第3話 追放
しばらく様子をうかがっても、少女はその場から動かなかった。そのまま放っておくのも気が引けたので、リトは少女を自宅へと招いた。
昼の日差しが照らす室内。目立った装飾はなく農家らしい質素な部屋だが、あまり大きくないリトの家で一番の広さがある。この部屋は、リトが日頃リビングとして食事や室内作業で使っている場所だ。そして今、中央に置かれたテーブルに、ひとりの少女がポツンと座っている。
「はい、どうぞ」
リトは少女の前にコップを置く。その陶器でできたコップには、たった今リトが入れたお茶が湯気を立てている。普段は水で喉を潤すリトだが、客人のために茶葉の備蓄もしている。
「……ありがとうございます」
少女は微かに聞こえる声で礼を言い、小さく顎を引いた。さんざん泣いた後とあって、ややかすれた声だった。
リトは少女の対面側に座って、自分に入れた分のお茶を口にする。久方ぶりに飲んだお茶は、適当に作ったながらも、なかなか美味しく感じた。
一息ついて、リトは目の前の少女に目を向ける。俯いてコップを見据えているが、その眼は虚ろだ。張りのある頬には涙の跡が残っている。年はリトよりも少し下だろう。杖を放さず持って膝の上に置いているあたり、ちゃんと護身するよう気を付けてはいるらしい。
「それで……あんなところでわんわん泣いて、一体何があったんですか?」
なるべくはっきりと、かつ穏和な口調で、リトは訊いた。
しかし、少女は答えない。代わりに杖を持つ手の手首を撫でる。少しの間、無音の時間が過ぎた。訊ねられても少女に動揺した様子はない。後ろめたいことがあるわけではないようだ。
そんな彼女を眺め、埒が明かないと思ったリトは小さく息をつき、話題を変えることにした。
「申し遅れましたが、僕の名前はリトと言います。見ての通り、この小さな家で農家をしています」
「……私は、アルファ。魔法使いです」
少女……アルファはお辞儀の代わりに、また軽く顎を引く。
「カッコいい杖ですね」
「えっ……あっ、はい」
リトはアルファが持っている杖を見ながら言う。
「とても惹きつけられました。装備を見れば、その冒険者の実力が分かると聞きますし、アルファさんも、さぞ立派な魔法使いなんですね」
「いえ、そんなこと無いですよ……」
少しお世辞くさい言い方をしたが、リトの言ったことに嘘はなかった。そして同じく、アルファの口調にも謙遜の気持ちは、まったく感じられなかった。その彼女の様子に、リトは少し違和感を覚えた。
「そうですか? 装飾もですが、何より宝玉が綺麗です。素人目から見ても上等な杖だと分かります。ダンジョンで拾ったにしろ武器屋で買ったにしろ、とてもハイレベルな経験をしたとお見受けしますが?」
「これは……お姉ちゃんからの贈り物です。私が冒険者になった時に貰いました」
心なしか、杖を見るアルファの表情が和らいだ。
「本当は自分のレベルに合わない装備を持つのは、あまり良くないんですけど……」
「それだけ大切にしているということでしょう。大切に扱われて杖もうれしいんじゃないですか?」
「……そうだと良いけど」
アルファの顔が曇る。自分の腕に自信がないのだろう。彼女の魔法を見ていないが、リトには何となく察しがついた。
「アルファさんは、パーティを追放でもされたんですか?」
「……えっ!」
そのリトの一言に、アルファの心臓がドキッとはねった。彼女は顔を上げて大きく見開いた目でリトを見る。
「どうして?」
“どうして知ってるの?”
すべてを言葉にせずとも、その表情からそのように思っているのは、リトには分かった。
「アルファさんがいたあの小道ですが……あの道は冒険者が街を行き来するときに通るのを、僕は農作業をしながら何度も見ています。アルファさんが向いていた方向は街がある方とは逆……つまり、アルファさんは街から出てきて、あの場所にいた、ということになります。違う街へ向かうには軽装すぎるので、野営は想定していない。けど、ある程度の身支度されていることから考えて、クエストを受けて向かう途中だった。あの道の先に日帰りで行ける範囲で取れる薬草や鉱石の類はありませんので、受けたのは討伐系のクエスト」
淡々と述べていくリトに、アルファは思わず息を飲む。どうやら正解らしい。
リトは早口で、さらに続けた。
「冒険者がパーティを組まず討伐クエストを受けるのは珍しいです。ソロで活動する人もいますが、それはたいてい勇者や戦士といったフィジカルに強い人たち。熟練の魔法使いならもしかしたらとも思いましたが、さっきの会話から、その可能性も消えました。そんな魔法使いが一人で討伐クエストに出ているのは、仲間が付いてこない理由があるからです」
これもまた正解だった。雨のように流れ出てくるリトの言葉に、アルファは何度も瞬きする。
「そして、その腕の跡」
リトはアルファの右腕を指さした。
「冒険者は自分が特定のパーティを組んでいることを示すため、アイテムを身に付ける、刺青を入れる、布を巻くなど、メンバー内で決まった証を持つと聞きます。中でも多いのは、バングルやブレスレットなどの腕輪。アルファさんが先ほどから杖を持つ手首を撫でているのは、最近までそこに身につけていたからです。そしてその跡のそばに揉み合ってできた様な痣もある。誰かに無理やり取られた跡です。あまり良い別れ方はしなかった」
まるで審判でも下すように、リトはまっすぐアルファを見据えた。
「以上のことから、アルファさんはパーティを追放されて、無理やりメンバーの証を取り上げられた。そして仕方なく一人で討伐クエストに出て、あそこで泣いていた……ということでしょう」
そこまで話して、リトはやんわり微笑みながらコップを口元にやる。
リトが説明を終えた途端、小屋の中は静寂に支配された。まるで無音にする魔法の呪文を詠唱したようだった。
アルファは唖然として、目の前でお茶を飲むリトをまじまじと見つめた。直前まであんなに多弁に話していたのが嘘のようだった。
「リトさんって……もしかして探偵?」
「いいえ。さっき言った通り、ただの農家です。それに今のは、僕の勝手な推測です。本物の探偵だったら、ちゃんと証拠を集めて、もっと確かな推理を考えると思いますよ」
「はぁ……」
「お茶、よかったら飲んでください。冷めちゃいますよ?」
「あ、はい」
リトの雰囲気にすっかり当てられ、アルファもお茶を口にする。温かみのあるお茶にアルファは思わずホッとした。さっきまで胸の内にあった絞め付けるような感触はもう無くなって、心もすっかり落ち着いていた。
「……それで?」
「えっ?」
そんな彼女の様子を一瞥して、リトは改めて声を掛けた。
「アルファさんは、一体どうして泣いてたんですか?」
「あ、あぁ、それね……」
声のトーンが少し下がったが、今度は癇癪を起こすことはなかった。アルファは覚悟を決めるように一呼吸置くと「……実はね」と口を開く。
「リトさんの言う通り、私、一昨日パーティを追放されちゃって……」
「そうですか……それは、ご愁傷様です」
思ったよりも大事だったことに、これ以上踏み込んで良いものかと、一瞬リトは眉を歪めて躊躇した。だが毒食らわば皿までと、続けて慎重に言葉を選ぶ。
「ちなみに、どうしてですか?」
「……私の、魔法が未熟だから」
顔を下に向け、アルファは膝に乗せた自分の杖を見ながら言葉をこぼす。
「魔力の制御がうまくできなくて戦闘中に眠り魔法を仲間に当てたり、呪文を忘れたり、調合を間違えて薬草を燃やすこともあった……そんな失敗ばかり繰り返すせいで、パーティを組んだ時から迷惑ばっかりかけちゃって……討伐クエストの時は、私だけ撃破数がゼロなんてこともしょっちゅうだったんだ」
アルファはどんよりとして、大きなため息をつく。
「それで、いよいよパーティを追い出されちゃった。どうにか続けさせてくれないかってお願いしたんだけど、『俺達のパーティに足手まといは要らない』って……」
「そのパーティは、いつから組んでたんですか?」
「もともと戦士と盗賊の二人がタッグだったんだけど、私が組んだのは、つい二週間前」
意外と短いなぁ、とリトは思った。
「短い期間だったけど、こんな魔法が下手な私でも受け入れてくれる、ようやくできた仲間だったんだ。だから、なんとか力になろうと頑張ったんだけど、ダメだった」
アルファの声がどんどん力なく萎んでいく。
「せっかく冒険者になれたと思ったのに……おまけにパーティの“借金”も背負うことになっちゃった」
「借金?」
「そう。未達クエストが増えたせいで、出費がかさんでたみたいで……お前が原因なんだから、お前が払えって」
クエストの契約金から始まり、武器や装備、旅のための食糧や薬草など、冒険者をやるにもお金が掛かる。クエストの報酬金が受け取れず、冒険者をやめる者も少なくない。
「その借金って、いくらですか?」
「金貨50枚」
およそ一月は何もしなくても街で暮らせる程度の額だ。農民の質素な暮らしなら一年は食べていける。
「幸い、ギルドの受付人が同じ額の報酬を受け取れるクエストを紹介してくれて、返済のために受けたんだけど、とても私ひとりでやれる内容じゃなくて……でも、借金が返せないと衛兵に捕まって、最悪死刑になるから……やるしかなくて」
この世界における借金滞納者の末路は悲惨なものだ。法律で罰せられる者はまだマシで、場合によっては他国に売り飛ばされることもある。その後の暮らしは奴隷も同然だ。
「とりあえず街を出たけど、途中で足がすくんで……それで……」
アルファは辛そうに顔を伏せて杖をぎゅっと握る。唇が震え、目が潤んでいる。そんなアルファを、リトはただまっすぐ見つめていた。
「簡単なクエストをこなして、コツコツ返せば良いじゃないですか?」
「無理だよ。私にそんな地道なことできっこない。それに取立人が借金は三日後までには返せって。できなきゃ衛兵に突き出すぞって……!」
「誰か周りに相談できる人はいないんですか? 友人とか家族とか」
「……いない。私どんくさいから友達なんていないし、家にも迷惑は掛けられない」
ふと、リトはコップのふちを指先で撫でた。
「……ちなみに、その紹介してもらったクエストって、どんな内容ですか?」
「『ベノム・フロッグを狩れ』って……ギルドじゃ、たまにあるクエストだけど、魔法使いの私ひとりじゃ、とても……!」
ベノム・フロッグ……その名の通り、強力な毒液を吐く蛙型の魔物だ。この魔物は普段は洞窟の奥にいて、たまに外へと出てくる。その際、周辺の草木を毒で侵しながら生息範囲を広げていくため、確認され次第、ギルドはそれなりに高価なクエストを出して冒険者を募る。
当然その分、冒険者のレベルも問われることになる。アルファが持つ魔法の技量程度では到底太刀打ちできるものではなかった。
「もう、どうしたら良いんだろ、私……!」
アルファの眼が潤む。このまま、また小道にいた時と同じように泣き出してしまうかもしれない。だが、リトはその様子を見ながら黙って思考していた。その眼には余計な感情はなく、ただ物事を淡々と汲み取っているようだ。
「アルファさんが今後どうすべきかは分かりませんけど……でも」
やがて、リトは大きく息をつき、口を開く。
「そのクエスト、おかしいです」
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