり前だけど。あれ? 俺、午後に、学校帰りに連れて来られたのに、こっちで昼飯食べたぞ。時差かな……。

 俺って、本当に、ルーク様と同じ年に異世界に行ったのかな。その四年前に、赤ん坊のときに異世界に行った誰かってことは本当にないのかな。ああ、それだと向こうで養子ってことになるし、こっちですぐ字が読めるってことにならないんだっけ……。

 魂で転移して、産んでもらえても、両親とは他人だったんだな。そう言えば、俺って、両親と似てないってよく言われてた。でも、母さんのじいちゃんとなんか似てたから、隔世遺伝だって、じいちゃんいつもうれしそうに言ってたな。じいちゃん、俺が本当の孫じゃないって知ったらショックだろうな。やっぱり、そういうことあるなら、もう向こうに行かない方がいいんだろうな……。

 こっちの俺の親だって人はどんな人なんだろう。何か理由があるかもってエレノアねえさんは言ってたけど、捜索願を出してないなら、俺が帰って来たって聞いたら困るんじゃないかな……。

 そう言えば、俺の服の切れ端を持ってた人って誰なんだろう。なんで持ってたんだろう。親の知り合いとかなのかな……。

 ああ、それに……。でも……。

 次から次に考えが浮かぶ。けれど、どれも、心が浮き立つようなものではなかった。

 ため息をついて起き上がった。何も考えないよう眠りに落ちたい気分だったけれど、眠くならない。

 ベッドから降りて、窓辺に行った。ガラス越しに、夜空が見える。窓を開けた。少しひんやりとした空気が入って来た。昼間は冷えを感じなかったけれど、今は秋ってところかな。向こうの世界と同じだ。

 ぼんやりと外を眺めた。星や月のある夜空はきれいだ。迎賓館の前には庭があって、奥には森のような木々がある。ふと顎を引くようにして下を見たら、歩いている人がいた。

(あ)

 後ろ姿だけれど、少し離れたところにいるけれど、昼間と違って、マントかな? 上着を身につけているけれど、背中で分かった。

「クラウスさん!」

 俺は叫んだ。

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