第35話「怪物ACE」

――エウロパ本国・ノルデン地方軍技術開発総局。


局長室では、帰還したミハエル・ファフナー少佐とリヒャルト・シェザール少将が向かい合っていた。

シェザールは複雑な表情で言う。


「鹵獲したACEから得たNuGearのデータには驚かされた。まさに“デッドコピー”だな。」

ミハエルも険しい顔で頷いた。

「ええ。構造の一致率は想像以上でした。しかし肝心の感情暴走回避プログラムは、まだ解析が進まず…」

「敵も厄介なプロテクトをかけているらしい。」

「プログラム関連は専門外で、もどかしい限りです。」

「その件は解析班に任せよう。君には、改良型NuGearの実働テストでの活躍を期待している。」


少しの沈黙の後、ミハエルが重く問う。

「……それで、ハインライン大佐の件ですが。造反の嫌疑が掛けられたと聞きました。」

シェザールは眉をひそめ、書類を机に置いた。

「それがな、驚くべきことに――北部戦線の失敗を聞いた途端、彼はまるで鬼神の如く進撃を開始し、あっという間にバーミッカム基地を陥落させた。」

「……あの方が?!」

「その功績、そして“造反疑惑”を訴え出たコンティ自身の嘆願によって、不問となった。」


ミハエルは俯き、小さく呟いた。

「……戦争が、人の信念をも捻じ曲げてしまったのか。」

「何れにせよ、南部戦線は彼の指揮下に戻るだろう。」


短く頷いたミハエルに、シェザールが続ける。

「それと、君にはまたテストパイロットとしての任務がある。」

「また新型ですか……」


モニターに映し出されたのは、全長十五メートル級の巨大ACE。

「これは……!」

「拠点攻略防衛型ACE、機体コード〈スレイプニル〉。」


ミハエルは思わず立ち上がった。

「この機体は操作系の問題で廃案になったはずでは?」

「戦術研究所――あそこが一枚噛んでいてな。強引に復活させてきた。」


その名を聞いた瞬間、ミハエルの表情が険しくなる。

「……兵を駒としか見ない連中か。」

「スレイプニルによる実戦試験を、ノースブリッジ攻略で行うらしい。」

「つまり、私は奴らの下につくのですか?」

「だが、サポートにマルティン・ハイアー中尉とルロメロ・グレイン中尉を乗せる。どうかな?」


その名を聞き、ミハエルの顔にわずかに笑みが戻る。

「彼らが? それは心強い。……ならば、悪くはない任務ですね。すぐにテストに取りかかります!」


意気揚々と去っていくミハエルを、シェザールは少し不安げに見送った。



――試験場。

灰色の雲の下、スレイプニルの巨体が鎮座していた。

その姿はまさに”怪物”であった。


ミハエルは、マルティンとルイスを出迎える。

「久しぶりだな、二人とも。ホブ・ゴブリンの調整では助かっている。」

「先輩――いえ、少佐のもとで働けるとは光栄です!」

「“シュヴァルツ・アドラー”(黒ワシ)の通り名、本国でも評判ですよ!」

「そんな呼び名が一人歩きしているとはな。」


久々の再会に、三人の笑い声が響いた。


だがその和やかな空気を、鼻につく声が裂いた。

「これはこれは、ファフナー少佐殿。戦術試験への協力、感謝しますよ。」

マルセロ・ヒメネス大尉――戦術研究所の男が、皮肉な笑みを浮かべて近づく。


「このスレイプニルを操れるのは、貴方ぐらいでしょうから。」

ミハエルは冷静に応じる。

「操れるかどうか、試してみなければ分からんがな。」

「何を弱気な。士官学校主席、シェザール閣下の寵愛を受ける御方が。」

「……貴官、言葉を慎まれよ!」

堪えきれずマルティンが声を荒げる。


ミハエルは手で制した。

「やめろ。――ヒメネス大尉、我々は我々の任務を果たす。どうぞお楽しみに。」

そう言って、マルティンとロメロの肩を軽く抱えた。


「出撃は近い。完璧な状態に仕上げておくよう。」

ヒメネスは不機嫌そうに舌打ちし、去っていった。


ロメロが眉をひそめる。

「まったく、あの無礼者は何者です?」

「士官学校の同期だ。主席だの次席だの、奴が勝手にこだわっているだけさ。」

「なるほど、器の小さい人間というわけですな。」

マルティンとロメロの笑い声が響く。


ミハエルはそんな二人を見て、心の中で呟いた。

(……奴らの下で働く屈辱より、彼らと共に戦場を駆けられる喜びを大切にしよう。)



――ケアン基地。


焦げた鉄骨の間を風が抜ける。

修繕中の滑走路を見下ろしながら、オセリス大佐は腕を組んでいた。


「……前線の再編が追いつかんな。」

隣のジョシュ・サンダース中佐が答える。

「エウロパ軍はバーミッカムを前線拠点にしています。

 ホワイトファング隊は、しばらく待機させましょう。」


オセリスは黙って頷いた。

(焦れば兵を失う。だが、敵もまた進化している――ノースブリッジが危ういな。)


その頃、格納庫ではキースがミリィを訪ねていた。

整備士と談笑していたミリィは、キースを見ると軽く頭を下げる。

「……この前は、ごめんなさい。」

「もういい。無事で何よりだ。」

ミリィは穏やかに微笑んだ。暴走の影はもうない。


そこへレイがやってきて、キースの肩を叩く。

「ミリィはもう大丈夫だ。お前はお前のやるべきことに集中しろ。」

「……ああ。」

二人の笑顔を見て、キースは胸の奥が少し温かくなる。

(レイとミリィが笑っている。それだけで、少し救われた気がする。)


キースはその足でリュウ・ダゴダ中尉の部屋へ向かった。

「待ってました、キース。」

「話って?」

「……プライス中佐襲撃事件の件です。犯人キャンベルとオセリス大佐の繋がりはありませんでした。完全な単独犯です。」

「そうか。戦時下では、信念が暴走することもあるんだな。」

「信念だけで動く者ほど危険です。……戦場に呑まれないように。」

「“戦争の本質”を見抜けってことか。」

リュウは静かに頷いた。

「キース。私はあなたがこの戦争の鍵になると感じています。」

「ずいぶん高く評価されてるんだな。」

「ホワイトファング隊を見ていれば分かりますよ。」


リュウは書類を閉じ、声を落とす。

「……この件は、まだ公にはしないでおきましょう。二人だけの話に。」

「了解した。」


二人は固く握手を交わした。

窓の外では、修復中の滑走路が夕陽に染まっていた。

――煙はまだ消えていない。戦争も、終わってはいなかった。



――ノースブリッジ。


夕暮れ、街は瓦礫の山からゆっくりと姿を取り戻していた。

「やっと落ち着いたな……」

ライアンが息をつく。

「市民の協力もあって、ここまで来られました。」

オリバーが答える。


「だが……嫌な予感がする。」

ダグラスが空を仰ぐ。

東の雲の向こうに、重い風が吹き始めていた。


――巨大ACE〈スレイプニル〉。

その影は、まるで戦場を駆ける猛獣のようだった。


北部戦線に、新たな嵐が迫っていた。

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