あなたを赦す前の推理

尚乃

1 聖書は置いてきた

 聖書は置いてきた。ロッカーの中で伏せたまま。

〈ルーシー〉は、PG58――マイクの電源を入れる。

 手に馴染むマイクの真ん中で青いランプが灯り、内側から爪を透かす。胸のメダルにも淡い光が映った。

 チャペルの空気はひんやりとして、マイクを握った手の甲でそっと頬をこする。


「――では、始めましょう。懺悔ショウを」


 ルチア祭の朝。

 誰もいない礼拝堂の奥、ルーシーはひとり静かにリハーサルをしている。

 羽織ったケープは裏返し。

 裏地もマリアブルーで色は同じだけど、縫い合わせの畝が蛇みたいに肩を這っている。普段と逆で、左身頃が上。手を下から差し込みながら留めたボタンのせいで、首まわりがごそごそしている。

 そして、去年の劇で使った青白いベール。

 誰が被っていたのか、思い出せない。かすかに石鹸の香りがする。


 偽神父。


 ルーシーは胸のなかで自分のことを唱える。

 祭壇卓の上には無造作に置いたスマホだけ。

 視線を上げると、エントランス脇で受信機のインジケーターが点いているのがぼんやり見えた。

 画面をそっとスクロールする。うっかり再生しないように、指先の力を抜いて滑らせる。


 ――生き残った方。


 眼に引っかかった投稿タイトルを、長押しにならない寸前でさっと払うと、勢いよく上へ流れていった。

 おもしろい懺悔ばかり。きっとそうだ。

 一度再生しておく? ショウでは初めて聞いた振りをすればいい。

 できる。自信はある。……でも。

 ルーシーは手首の時計をちらりと見て、さっき跳び越えた前柵をもう一度またぐ。

 開演ぎりぎりまで、チャペルの前で宣伝しよう。

 信徒席は満席で、立ち見が出るくらいでもいい。

 偽物でも何でも。

 観客は多いほどがいいのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る