第11話 暗躍

 赤月八雲あかつきやくも地場颯妃ちばさつきが他愛のない口論をしていた頃。

 陽斗と彰人が通う大学の執務室の一角では、その場に似つかわしくない二人の男が散らかった部屋の片付けを行っていた。ひとりは馬の耳が頭部に生えた細身の青年、もう一人は牛の角が頭部に生えた、体格が大きく背も高い男だ。二人とも色違いの燕尾服を身に着けているが、牛の角が生えた男はシャツのボタンが外れ、上半身の胸元半分ほどが露わになっている。

「なぁ、シロ…俺たちこのまま此処に居ていいのか?」

「…颯妃さつき様がそう仰るなら、そうするしかないでしょう」

「とりあえず室内は綺麗にしたし、取られたものは何もなかった…なら加勢した方がいいんじゃ」

「私たちはこの場の警護を頼まれたのですから…勝手に動いてはなりません」

 シロと呼ばれた青年は、優雅な動きでゴミ袋の口を縛り部屋の角に置いた。褐色の肌に白髪の彼はやけに目立ち、白い毛並みの馬耳と、同じ色の尻尾が揺れる。幾つも置かれたゴミの山は、明日の回収で全て無くなる予定だ。床に放置してあった開かれたままのファイルについた埃を手で払い、丁寧に主の執務机の上に置いた。そして、そのページに貼られている写真の景色をじっと見つめた。緑の生い茂る山々の中腹に、遺跡のような建造物が写り込んでいる。

「…封神台…。まさか、自分たちがこのような場所から出てきたとは思いもしませんでしたね」

「戦いで封じられたんじゃなくて、ほとんど事故だったけどな…でも、その事故があったからさつきに助けられた」

「黒、目上の人には何度も『様』をつけるようにと言っているのに…まぁ、冥界でも閻魔様に喧嘩を売るような人でしたからね…あなたは」

 シロから『黒』と呼ばれた彼は、筋肉質で太い指先を器用に動かし、床に散らばっている何かを拾う。それが何かなのか彼は知らないが、恐らく主の大切なものなのだろうと丁寧に拾い上げた。

 二人は元々、死後の世界である冥界にて死者を受け入れ、それぞれの地獄に送り届ける役を担う獄卒だった。白無常・黒無常と呼ばれており、冥界での位は低いが人間の信仰心が厚く、アジア広域で廟に祀られ、親しまれる神とされていた。よく地上に出ては人間たちの生活を観察して、面白そうに眺め人間たちの文化を習得する。白無常は手にした扇を一振りし、残された死者の遺族へ金品あるいは死者の遺品を渡していた。一方黒無常は死者の魂を縛る鎖を肩から提げ、逃げようとする魂を捉えて離さず、人間たちに恐れられている。

 そんな彼らが死者の魂を冥界に連れて行こうとした矢先、その死者の魂と共に見知らぬ場所へ飛ばされてしまう。薄暗い場所に閉じ込められてからどれだけ経ったのかも忘れてしまったその時、誰かが彼らの腕を掴んだ。

『…あたしに従って自由になるか、断って一生閉じ込められるか…ふたつにひとつ、選ぶならどちらかしら』

 白無常と黒無常を呼び止めたのは、華奢な腕の女だった。綻び始めた封印の結界を掻い潜り、隙をついて元居た場所に戻ること。それが”彼女”の目的だと知り、利害が一致した二人は即答で頷く。彼女の名前はすぐに聞けなかったが、地上に出たと同時にその姿を見て絶句する。

 美しい黄金色の髪と尾を持つ、絶世の美女と謳われる仙狐であった。名を、妲己と言う。しかし彼女はかの封神台から脱出すると同時に力を使い果たし、『転生したあたしを見つけたら、よろしくね』と言い残して絶命してしまう。それから白無常黒無常は、至る土地を探し周り妲己の生まれ変わりを探した。冥界に戻ろうにも戻る方法がなく、余りにも年月が経ち過ぎてしまっていたのだ。しかし幾年経とうと妲己の生まれ変わりを探すことは諦めきれず、ようやく手がかりを見つけた。海を渡ってやってきた日本と言う島国で、それらしき美しい女に会ったと言う噂を聞いては足を運んだ。

 地場颯妃ちばさつきと二人が出逢った時、彼女は二人を見て息を飲み、すぐに近づいて「私を知っていますか」と問い掛けた。その時の衝撃は未だに忘れられず、今でも思い出すと少し鼻の奥がつんとする。

 はるばる見知らぬ土地にやってきて、日本の土地神と喧嘩にもなった。しかし最終的には力を消耗していた白無常は馬頭天王の力を借りて、力づくで喧嘩に勝った黒無常は牛頭天王の力を奪い、それぞれが馬と牛の特徴を持った異形の姿に変わり果ててしまった。それでも颯妃さつきは自分たちだと分かってくれたのだ。

 それ以来、二人は彼女と行動を共にしている。時には別行動でサポートし、時には共に調査へ赴く。日本の生活に馴染めるようにとヒトになる形態を教えられ、白と黒の燕尾服を身に纏った。ひと目を掻い潜っては大学の執務室に赴いて、何をやるべきなのか指示を仰ぐ。二人にとっては、彼女の存在が全てだった。

「…そういえば、あいつはまだ帰らないのか?」

「何か厄介なことになっていなければ良いのですが」

 なんとなく嫌な予感がして、シロが執務室内にある固定電話を見遣る。すると示し合わせたかのように電話の呼び出し音が鳴り、急いで受話器を取った。

「…はい。はい、います。…わかりました、二十三番の丹薬ですね」

 相手はどうやら地場颯妃ちばさつきらしく、シロの言葉を聞いたクロが戸棚の引き出しを開け、【二十三】と書かれた薬瓶を取り出した。動かすと錠剤らしきものが揺り動かされ、乾いた音が聞こえる。

「ほんとにこれを?一体誰に使うんだ…」

 半ば呆れたようにその瓶を持ち、追加で言われた道具を手にする。通話を終えたシロは大きな溜息を吐いた。

「…どうやら暁八雲シャオ・バーユウと遭遇したそうで」

「げっ…あいつまだ生きてるのか…」

「という事で、私は出てきます。留守を頼みましたよ」

「いやだ。俺も行く」

「…クロ、後でお仕置されたいですか?」

「っ、それは御免だな…ここに居よう」

「懸命な判断です」

 にこやかに笑みを浮かべ、シロが執務室の窓辺に向かって大窓を開ける。優雅な身のこなしで窓枠に足を掛け、振り返ることなく思い切り飛び降りた。ヒトの身体ではあるが、元より異形の神なのだ。いつの間にか何事もなかったかのように外を歩く相棒を遠目に眺め、クロは彼の無事を確認した。

「はぁ~…正気の沙汰かよ」

 元より青ざめた表情が更に青くなり、怖いものを見るかのように首を振って再び窓を閉める。

 空はどんよりと薄暗く、今にも雷雨を呼び起こしそうだった。

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