NPC専用カウンセラーとしてお悩み相談に乗っていたら、いつの間にか伝説の聖獣たちをセラピーしてしまい救国の英雄になっていた
☆ほしい
第1話
「はい、お電話ありがとうございます。カスタマーサポートの柏木でございます」
受話器の向こうから聞こえてくるのは、理不尽な要求と怒声の嵐だった。俺、柏木圭(かしわぎけい)は、もう何千回と繰り返したであろう謝罪の言葉を口にする。感情を完全に殺して、ただの機械になることを自分に強いた。
顔の見えない相手だからこそ、容赦なくぶつけられる負の感情がある。それをただひたすらに受け止め、マニュアル通りに受け流すのが俺の仕事だった。声のトーン、話す速度、謝罪の角度。全てが最適化されている。
一日が終わる頃には、精神はすり減り、空っぽの抜け殻のようになっていた。家に帰る足取りは鉛のように重い。コンビニの弁当を無心で胃に詰め込み、ベッドに倒れ込むだけの毎日が続いていた。
何のために生きているのか、なんて哲学的な問いを考える余裕すらなかった。ただ、純粋な癒やしが欲しかった。誰かの怒声ではなく、穏やかな声が聞きたい。ただ、それだけを願っていた。
そんな時、ネットサーフィン中に偶然見つけたのが、新作VRMMO《Elysian Archives Online》の広告だった。通称EAO。その派手なバナーが、なぜか俺の目を引いた。
「もう一つの現実(リアル)が、ここにある」
そのキャッチフレーズに、俺の心は鷲掴みにされた。超高性能AIが織りなすNPCとの自然な交流が最大の売りらしい。プレイヤーの行動が世界の歴史に永続的に影響を与える「ライブヒストリーシステム」というものも搭載されているという。
まるで、本当にそこに生きているかのようなNPCたちと話ができる。その一文が、乾いた俺の心に染み渡った。
これだ、と思った。モンスターを狩ったり、最強を目指したりするのには興味がない。そんな競争は、現実世界だけで十分だ。
ただ、誰かと穏やかに話がしたい。現実のしがらみから完全に離れて、誰かの悩みを聞いたり、くだらない雑談をしたりする。そんな時間が、今の俺には絶対的に必要だった。
発売日に専用のヘッドギアを手に入れ、仕事を終えた俺は、逃げ込むようにして仮想世界へとダイブした。これが現実からの逃避だとしても、構わなかった。
目の前に広がるのは、無限に続くかのような真っ白な空間。アバタークリエイトの時間だ。外見は、現実の自分とかけ離れないように調整する。少しだけ理想を混ぜ込んだ、ごく平均的な青年に設定した。
プレイヤーネームは、本名の圭から取って「ケイ」にした。安直だが、すぐに思いついたのがそれだったし、長く使う名前はシンプルな方がいい。
次に、初期スキルの選択画面が表示された。剣術、槍術、弓術、火炎魔法、氷結魔法。きらびやかな戦闘スキルがずらりと並んでいる。どれも強力そうで、多くのプレイヤーはここから選ぶのだろう。
だが、俺はそれらをすべて無視してスクロールを続けた。俺がこの世界でやりたいのは、戦いじゃない。誰かを傷つけるための力は、もういらなかった。
鍛冶、裁縫、錬金術といった生産スキルも魅力的だった。何かを作るというのは、精神的に良い影響を与えそうだ。しかし、もっとコミュニケーションに特化したものはないだろうか。
そう思って画面の隅々まで探していると、その他カテゴリの中に、ひっそりと存在するスキル群を見つけた。
《交渉術》《鑑定》《地図製作》
どれも悪くないが、ピンとこない。商人や探検家を目指すなら最高のスキルだろう。諦めかけたその時、選択肢の一番下に、ひときわ地味なスキルが一つだけ表示されていることに気づいた。
《傾聴》
スキルの詳細を開いてみる。そこに書かれていた説明文に、俺は釘付けになった。
【ユニークスキル:傾聴】
相手の話に深く集中し、共感することで、通常では選択肢に現れない会話を引き出すことができる。対象NPCの「ストレス値」を大幅に減少させ、「信頼度」と「幸福度」を上昇させる効果を持つ。
これだ。これこそ、俺が心の底から求めていたスキルだった。
戦闘能力は皆無に等しい。生産活動もできない。だけど、ただ話を聞くことだけは、仕事柄、嫌というほどやってきた。
皮肉なことだ。現実で俺をすり減らし続けた行為が、この世界では特別な力になるらしい。俺は迷わず、その地味なスキルを選択した。
『ユニークスキル《傾聴》を取得しました。派生スキルとして《カウンセリング》が解放される可能性があります』
『初期ステータスポイントを割り振ってください』
俺は迷わず、魅力と精神力に全てのポイントを注ぎ込んだ。筋力や体力は、悲しいくらい低い初期値のままだ。完全に後衛、いや、戦闘すらしない支援職以下のステータス。でも、後悔は微塵もなかった。
『設定を完了しました。セレスティアへようこそ。ケイ様』
アナウンスと共に、視界が真っ白な光に包まれる。次に目を開けた時、俺は活気のある街の広場に立っていた。石畳の道、レンガ造りの建物、行き交う人々の喧騒。まるで中世ヨーロッパの映画の中に迷い込んだようだ。
ここが、アークライト王国の首都か。
獣の耳を生やした亜人の行商人、屈強な鎧を着込んだ騎士、ローブをまとった魔法使い。ファンタジーの世界でしか見られない光景が、目の前に広がっている。NPCだと言われなければ、誰もが本物の人間だと信じてしまうだろう。
彼らの表情、仕草、会話の一つ一つが、驚くほど自然だった。AIが生成したとは思えないほどの生命感に満ちている。
俺はしばらくその場に立ち尽くし、異世界の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。現実の重苦しいオフィスとは違う、どこか懐かしくて、澄んだ匂いがした。
「さて、どうしようか」
とりあえず、街を散策することにした。クエストを受けるつもりもないし、レベル上げに励む気もない。気の向くままに歩き、気になる人がいれば話しかけてみる。そんな気楽なプレイスタイルでいこうと決めた。
広場を抜け、商店が立ち並ぶ通りを歩く。武器屋の店主が客と値段交渉をしていたり、防具屋の親方が汗だくで金槌を振るっていたりする。そのどれもが、作り物とは思えない生活感に溢れていた。
ふと、甘くて香ばしい匂いに誘われて足を止める。そこには一軒の、こぢんまりとしたパン屋があった。店先には焼きたてのパンがずらりと並べられ、俺の食欲をそそった。
その店の前で、一人の少女がうつむき加減に立っているのを見つけた。
年の頃は十六、七歳くらいだろうか。栗色の髪をサイドテールに結い、パン屋のエプロンを身につけている。きっと、この店の看板娘なのだろう。
しかし、その表情はどこか浮かない様子だった。時折、誰にも聞こえないような深いため息をついている。
彼女の頭上には、他のNPCと同じように名前が表示されていた。「リリア」と。そして、俺の《傾聴》スキルが、微かに彼女の状態を読み取っていた。
【対象:リリア ストレス値:68/100】
ストレス値。やはり、この世界のNPCには感情に関するパラメータが存在するらしい。68という数値が高いのか低いのかは分からない。だが、少なくとも彼女が何か悩みを抱えているのは間違いなさそうだ。
俺は自然と、彼女に引き寄せられるように近づいていた。まるで、仕事の癖のようなものだった。
「こんにちは。いい匂いだね。何かおすすめのパンはあるかな?」
できるだけ穏やかな声で、俺はリリアに話しかけた。彼女ははっとしたように顔を上げ、俺の姿を視界に捉えると、慌てて笑顔を作った。
「い、いらっしゃいませ!えっと、おすすめですか?そうですね……今の時間なら、焼きたてのメロンパンがおすすめです!」
接客用の笑顔。それは、仕事で毎日見ている、貼り付けたような顔だった。心からの笑顔じゃない、無理して作った顔だ。彼女のストレス値は、俺と話している間もまったく変わらない。
「じゃあ、そのメロンパンを一つもらおうかな」
俺は代金を払い、メロンパンを受け取った。まだほんのりと温かい。一口食べると、サクサクのクッキー生地と、中のふわふわなパンの甘さが口の中に広がった。
「うん、すごく美味しいよ。君が作ったのかい?」
「いえ、父が……。私は、まだ見習いですから」
リリアはそう言うと、また少し表情を曇らせた。チャンスかもしれない。俺は《傾聴》スキルを意識して、彼女に問いかけた。
すると、通常のプレイヤーなら表示されないであろう、特殊な選択肢が俺の視界に浮かび上がる。
【選択肢】
→パン作りは楽しい?
→何か悩み事でもあるの?
→お父さんは厳しい人?
俺は、迷わず二番目の選択肢を選んだ。ストレートだが、一番確実だ。
「何か、悩み事でもあるの?もしよかったら、話を聞くよ。もちろん、言いたくなければ無理にとは言わないけど」
俺の言葉に、リリアは驚いたように目を見開いた。彼女の瞳が、少しだけ不安そうに揺れる。
「え……?な、なんで……そんなこと」
「なんとなく、そう見えたから。元気がないように見えたんだ。美味しいパン屋さんの看板娘さんが、そんな顔をしてたらもったいないと思ってね」
俺は努めて優しく微笑んだ。警戒させないように、威圧感を与えないように。それは、現実の仕事で培った数少ない特技の一つだった。相手の懐に、そっと入り込む技術。
リリアはしばらく黙って俺の顔を見ていた。何かを値踏みするような視線だった。やがて、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
「あの……私、自分の将来のことで、少し悩んでて……」
彼女の言葉をきっかけに、システムメッセージが流れる。
『リリアとの会話に、ユニークスキル《傾聴》が適用されます』
『リリアの隠された悩みが開示されます』
『リリアのストレス値が徐々に減少していきます』
よし、うまくいった。俺は心の中で小さくガッツポーズをした。
「将来のこと?」
俺は相槌を打つ。決して急かさず、彼女自身の言葉を待つ。これが一番大事なことだ。
「はい。父は、私にこのパン屋を継いでほしいみたいなんです。私も、パン作りは嫌いじゃありません。でも……」
リリアは言葉を切り、店の向こう、遠くに見える大きな建物を指差した。その建物の尖塔には、魔力を帯びた水晶が青白く輝いている。
「私、本当は、あそこの魔法学園に行きたいんです。昔から、魔法にすごく憧れてて……」
パン職人の道か、魔法使いの道か。彼女は、その二つの選択肢の間で揺れ動いていた。父親の期待に応えたい気持ちと、自分の夢を追いかけたい気持ち。その板挟みになって、ストレスを溜めていたのだろう。よくある話だ。
「そっか。魔法学園か。素敵だね」
俺は彼女の夢を肯定も否定もしなかった。ただ、事実として静かに受け止めた。
「でも、父にそれを言い出せなくて……。母は昔に亡くなって、父が一人で私を育ててくれながら、この店を守ってきたんです。そんな父の気持ちを考えたら、私のわがままなんて……言えません」
話しているうちに、リリアの目に涙がじんわりと浮かんでくる。彼女のストレス値が、60、55と、少しずつ下がっていくのが視界の端に表示された。同時に、「信頼度」というパラメータがわずかに上昇していく。
話を聞くこと。ただそれだけで、彼女の心は少しずつ軽くなっていくようだ。俺は、このスキルが持つ力の大きさを改めて実感していた。
これは、単なるゲームのスキルじゃない。誰かの心を、救うことができる力だ。そう思うと、胸が少し熱くなった。
「お父さんのことを、すごく大切に思ってるんだね」
「はい……。だから、どうしたらいいのか、本当に分からなくて……」
リリアは俯いてしまう。無理もない。これは簡単に答えの出る問題じゃないからだ。でも、俺はカウンセラーとして、答えを与えるつもりはなかった。
答えは、彼女自身の中にあるはずだ。俺の役目は、それを見つける手伝いをすることに過ぎない。
俺は店の隣にあるベンチを指差した。少し古びているが、二人で座るには十分な大きさだ。
「よかったら、もう少し詳しく話を聞かせてもらえないかな。座って、ゆっくり話そう。俺は急いでないから」
リリアは少し戸惑った後、こくりと頷いた。俺たちはベンチに腰を下ろす。彼女は自分の胸の内を、少しずつ、丁寧に、俺に語り始めた。
俺はただ、黙って彼女の話に耳を傾ける。時折、相槌を打ち、質問を投げかける。それだけを、ひたすら繰り返した。
空には、セレスティアの二つの月が淡く輝き始めている。街の喧騒も、少しずつ落ち着いてきたようだ。リリアの話は、彼女の幼い頃の思い出から、魔法への憧れ、そして父親への感謝の気持ちへと続いていく。
俺は、その一つ一つの言葉を、零さぬように丁寧に拾い集めていった。
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