第33話 友達と、約束。①

 電車に揺られながら、過ぎ去っていく町を見ていた。


 幕張の町なんてとっくのとうに置き去りだ。どれだけ冒険してもキリがない、あいつがそんなふうに言った町を、電車の窓はむやみに切り取ってはあっけなく捨てていく。

 電車が景色をうつしとるスピードに、町はついていけない。それはアパートやマンション、似たような家々をばくばくと取り込んで、町という単位をすりつぶし、ガムのように扁平な塊となって、地上にへばりついてどこまでも伸びていく。

 急に、それがばっくりと割れる。レールをがたがたと打ち鳴らし、電車は川を渡り、県境を越える。


 半年前も、同じこの路線の列車で、東京に向かった。


 あの時は、何もかもが嫌でたまらなかった。秒単位で変わる景色も、汗や体臭でむっとした車内も、乗り換えのホームに並んだ大人たちの背中も、やっとの思いで到着した駅から見上げた、ビルに囲まれたちっぽけな空も、そのどれもこれもが憂鬱だった。


 だけど、今は違う。満員電車も、誰もつかえることを許さない改札口も、隅に追いやられた窮屈そうな曇り空も、どれも言い訳にならない。


 どうしても、行かなきゃならない。


 自分の弱さやズルさを隠し、逃げていたことも忘れ、ずっと逃げてきた場所。


 大学に、俺は向かっていた。




    *     *     *




「……葛和田!」


 正門から階段を上ってすぐ、四方を校舎に囲まれた広場に川越はいた。


「よかった。早く来てくれて。──それで、さっきの」


 ベンチから立ち上がった川越のもとに急ぐ。

 

 同じベンチには男子学生がふたりいた。

 金髪のさらっとしたマッシュと、整髪料でぺかっとしたセンター分け。川越も交えて話していたようだけど、関係ない。


「あいつは? いないのか」

「ここにはいない。でも」

「じゃあどこだ。あのバカはどこに行ったんだ」

「ちょっと待って。私もよくわかってないの。だから葛和田に」


 川越の焦った表情から目をそらす。

 本来なら毎日通っていたはずの見慣れないキャンパス。清潔なファッションを身分証のように身につけた同年代の若者たち。

 こんな中にいたら目を奪うどころか疑わせるに違いないあの珍奇な格好は、どこにも見当たらない。


「──聞こうと思って。どうしたの? 何かあったんじゃないの?」


 ベンチの横、網の目状のゴミ箱があった。

 くしゃくしゃに丸められた紙がわきに落ちている。投げ捨てようとしたものの狙いが外れ、そのまま見捨てられた紙切れ。


「ねえ、聞いてるの? 葛和田」


 手を伸ばしていた。名状しがたい予感があって、それは、拾い上げたゴミ屑を広げることだけを求めていた。

 しわくちゃになった紙片には、川越から送られてきた画像にあったのと、まったく同じ文面が、少し丸みのある手書きの文字で、丁寧に書かれていた。




 大学生のみなさんに、お願いがあります。

 くずわだひだかくんの

 お友だちになってください。


 クズだかくんはベンチが大好きで、

 ずっとベンチに座っている変な人です。


 ですが、クズだかくんは困っています。

 あのベンチから離れられなくて、

 悩んでいるんだと思います。


 わたしは旅人です。

 わたしは、クズだかくんがベンチから

 立ち上がれるように、

 わたしが知ってること、大好きなこと、

 目には見えない大切なこと。

 たくさんのことを教えてあげました。

 旅人の必殺技も教えてあげました。

 けど、わたしじゃ、力になれませんでした。


 なので、みなさんにお願いです。

 クズだかくんは、本当はとても、

 とても寂しがり屋さんなんだと思います。

 だから、クズだかくんの

 お友だちになってください。


 クズだかくんはちょっとクズですが、

 人の話をじっくりと聞いてくれる、

 優しい人です。


 お願いします。

                               鷲宮久祈




「──それで、私は後から聞いたんだけど」


 なんだよ、これ。


「このビラ、キャンパスで配ってたらしくて」


 やっぱり、どうしようもねぇバカだよ、お前。


「多分、あの格好で、大声出して、すごい目立ってたみたいで」


 大学でこんなもの配ったって、キモがられるだけだろうが。


「私も噂を聞いて、もしかしたらって思って」


 つーか、いちいちクズクズうるせぇし、そもそも俺は、ベンチが好きとか一言もいってねぇし、それに……字、こんなにきれいだったなんて、意外すぎて。


「急いで駆けつけたんだけど、私が来たときにはもういなくって」


 名前……鷲宮久祈って、書くんだな。

 んだよ、そのカッコいい名字。俺のと替えてくれよ。あとな、ふりがなくらい書けておけって。じゃないと、お前のこと、なんて呼べば……。


「でもね、サークルの友達がクッキーちゃんを見たって言ってて。……そうだよね?」


 ……違う。そうじゃない。

 俺が知りたいのは、それじゃない。


「ああ、見たよ。あのめっちゃデカいリュックサックの子でしょ。可愛かったけど、なんかヤバそうな感じの」

「へぇ、俺も見たかったわ」

「すげー大声出しながら変なビラ配ってて、基本みんなスルーしてたんだけど」


 マッシュとセンター分けが、ぱくぱくと口を動かしている。


「そのうち面白がった奴らが話しかけにいって、一緒にどっか行っちゃったんだよね」

「そういやさっき先輩が言ってたな。地雷系じゃないけど、地雷っぽい美少女発見したって」

「うっわ。お前まだあのヤリサー入ってたん?」

「いや違うって! もう行ってねぇしそもそもヤリサーじゃねぇから! てかああいうのって結局イケメンと美女が付き合ってるだけでさぁ、基本は飲んでばっかだし」

「あー、やっぱインカレってクソだな」

「マジそれ。今日も飲み会やるっつってたし、あのノリがきついし、それに」

「おい」


 会話が途切れた。

 マッシュとセンターが呆けた顔をならべ、俺を見た。


「その飲み会ってのはどこでやってるんだ。今すぐ教えろ」


 マッシュが億劫そうに眉を寄せ、横を向いた。


「和子。こいつダレ。なんなの」

「おい、無視すんな。さっさと教えろって言ってんだよ」

「……あ?」

「ちょっと葛和田!」


 川越が肩をつかんでくる。


「落ち着いて。お願いだから」


 言って、力のこもった目つきで俺をさす。

 らしくない、覆いを何枚も取り払ったような、むき出しの眼差し。


「……悪い」


 俺が絞り出した一言に頷くと、川越は肩から手をはなし、ふたりの男子学生のほうを向いた。


「ゴメンね。こいつ、いつも言葉足らずだし、見ての通り、ちょっとムカつくようなところもあるんだけど」


 困ったように緩んだ横顔には、もう、あの頃かけていた眼鏡もなかったけど。


「それでも、私の大切な友達なんだ」


 川越はそう言った。


「だから、私からもお願い。教えてあげて」

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