第19話 ちゃんと食べて
食後の紅茶をゆっくりと飲み終えてから。ポラリスはリヒト(メイドのすがた)のほうを見た。
そういえば再会して以降、彼がものを食べているところを見たことがない。
セレッソはちゃんと休憩をとってくれるので、そのあたり安心なのだけれど。
「リヒトさん、ご飯は召し上がりましたか?」
「僕? ちゃんと食べているよ」
「信じてはいけませんよポラリス様。リューちゃんは今日栄養バーしか食べていません」
栄養バー、時間がなくてもこれだけ食べておけばひとまずオーケー! な総合栄養食である。世界的にクッキータイプのものが人気だ。
リヒトは『カロリーパートナー』なる名称の栄養バーをよく食べている。
だって今日もゴミ箱に
「妖精種の中には、食欲を抑えめにできる種族もいるから、平気平気」
「それはそういうことができる方もいらっしゃるって話であって、リヒトさんはできないのですよね?」
「ん、まあね。でも大丈夫。おとといの夜にちゃんと白身魚のフライとガーリックトースト食べたから」
「「昨日と今日はっ?」」
ドン引きしたポラリスは思わずセレッソと声を揃えて突っ込んだ。多分セレッソもドン引きしている、と思う。
自分があまり食べさせてもらえない環境下にいた分、ポラリスとしては食べられるならきちんと食べて欲しかった。
「そもそもリューちゃん、ずっとカロリーパートナーばっかりで飽きないの?」
「チョコレート味とチーズ味とベーコン味をローテーションしているから、飽きないよ。チョコレート味はチョコチップも入っていて美味しいんだよね」
そういう問題ではない気がする。
ベーコン味がどんな感じなのか気にはなるけど。
「お店の人にいつも栄養バー買っている人だって顔覚えられるわよ? この辺のコンビニとかって、有人店舗しかないわよね?」
「インターネットの通販で箱買いしているから、そこは問題ないよ」
そういう問題でもない気がする。
ネット通販で購入しているというのなら、配達員の人に顔を覚えられそうだ。
――問題、大ありではないですか。
ポラリスとセレッソとしては、リヒトが栄養バー頼みの生活をしているのが気にかかっているのだ。
あの手の食品はあくまで補助的なものであって、毎日三食食べるものではない。
「………………だめですセレッソさん」
「………………そうですねポラリス様」
あ、駄目だこいつ。なんだか残念な感じのムードが病室に充満した。リヒトだけがきょとんとしている。
でも。きっとリヒトがそんなに時短で食事を済ませようとするのは。きっと。
「けどリヒトさん。つまりそれだけお仕事がお忙しいということですよね……?」
毎日の仕事、つまり彼が仕える次期聖女ポラリス・クライノートのためだ。
目を泳がせるリヒトに、ポラリスは穏やかに言う。
「リヒトさんは確か食いしん坊でしたよね? 好きでお食事を簡単に済ませるとは……思えないのです」
リヒトの青い双眸が、ハッと見開かれた。その口元に笑みが浮かぶ。
「そっか。そんなことも覚えていてくれたのか……」
かつてリヒトはよく食べる子どもだった。
学年が違ったので実際目にしたわけではないが、給食はいつもおかわりし、あまったデザート争奪じゃんけんには必ず参戦しているのだと聞いた。
あの頃放課後ポラリスが一緒にすごした時は、よく「お祖母ちゃんがこんな美味しいおかずを作ってくれたんだ」とか、「この前スーパーで買ったチョコレートのお菓子がおすすめだよ」とか、耳より情報を教えてくれたものだった。
実家があのザマだったポラリスだったので、残念ながら教えてくれた菓子や惣菜を食べられる機会はなかった。でも。
隣で楽しそうに話すリヒトがいてくれたから、それで良かった。
「覚えていますよ、リヒトさんのことですから」
ポラリスは懐かしさに目を細めた。どれも嬉しかったことばかりだ。
「ポラリス……」
「それに……一応私とリヒトさんは公的には主従関係にあるということになりますよね」
「そうだね」
「従者がお腹を空かせていては、
最後の一文は、聖女らしくきっぱり告げた。
「これは主としての……命令のようなものだと思ってください。今朝……あんなことをした私が言えることでは……ないかもしれませんが……」
リヒトの健康を案じているが、そういう自分は朝命を粗末にしようとしたばかりだ。
「私は……馬鹿でした。私の中にはリヒトさんたちからいただいた、『嬉しい』がたくさんあるのに。なのに死のうとして……本当に、馬鹿でした」
「言えたらでいいのだけど。君はあの時、本気で飛び降りたかったのかい?」
一拍おいて問う、リヒトの瞳の奥が揺らいでいる。ポラリスは大事な人を悲しませてしまっている。
「逃げたかったのです」
ならせめてと。はっきりと、答える。
「死ぬ気はありませんでしたが、全部から逃げ出したかった。ずるい言い方をしますが、あの時の私は正常ではなかったのです。夢の中で……嫌な人から、すごく嫌なことを言われて、パニックになっていたのです」
「……悪い夢を見たのか……。ごめん、僕がそばにいてあげられていたら……」
リヒトが苦しげに長い
「いいえ……いいえ……。リヒトさんも、誰も悪くないことですから」
今回に限って言えば、勝手に夢に出演させられたリーヴィアだって悪くない。
「そっか……そうだな。うん、僕も次からはちゃんと食べるようにするよ……君は主である以前に大切な人だから……そのくらいの命令、いくらでもきける」
リヒトは決して、ポラリスから目を背けない。病めるときも、健やかなるときも。
「私も……もう危険なことはしないと……お約束します……」
ポラリスは目を潤ませて微笑んだ。少しでもこの真っ直ぐな人に応えたかった。
「そっか、ありがとう」
リヒトも微笑む。
二人を見守っていたセレッソが、優しい笑みを浮かべていた。
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