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「ねえ、私たちの部屋に来る? 川の字で寝てあげるわよ」
「嫌だよ」
エレノアねえさんのからかいへの俺の即答に、クリスティーナさんがくすりと笑って、
「クラウス、近衛隊の宿舎の一室に泊めてあげてはどうでしょう?」
「いや、あんなむさ苦しいところでは」
クラウスさんが驚いたように言った。
「あら、じゃあ副隊長のあなたの部屋は? 広いでしょ? 一緒に寝られるぐらい、ベッドも大きいんじゃない?」
「いや、それは」
エレノアねえさんの言葉は、明らかにクラウスさんを困らせている。そりゃそうだよな。何者かまだ確定していない得体の知れないやつを泊めるのは考えるよな。何しろクラウスさんは近衛隊の副隊長なんだから。警戒して当然の立場だよな。
「エレノアねえさん。俺、いいよ、どこでも。屋根裏部屋とか、使用人部屋ってやつかな、そういうの、空いてないの?」
エレノアねえさんは、驚いたように目を見開いた。
「何言ってるのよ、馬鹿ね、クラウスの部屋なんて冗談よ。ちゃんとした部屋を用意するわよ」
「冗談だったの!?」
「そうよ。まったく、素直に受けとり過ぎよ」
そう言うと、エレノアねえさんは両腕で俺の頭を抱え込んだ(ちなみにエレノアねえさんとクリスティーナさんはけっこう背が高いうえに、ヒールのある靴を履いているから、俺とどっこいどっこいの身長状態だ。俺だって背が低い訳ではないよ)。
「いたっ、いたっ」
「そんなに、力入れてないわよ」
「その杖が当たるんだよ」
「ああ、ごめんごめん」
腕をほどいたエレノアねえさんが笑った。クリスティーナさんも笑った。クラウスさんは、
「では、私はこれで」
とほほ笑んで言うと、俺たちに背を向け、歩き出した。じゃあね、とエレノアねえさんが声をかけたが、クラウスさんは振り返らなかった。
俺は、その軍人らしいまっすぐな背中が、建物の角を曲がるまで見送った。それから、空を見上げた。
「エレノアねえさん……」
「何?」
「俺さ、一回だけ、あっちに戻れないかな?」
俺はエレノアねえさんと目を合わせて言った。「移動の魔法、つまり異世界来訪魔法ってやつがさ、どんなに大変なものか、よく分かったよ。でもさ、俺、ふっ飛ばされて空見たとき、一瞬だけ、あっちの世界が頭に浮かんだんだ。死ぬ前に、もう一度みんなに会いたいって気持ちだったんじゃないかって思う。だからさ、ほんの一瞬だけでもいいから、あっちに連れて行ってもらえないかな。手紙を置ける時間だけあればいいから。今までありがとうって、伝えたいんだ」
「そう。それがあなたの気持ちなのね」
エレノアねえさんは、真剣な顔で頷いた。「ユウ。あなたの言う通り、異世界来訪魔法は難しい高度な術よ。体に合わない異世界の空気に耐えなければならないしね。でも、正直言って、あなたを一瞬だけでなく、挨拶回りさせてあげられる時間ぐらいは滞在できるわ」
「え? そうなの!? あれ? エレノアねえさん、俺を迎えに来たとき、すげえ急いでなかった?」
「そうよ、だって来訪してすぐに出会えなかったから、決められた滞在時間ぎりぎりになっちゃったんだもの。ほら、あなたの魔力って、かすかだったでしょ。目星付けたところに移動を繰り返してやっと見つけたのよ。競馬場ってとこに移動したときは参ったわ。派手な服を着た人を乗せた馬が、大群で突進して来るんだもの」
「なんでそんなとこにいるって思うんだよ!? 競馬場にいた人たちびっくりだよ!」
「だから難しい魔法だって言ってるでしょー。ま、いいわ。そんなことより、ユウ、はっきり言うけれど、その会いに行ったり、手紙届けるってやつ、無意味よ」
「は?」
「忘れてしまうんですよ、ユウ」
クリスティーナさんが言った。「失踪者がこちらの世界に戻って来ると、あちらの世界で親しかった人たちは、失踪者のことを忘れてしまうんです。最初からいなかったことになる、ということではなく、徐々に忘れてしまうんですよ」
うんうん、とエレノアねえさんが頷く。
「そういうのを調査しに行くのも、魔法使いの仕事なのよ。面白いのよ。記憶が変わって行くのよ。例えば、あなたは友だちの前で消えたけれど、彼らはそのことを次第に忘れ、あいつ、転校したな、転校したやついたよな、転校したやつなんかいたっけ、って感じでどんどん存在を忘れて行くの。親もそうね。失踪した、留学している、そう言えば以前親戚の子を預かっていたわよね、誰だっけ? そうそう、さっきの競馬場にいた人たちも、今頃なんか幻見たようなとか思ってるわよ」
「ちょっ、ちょっ、待ってよ、じゃあ、写真とか物はっ!? あったら変じゃん」
「そういうのは、忘れて行く過程で処分されて行くようなの。だから、あなたが手紙を置いても、いずれ何かしらこれって捨てられる可能性が高いわ」
「そんな、なんか、悲しすぎるよっ」
俺は叫んだ。が、
「大丈夫よ。だって、あなたも忘れるから」
エレノアねえさんが、さらりと言った。
「は?」
「あなたも向こうの記憶が徐々に消えて行くの」
「そうなんですよ、ユウ。異世界にいた、という事実は忘れませんが、過ごした日々のことは忘れてしまうんです。だから帰還者には、なるべく早く向こうの世界でのことを語ってもらわなければなりません。明日から、聞き取り調査に協力してくださいね。私たちがすべての異世界に目を配ることはなかなかできないので、帰還者が運んでくれる最新情報は貴重ですから」
二人の魔女はとても淡白な物言いで、俺は、はい、と頷くしかなかった。
その忘れるって話、一番重要なことのような気がするんですけど! と心の中で叫びながら。
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