2 おもしろい懺悔

 時間だ。

 信徒席の最前列から立ち上がり、エントランスへ視線を向ける。

 立ち見をしていた数人が扉を閉める――隙間をすり抜けて入ってきた生徒が、肩で息をしながら大きく手を振った。声を出さずに、口だけ大きく動かす。

 遠いので何を言ったか分からない。「ルーシー、頑張ってね」かな。

 そのまま始めてしまうことにした。


「……皆さん、来てくれてありがとう。扉は閉ざされ、ここには敬虔な生徒のほかには、私――偽神父ルーシーだけです。拍手や歓声、野次なんかもご自由に。では」


 ジャンパースカートがさらりと擦れる。前柵を越えた。

 背中に「あ」と小さな声が届いた。

 祭壇卓に落ちた自分の影がわずかに揺れている。

 誰にも分からないぐらい――このまま装え。


「前柵で転ばずに済んだので、ショウはすでに半分、成功したみたいなものです」


 立ち見客からの「終わる時に気を付けてえー」と声が突き抜け、普段どおりに座る生徒たちの何人かが、背もたれに身体を預けた。

 笑いがひとしきり続いた後、空気が静まる。

 祭壇卓の端に指を用意した。

 指を宙に浮かせたまま、胸のうちで自分に言い聞かせる――ショウを楽しんでいる、と。

 嘘じゃない。

 

「もらった〈声〉を眼を瞑って選びます。薄目じゃありません。どれが再生されるかは……祈っています。早く再生して欲しいと思うでしょう。しますします。でも、ちょっとだけ緊張を味わいたいって気持ち、ありません? 実は、私もまだ聞いてないから皆さんと一緒、今から初めて聞くわけです。たくさん〈声〉をもらったけど、みんな、ふざけすぎてない?」


 笑い声の中で、指先が冷えた画面に触れた。思わず眼を見開く。

 スピーカーが震えた。


『ルーシー! ミカ……。あ、そうか。見限らないミカンです。なんでも懺悔、ということで、私が言いたいのは……。去年のルチア祭でもらったタオルハンカチを、失くしてしまいました。随分探してダメでした。どこに落としたんだろう……。今でも忘れ物箱を毎日チェックしています。どうぞご慈悲を、できたら、どこで買ったか教えてください』

 観客の何人かがごそごそとポケットを探る。

 ルーシーは低い声で言った。


「大変重い罪です、ミカンさん。これからも、忘れ物箱を毎日訪れなければならないね。あなたの忘れ物が見つかるまで――」


 信徒席は、次の言葉を待っている。


「そして、あなたには思い込みがあるんじゃないでしょうか。ルーシーはきっと高価なものを贈ってくれたのだと。あなたは専門店とか、高級店を探して見つからなかった。当然です。ルーシーとかいう人は、いつも駅前の100均でハンカチを買います」


 観客から漏れる笑いは、休み時間の教室みたい。

 匿名アプリ〈KOE〉で声紋だけ消された声は、不思議なほど生々しい。

 少し鼻にかかって甘い。ちゃんとミカだ。

 吊られないように奥歯の裏にそっと力をこめる。

 ステンドグラスの光が、偽神父の影をじりりと揺らす。

 額へ、そのまま胸と両肩へ指を送りながら、言葉を確かめる。


「あなたの罪を赦します」


 拍手がやわらかく波打った。


 **


 いくつかの〈声〉を聴き、改まった口調で決まり文句を重ねた。

 笑い声の名残が、まだ、アーチが支える天井の下でくすぶっている。

 ルーシーはマイクを持った手の甲で目元を隠し、画面を払う――すぐに止めた。

 どくん、と心臓が脈打つ。指先が再生ボタンに触れた瞬間、こめかみで反響して、耳鳴りに変わる。なんだこれ。

 にっこり、装え。


「では、次の〈声〉。猫の話が続きましたね。次はロマンティックなやつでも、私はいけますよ」


 信徒席の一人が、くすっと笑った。

 祭壇脇の壁には、小さな献花台。

 取り除くことは誰も提案しなかった。花があることで、今年もルチア祭を開けるのだから。

 白黒の写真が一枚、花束に囲まれている。

 ケイト――一週間前に亡くなった女子生徒。

 追悼は終わった。事故のことを口にしないと決まり、みんな守っている。

 ルーシーも理解している。もし、その話題が出たら飛ばす。

 スピーカーから、吐き出すような、息づかい。

 声が発される前に気づいた。自分の歩いていた崖の高さを。闇に吸い込まれて底が見えない。

 そして始まった。


『これは、懺悔です。わたしは、友達を殺します』


 笑いが、止まった。

 背筋がひやりとして影が縮む。

 ――声。

 アンに似ている。

 ひとつひとつの言葉がはっきりと滑らかに発音されている。

 朗読のような声が続く。


『彼女は明日、自分で死ぬつもりです。

 どうしても止められないので、わたしの手で終わらせます。

 そうすれば、彼女は、自分の意思で死んだことにならない。

 罪を犯すのは、わたしです』


 ざわめきが、ようやくエントランス付近で起きた。


「……アンじゃない?」

「でも、匿名声だから」


 視線が飛び交う――偽神父の仕込んだ冗談? それにしてもちょっとこれは――惑う表情が並ぶ。

 喉が乾き、ごくりとのみ込む。

 停止ボタンを押すはずの指は、宙に浮いたまま、動かない。


 ――嘘じゃない。この〈声〉は、冗談じゃない。

 止めろ。

 止めるな。

 二つの声が、頭の中でぶつかる。


『彼女は殺される。

 わたしに。

 それが、正しい形です。

 突き飛ばします。

 わたしの罪ですので、罰をください。

 これで、わたしの懺悔を終わります』

 

 ノイズ。〈声〉はここで終わりだ。

 指が停止ボタンに触れた。

 ――最後まで聴いてしまった、どうする?

 沈黙。

 どこかで嗚咽のような音。

 あるいは、自分の耳鳴りかもしれない。

 誰も動かない。

 ルーシーはマイクを握り直し、縮こまった身体をゆっくり伸ばした。

 ――ショウを続けるの? 本当に?

 ほんの一瞬だけ、胸元のメダルの光を見た。

 観客に何かを言わなきゃ。

 違う。

 また頭で声がぶつかる。

 停止ボタンを押さなかった指先が、メダルを握る。

 学校の決まりも、観客も、関係はない。


「……主は、〈声〉が止んだ沈黙の中にもいらっしゃる」


 そう言葉を発すると、真実みを帯び、チャペルの空気に溶けた。

 これが、自分が望んでいたショウだ。

 ルーシーは微笑む。観客には苦しげに見えるかもしれない。

 声を張った。


「さて、懺悔ショウは、冗談ではなくなったようです。望むと望まざるとにかかわらず、扉は閉ざされたまま。私も偽神父として、ここでショウを続けます」


 観客は口ごもり、視線をさまよわせる。

 誰も、立ち上がらなかった――。

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