友達から譲り受けた犬が何か変なんだが?

@yahoon

第1話 変わらぬ日常に痛む足

 朝の光はまだ柔らかく、東の空から淡い金色を帯びて郊外の地平を照らしていた。吐く息は白く、空気は冷たい。ダンジョンの入り口に設けられた石造りのゲートの前に、須藤 誠司すどう せいじはひとり立っていた。背に朝日を受けながら、彼の影は長く地面に伸びる。


 剣と盾を手にしたその姿は、一見すれば若き現役の冒険者そのものだった。だが彼はもう三十三歳。若さだけで突き進める年齢ではなく、体には確かな刻印が残っている。


 十年前、埼玉にある中規模ダンジョンで仲間を庇った際に負った傷──下腿部への深い損傷が、いまだ彼の動きを縛っていた。急激な踏み込みや方向転換をすれば、いまだ鋭い痛みが走る。だが、それでも彼は剣と盾を手放すことはなかった。


 ギルドの中で、須藤の立ち回りを疑う者はいない。彼の戦いぶりは堅実で、無駄がなく、そして美しい。


 こと剣と盾の扱いにおいては、同じライセンスCランク帯の冒険者たちを圧倒していた彼を見て、他の冒険者仲間たちからすれば基礎を極めた熟練者と尊敬されていた。


 今の彼の仕事は、初心者向けダンジョンの講師兼管理者だ。冒険者ギルドからの依頼で、ダンジョン初挑戦となる新人たちに、最初の一歩を踏み出させる。

 

 その責任の重さを、彼は誰よりも理解している。その中で剣以外にも色んな武具を扱い、それなりには出来るようにはなったが、その道の熟練者に比べたら素人に毛が生えた程度の「器用貧乏」と魔法の才は無いので新人魔法使いにはその辺が伝えられないのでヤキモキはしていた。


「おはようございます、須藤先生!」


 澄んだ声が静かな朝を切り裂いた。振り返ると、三人の新人冒険者が装備を整え、息を弾ませながら走ってくる。胸当てや革のブーツは新品で、革の匂いをまだ残していた。ぎこちない身のこなしに、初心者らしい硬さが見える。


 須藤は片眉を上げ、口の端をわずかに緩める。


「おう。今日はダンジョン初日だったな。ちゃんと準備はできてるか?」


「はい!……でも、正直めちゃくちゃ緊張してます」


 答えたのは長身で、背中に弓を負った青年だった。名は林 大地。体格は恵まれているが、その目の奥には不安が色濃く滲んでいる。


「俺、昨日の夜ずっと……ダンジョンで死んだ人の話を調べてて……そしたら全然寝れなくて」


「バカ、縁起でもないこと言うんじゃない!」


 すかさず隣から声が飛ぶ。短髪で快活そうな少女、清水 アユだった。腰には双剣を下げ、まだ鞘に収めたままの柄を時折握りしめている。彼女の顔は強がっているが、瞳の奥にはやはり緊張の色があった。


「いや……でも、現実的に考えておかないと、さ……」


 大地が小声で言い訳する。その声は自分を守るよりも、恐怖を正当化しようとしているように聞こえる。


 須藤はふっと笑った。まるで若き日の自分を思い出したかのように。


「ダンジョンは怖い場所だ。それは事実だし、否定するつもりもない。だがな──正しく学べば、その怖さは武器になる。恐れは危険を知らせる鐘の音だ。今日はまず、その“正しさ”を教える。安心しろ、俺がついてる」


 その言葉に、三人の表情はわずかに和らいだ。緊張は消えないが、指導者の背に守られているという安心感が、確かに彼らを支えていた。


 そのとき、最後に控えていた少年が、遠慮がちに手を挙げた。小柄で、どこか内向的な雰囲気を纏った少年──和泉いずみ 勇斗ゆうとだ。背には杖を背負い、まだ一度も戦場で振るったことがないような新品の木材が光を受けていた。


「先生……あの、俺……魔法系志望なんですけど」


 彼は言い淀みながら続ける。


「魔法以外の武器って……やっぱり使った方がいいんでしょうか?」


 須藤は頷き、わずかに笑みを深める。良い質問だ、という顔だった。


「いい質問だ、ユウト。お前が魔法を極めたいってんなら、魔法が使えない俺から言えるのはひとつだ。──自分の距離を知れ。魔法で敵を倒せる範囲と、自分が危険になる距離。その両方を見極められなければ、生き残れない。だからこそ、近接の基礎は覚えておけ。杖だって、振れば立派な武器になる」


 ユウトは少し目を見開き、そして顔を明るくして頷いた。その表情には、初めて得た道標に向かう安堵と決意が入り混じっていた。


 こうして須藤は、またひとつ新たな世代に基礎を伝え始める。厳しくも温かいその指導は、ダンジョンという未知に足を踏み入れる若者たちにとって、確かな灯火となっていた。


 やがて日が昇り、石造りのゲートの影が短くなるころ、三人の新人は須藤に導かれながらダンジョンへと足を踏み入れていった。その姿を見守りながら、須藤はかすかに脚を庇い、だが一歩も引かずに前へと進んでいく。己の痛みを背負いながらも、彼は彼らの盾であろうと誓っていた。


 ──その日の指導が終わったのは、午後も深く回ったころだった。新人たちはぐったりと疲れ果てていたが、その瞳には確かな達成感が宿っていた。須藤は彼らをギルドのロビーまで送り届け、必要な報告を済ませると、ようやくひと息をついた。


 そして、その夜。須藤の端末に一本のメッセージが届いた。


『今夜、ゐろはで飲まないか?話したいことがある』


 短い文章。しかし、その送り主の名前を見た瞬間、須藤の胸に記憶の鐘が鳴る。


 ハデ──古い飲み仲間にして、ダンジョン用品や装備を扱う世界的企業のCEO。普段は滅多に姿を見せず、だが毎年冬になると必ず現れる、不思議な男だった。いつも飄々としていて、時に真剣な眼差しを見せる彼との酒席は、須藤にとって心を解きほぐす数少ない時間でもあった。


 須藤は画面を見つめ、深く考えることなく指を動かした。


『了解』


 たった二文字の返信。だがその短さには、互いを理解し合う長い時間の積み重ねがあった。須藤は端末を置き、窓の外に視線をやった。街の灯りがまたたく夜の帳は、これから何かが始まる気配を孕んでいた。


 こうして、須藤の静かな日常は、またゆっくりと動き始めようとしていた。

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