第36話「暴れ馬、駆ける」
――エウロパ連合・ルーティア基地・司令部棟。
冷たい朝の空気が満ちる会議室に、重い靴音が響いた。
扉が開き、戦術研究所の紋章を付けた男が二人、護衛を従えて入ってくる。
一人は細身の長身で、鋭い目をした男――エンリケ・ナバロ中佐。
もう一人、無駄に気取った笑みを浮かべる副官――マルセロ・ヒメネス大尉。
その背後には、無言のまま黒い軍服を着たミハエル・ファフナー少佐が続いていた。
「今日からこの基地は我々の指揮下に入る。」
ナバロが我が物顔で椅子に腰を下ろすと、ヒメネスが端末を操作して作戦図を映し出した。
「では説明を始めよう。目的はノースブリッジの制圧だ。」
スクリーンに映し出されたのは、簡潔すぎる戦術図。
中央に赤い矢印が一本、スレイプニルを中心に敵陣へ突き刺さるだけの線だった。
「……正面突破ですか?」
ミハエルが眉をひそめる。
「かの戦術研究所発案にしては、随分と単純な。」
「単純で何が悪い?」とナバロ。
「スレイプニルの存在を最も誇示できる、効率的な方法だ。」
ヒメネスがにやりと笑う。
「是非とも貴官の“暴れ馬”捌き、見せてもらいたいものだ。」
「……要は、スレイプニルを使いたいだけか。」ミハエルは呆れたように吐き捨てる。
「それもあるが、敵がスレイプニルに魅了されるほど、本隊は無傷でノースブリッジへ侵攻できる――そういう理屈だ。」
「結局、我々は囮というわけか。」
「名高い“シュヴァルツ・アドラー”様のために機体も黒一色にしてやったんだ。しっかりお役目果たしてくれよ。」
ナバロの一言一言が、薄い硝子を掻くのように神経を逆撫でした。
研究所出の高慢で陰湿な態度――ミハエルだけでなく、同席していたルーティア駐屯部隊の士官たちの顔にも不快の色が浮かぶ。
「それでスレイプニルを“使いこなせる”ようになったのかね?」とヒメネス。
ミハエルはゆっくりと立ち上がり、淡く笑った。
「それは実戦で――お目にかけよう。」
その声音は冷ややかで、会議室の空気が一瞬にして張り詰めた。
――ノースブリッジ前線・司令本部。
モニターに映る戦況図を見つめながら、ダグラス・マクレガー大尉は顎に手を当てた。
胸の奥にまとわりつく不安――。
「……やはり、嫌な予感がする。」
隣で控えるオリバー・ステント軍曹が応じる。
「何か掴まれたのですか?」
「いや……理屈じゃない。だが北の空気が変わった。嵐が来る。」
ダグラスはすぐにオセリス大佐へ増援要請を打診する。
だが返ってきた答えは冷たかった。
「すまん。現状、戦力の分散は不可能だ。……だが、こちらもノースブリッジの危うさは理解している。」
通信の向こうの声には、わずかな焦燥が混じっていた。
――それが、嵐の前触れであることを誰も疑わなかった。
――ノースブリッジ東方・カリビア山脈。
ヴァレン峠よりさらに高い山々が北方地帯を覆い、双方の越境を阻む天然の壁となっていた。
しかし曇天の下、山脈の裾野を突風が駆け抜ける。
それは風ではない――轟音と共に、大地が揺れた。
「な、なんだあれは――ッ!?」
斥候の一人が叫んだ瞬間、視界を覆うように巨影が出現する。
険しい山脈を走破して降りてきたその姿は、巨大な“馬”だった。
漆黒の巨躯。四肢に推進ノズルを備え、側面には多段ロケット砲。背面にはミサイルポッド。
各部には掃討機関砲を備えたそれは、”動く要塞”だった。
「山脈を超えてきたなんて、怪物だ……!!すぐにダグラス大尉に連絡を!」
コロンゴ前線部隊の通信網が悲鳴に包まれた。
ダグラスは映像を見て顔色を変える。
「勘が当たったか……!あんなモノが街に現れれば――街は壊滅だ!何としても止めるぞ!」
即座に全戦力をノースブリッジ防衛線へ集中させるよう指示を飛ばした。
スレイプニルのコックピット内部では、三人の姿が動いていた。
操縦席中央――ミハエル。
右席で操縦アシストを担うのは天才パイロットマルティン・ハイアー中尉。
左席で火器管制を担当するのは射撃の名手ロメロ・グレイン中尉。
三人の意識がNuGearを介して機体の神経と一体化する。
三身一体の機械仕掛けの巨獣が咆哮を上げた。
「マルティン、このまま敵をかき乱すぞ! ロメロ、この速度で機動戦闘可能か?」
「了解!駆け回ってやります!」
「もちろんです!敵全方位へ展開、縦深攻撃で混乱させます!」
ロケットが唸り、ミサイルが山肌を穿つ。
迫るACEたちは次々と爆炎に呑まれた。
スレイプニルは巨躯とは思えぬ速度で地を蹴り、跳躍する。
その速度と攻撃力に、ダグラスの部隊は近づくことすらできなかった。
無理に接近すれば、蹴り飛ばされ、ACEは空中でバラバラに砕ける。
――その猛威はまさに、“暴れ馬”。
だが、その猛攻の裏で、別の動きが進んでいた。
ナバロ司令は部隊を二分し、山脈の隘路を越えてノースブリッジへの進軍に成功していた。
気づいたダグラスは「部隊の半数を北へ回せ!」と叫ぶが、スレイプニルがそれを許さない。
「ノースブリッジ制圧、成功!」
――エウロパ軍は損害ゼロで街を陥落させた。
だが、勝利報告はスレイプニルに届かない。
それどころか、スレイプニル側からの救援信号も司令部には遮断されていた。
「……こちらスレイプニル! 被弾多数! 救援を――応答願う!」
「司令、救援信号が――!」
「無視しろ。」ナバロが冷酷に吐き捨てる。
ヒメネスがニヤリと笑う。
「奴らはここで死ぬ運命だ。ログも切れ。」
――それが、研究所の“計画”だった。
だが、一人の若い少尉が拳を握りしめる。
エミール・サリバン少尉。
「スレイプニルが救援を求めています! 第3機甲小隊、出撃を要請します!」
「ダメだ。これは命令だ。」ナバロが冷徹に言う。
「……ふざけるな……!味方を見殺しにするのか!
責任は私が取る! 第三小隊全機、スレイプニルの救援に向かうぞ!」
命令を無視し、エミールの小隊はスレイプニル救援へと飛び出した。
その姿を見た数個小隊も追随。
戦場は混乱し、ダグラスは苦渋の決断を下す。
「くそ……コイツだけでも落としたかったが、これ以上の犠牲は出せん。全軍撤退!」
爆煙の中、スレイプニルはかろうじて立っていた。
その巨体は傷だらけで、装甲の半分が剥がれている。
ミハエルは駆けつけたエミールに声をかけた。
「ありがとう。君の勇気ある判断で、我々は命を救われた。この恩、忘れん。」
「少佐……ありがとうございます!」
憧れのミハエルから礼を受け、エミールは喜びに満ちて敬礼した。
――ルーティア基地・帰還後。
ブリーフィングルームでは作戦経過の報告が続いていた。
ナバロとヒメネスは笑みを浮かべ、虚偽の報告を並べ立てる。
「通信ログは事故で消去されてね。残念だ。」
「それとサリバン少尉以下、命令違反の件については――」
「やめろ。」
ミハエルの声が低く響いた。
「ログが消えた? ならば、これは何だ。」
通信士の一人が立ち上がり、端末を差し出す。
「全部、記録してあります。……消えてなどいません。」
再生された音声が、静寂を切り裂いた。
『――奴らはここで死ぬ運命だ。ログも切れ。』
会議室に冷たい空気が走る。
「貴様! 消せと命令しただろうが――!」
ヒメネスが通信士に掴みかかろうとした瞬間、ミハエルの拳が彼の頬を撃った。
「下衆め! そんなに私を殺したかったか!? それとも他に目的があったとでも?」
ナバロが震える唇で言葉を探す間もなく、ミハエルは言い放つ。
「この件はシェザール少将を通して総司令部に報告する。覚悟しておけ。
私怨で戦争を弄ぶ愚か者は――さっさと消え失せろ!!」
「き、貴様だってシェザールの後ろ盾がなければ何もできないくせに!」
ヒメネスの負け惜しみを、エミールが遮るように前へ出た。
「ファフナー少佐はご自身の実力で名声を勝ち取られた方だ! あなた方とは雲泥の差だ!」
ぐぬぬと顔を歪め、ヒメネスとナバロは部屋を後にした。
残された会議室には、ミハエルを称える拍手と称賛が満ちる。
戦場を抜けてきた彼の瞳には、かすかな希望の光が宿っていた。
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