第8話 刻まれるビート
一日のうちに三度も光に包まれたとなれば、浮遊感からの落下も慣れたもので、太郎は華麗に着地を決める。
「おうおうおう。女神さんよぉ、一体全体どういうことか説明してもらいたいんですがねえ」
チンピラのように肩で風を切って太郎は女神に食って掛かった。今は服を着ているおかげで、ためらう必要はない。存分に肩で風を切っても、大股で歩いても大丈夫だ。
「何が気に入らないのですか?」
「え? 嘘でしょ……。靴下と靴が消し飛んだのに分からないと仰います? 俺、今裸足なんですけど」
「足裏を保護する力も与えていますよ」
――なんだそのピンポイントで使えなさそうな力は。
とはいえ、そのおかげで今まで何一つ痛くなく裸足で歩けていた訳だが、それはそれ、これはこれ、だ。
すると女神は手を鳴らして、再度液晶モニターを出した。女神がリモコンを手に操作すると、教会内で太郎が服を着る場面から、靴下と靴が弾ける瞬間までの映像がループ再生される。
「うん。なら俺の言いたいこと分かるでしょうよ! 私生活を送るには靴と靴下は必須なわけですよ! たとえ足裏の力? とかあったとしてもね!」
「私は言いましたよ? 野球拳では靴下など不要と」
「聞いたよ! 今は私生活なの! 野球拳してないの! 人としての営み!」
話がかみ合わない太郎は頭を抱えたが、ふとある可能性に気づいた。まさかと思い、馬鹿馬鹿しいと思いながらも気づいたことを女神に聞く。
「まさかですけど、勇者として魔物と戦うときに、ひょっとして野球拳が必要になるとかそんな理由ですか?」
そういう理由なら、女神が並々ならぬこだわりを見せているのにも、渋々だが納得できる。勇者の為を思ってのことなのかもしれない。
「何を言っているのですか? そんなこと常識的に考えてあるわけないでしょう。しっかりなさい勇者太郎」
「あああああああああ!!」
あっさりと裏切られた太郎は四つん這いになって床を叩いた。取り乱す太郎を見た女神がため息を漏らす。
「別の世界を任せた勇者はしっかりと魔物を倒し、世界を救おうとしています。勇者太郎もがんばってください」
ピクリと太郎の耳が反応した。
「別の世界の勇者……?」
「ええ」
女神がリモコンを操作すると、一瞬画面が暗転するが、直ぐに違う映像が流れ始める。
画面には金髪の勇者が映り、燃える剣を振るって巨大なドラゴンを斬りつけていた。ただ、服装が
さらに映像が変わり、魔法使いと一目で分かる格好をした女性が、何やら詠唱をすると燃え盛る巨大な火の玉が出現し、魔物へと飛翔し大爆発する。
こちらは日本人に見えるが、目を怪我をしているのか眼帯をつけていた。
太郎は四つん這いのまま、モニターに映し出される本物の勇者の姿に釘付けになった。
「これ! 俺の知ってる勇者ってこういうの!」
「剣を振るっているのは勇者ケビン。同じくあなたの世界から召喚されましたが、既に三体の大型の魔物を討伐し、この世界に希望をもたらしています」
女神もどこか誇らしげだ。
「魔法を扱う女性も同じ世界からですね。勇者
そして、女神はまたリモコンを操作した。
違う世界で活躍する勇者の、カッコいい映像を流すのかと思えば、全裸の男がウルフと戯れている映像が流れ始める。まあ彼も一応勇者だ。太郎は力なくその場に横になった。
「なんで、こんな変態と罵られるような力なんだよぉ……。俺もカッコいい魔法とか剣とか使いたかったよぉ……」
楽して強くかっこいい魔法が使いたい太郎は、すっかりとやる気をなくした。それを見た女神が数回咳ばらいをしたため太郎は視線を向ける。すると手を胸に当ててポーズを取った瞬間、カッと目を見開いた。
「深淵に漂う漆黒の焔よ。我が魂に応え、全てを焼き尽くす力を示せ!」
「え? なになに急に……怖い怖い」
「目覚めよ、業火の残響。赤き絶望を我が剣に宿し敵を貫け!」
急に大きな声を出した女神に驚いた太郎は、器用に寝転びながら距離を取るのだが、そんな彼に女神は問いかけた。
「勇者太郎は今の詠唱を、恥ずかしげもなく堂々と唱えることが出来ますか?」
思わず言葉に詰まる太郎。
とてもじゃないが三五歳を過ぎた太郎にとって、あの詠唱は魔物だけでなく自分にもダメージを与えると分かる。
「ちょっと……厳しい……かもしれません……」
弱弱しく太郎が答えると、女神の瞳が光を増した。
「ほら、ごらんなさい! その人の持つ特性を生かせるよう力を授けているのです。勇者ケビンは侍に惹かれていました。勇者結衣は不治の病と言われている中二病を患っています。どうです? 私の仕事は完璧です」
うん? と太郎は何かに引っかかり首を傾げた。
女神の言う通り、その人が持つ特性に力を割り振ったとすれば、人前で服を脱ぐ太郎の力はどういうことか。
「待ってください。そう言われるとですね。まるで私が人前で脱ぐことが好きだと思われている可能性が生まれてくるのですが? 飲み会での野球拳は、友達同士のその場の勢いであって、別に好きとかじゃないですよ」
「三五歳にもなれば人前で脱ぐことに対して、恥じらいも薄れてくるのでは?」
太郎は肩をすくめながら静かにため息をついた。
「この女神やっぱイカれてんな。いだだだだ」
遠距離からわき腹をつねられる。
「口が悪い勇者ですね。それで結局貴方は何が目的で呼びかけたのですか?」
「え? またその話に戻るの……?」
女神とまともに会話しようとすること自体が、間違いなのかもしれないと太郎は思い始めていた。人間と同じ尺度で物事を見ていない可能性だってある。こっちは人間で相手は神なのだから。太郎は諦めの境地に入りかけていた。
そんな中、女神が唐突に手を叩いた。二枚目の液晶モニターでも出すのかと太郎が見守っていると、せり上がってくるひとつの影。
「……誰?」
太郎が思わずつぶやく。
液晶モニターと同じく床が割れ、現れたのは女神と同じ白いローブを纏った、彫りの深い厳つい男。無言のまま、女神へと歩み寄ると、持っていた小さなケースを恭しく差し出した。
「下がりなさい」
女神が受け取ると、男は頭を下げて床下に戻っていくのを、太郎は見送った後、女神に尋ねる。
「この下ってどうなってんの? オフィスとかあるわけ?」
「あまり勇者に肩入れするのはよくないのですが、仕方なく用意しました」
太郎の質問には一切答えずに、女神がケースを開けて中身を見せると、信じられない物が太郎の目に飛び込んでくる。
色鮮やかなマリンブルーに、デフォルメされた飛行機や船のイラストが入った子供用のビーチサンダルだった。浜辺やプールサイドで、そのブルーはさぞ映えるに違いない。
「……なんで?」
至極当然の反応を見せる太郎。
「神聖化された装具です。安心してください。爆発しません」
残念なことに言葉のキャッチボールは不可だ。
ふわりとサンダルが宙に浮く。そして太郎の目の前までやってくると、寝そべっている彼の目の前に緩やかに着地した。
履けということだ。
「だから靴って言ったのに……なんでビーサン……?」
とはいえ、裸足よりは数倍マシというもの。
寝転んでいた太郎は、身体を起こしてあぐらをかいた。
しぶしぶ青いサンダルに両足を突っ込んだが、案の定かかとがはみ出ているし、無理に足先を突っ込んだせいで鼻緒が必要以上に食い込んでいる。
なんとか両足に履いた太郎が、立ち上がろうと片膝を立てた時だった。
――キュッ。
どうやら、ただの小さなビーチサンダルではなさそうだ。
小さな子供が履く靴に見られる、歩けば音が鳴るあの甲高い音が太郎の耳に聞こえてくる。思わず動きが止まる太郎。空耳だと思いたかったが、甲高い音は明らかに足元から聞こえてきた。立ち上がり一歩前に出る。
キュッ。
「いやいやいや……返品!!」
太郎はサッカーボールを蹴るように、サンダルを女神めがけて蹴飛ばそうと足を振りぬいた。だが、サンダルは全くと言っていいほど微動だにせず、完全に足裏に張り付いている。
「うおおおお! 脱げろぉぉぉ!」
必死に足をばたつかせる太郎だったが、その願いは届かない。
キュッ、キュキュキュキュと、軽快で陽気な腹立たしい音が刻まれるだけだった。
「なんで脱げねえんだよ!」
「神聖化しておきましたので、持ち主の足に完全にフィットし続けます。生涯履き続けることも可能ですよ」
「もはや呪いじゃん」
「これで無くす心配もありませんね」
「余計なお世話! 大人は靴を無くさないから!」
そして太郎の身体が光り宙に浮き始める。と言うことは女神の話はこれで終わったと言うことだ。
「それでは頼みましたよ。勇者太郎」
「えっ、ちょっ、まだ俺の話は終わってな——」
いつものように、話の途中で容赦なく送り返される太郎だった。
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