第5話 天命
「
「…!」
「もう大丈夫だから…離していい」
「了」
赤月が手を離すと彰人はその場に膝をつき、顔面蒼白でブツブツと何かを呟いている。陽斗が彼の肩に触れると肩を跳ねさせ、譫言のように「僕じゃない」と呟いた。
「…分かってるよ。おまえ、あんな運動神経良くないだろ?」
「あの前後に何があったのか…何も憶えてないんだ…」
「陽斗、そいつの話を鵜呑みにするな」
「まぁまぁ…とりあえず、ヤツの話を聞こうよ」
警戒する赤月をなだめつつ、陽斗は彰人を立ち上がらせる。街の真ん中で起きた出来事に危うく人だかりが出来てしまいそうになったが、陽斗は穏便に済ませるためふたりの手を引き場所を移動することにした。静かに会話ができて、なおかつ目的でもある場所…青天目写真館へ。
× × ×
平日はシャッターを閉めているため、従業員用の出入口の扉を解錠して屋内に入り込む。彰人が陽斗の腕を握り、赤月から距離を取ろうと身体を押し付けるようについて行く。写真館は撮影ブースと展示ブースに分かれており、撮影ブースは現在使われていない。カメラマンとして誰かを撮影し、収入を得るのに特別な資格は不要だが、写真技能士の資格取得と確実な技術を得るまでは、その場所を塞ぐと陽斗自身が決めていた。
展示ブースの照明を灯すと室内中央には様々な撮影機材がガラスケースの中に陳列され、陽斗が撮影した写真を飾る額縁が壁にずらりと並んでいるのが見える。
ようやく緊張が解れたのか、彰人は来場者用のソファに座り込み深く息をついた。陽斗もテーブルを挟んだ反対側のソファへと腰掛ける。
「はぁ~…死ぬかと思った…」
「…良かった、いつものキリヤだ」
陽斗が安堵して肩の力を抜くと、室内を見回していた赤月を呼び手招きする。赤月と彰人は初めて会った時の印象が最悪だっただけに、諸々溝を埋める機会にもなればと思ったからだった。
「…えっと、こっちは俺の友達の霧谷彰人。同じ大学に通ってるんだ。んで、こちらは俺の…遠縁の兄貴みたいな人で、赤月八雲って言う…」
「ひっ!」
「もう怯えなくて大丈夫だよ…意外に優しい人だから」
「意外に、は余計だ」
未だに警戒しているのか、赤月は彰人を睨みつけるように見つめて視線を外さないでいた。今にも噛み付きそうなその表情に、陽斗は肩を竦めつつひとまずこれまでの経緯を整理することにした。
陽斗が襲われた時間帯は、昨日の夜二十時頃。大学から帰る途中、飲食店で夕飯を食べて帰路についた時だ。
暗闇の中とは言えど近所で、襲われるとは思わず完全に油断していた。背後から近寄る何者かに後頭部を殴られ、痛みに呻きながら犯人を見る。その犯人が友人の霧谷彰人だった訳だが、普段運動をそこまでしない彰人が、俊敏すぎる動きで陽斗を翻弄した。そもそも彰人は運動音痴で、どうやって体育の授業をくぐり抜けてきたのか分からないくらい動けないのに、足音を立てず忍び寄ること自体が不可解だった。
「あれだけ機敏に動けたら、バスケで顔面にボール喰らうなんてありえないんだよなぁ」
「…それは僕が一番知ってるよ…」
項垂れるように彰人が言うと、それまで何も言わなかった赤月が口を開いた。陽斗が襲われている最中、助けたのは彼である。陽斗は彼と共に逃げ出し、途中で気絶した所を赤月に背負われた。赤月の拠点であるビジネスホテルに向かったのが大体二十一時頃だ。それから陽斗は朝まで目を覚まさず、気付けば赤月が傍にいて、今に至る。
「私は途中で止めに入ったが、霧谷は何者かに操られた可能性が高い。相手したときに気付いたのは、本来できない動きを無理矢理していたことだ。拳をあえて受けそれをさばくように受け流すのは合気道だが、足を払い背負い投げされそうになった」
「えっ…」
「合気道と柔道の経験は?」
「…あるわけないでしょ。柔道は中学体育の授業で散々投げられたくらい」
「だとしたらキリヤは誰に操られたんだ…それに八雲は何でそんなに不機嫌なの?」
「…容易く洗脳されてしまい、友人に拳をむける奴は信用ならん…」
「もしかして僕に嫉妬してたりして?あなたの知らない陽斗を知ってるから」
「それはない」
彰人の挑発には乗らず、赤月は何かを思い出すかのように自分のこめかみを人差し指で押さえた。
洗脳、と言うには時間が短く短絡的で、理由も明らかではない。しかし陽斗の写真データを狙っているのだとしたら、その人物に心当たりが無い訳ではなかった。
「キリヤ、最後に会った人物を憶えているか」
「最後に…?確か昨夜はバイト行く前に大学で誰かに呼ばれて…あれ?誰だっけ…」
「特徴は?性別でもいい。何かないか」
「…そう言えば、やけに甘ったるい匂いがしたな…そうだ、講師のさつき先生!」
彰人が思い当たる人物の名前を出すと、陽斗の短い悲鳴が聞こえた。二人に視線を向けられ、陽斗は我に返り訝しげな顔の赤月に説明する。もし彰人を操ったのが大学内の関係者で、赤月八雲ではなく暁八雲の知る人物だったら。何千年も身を潜めた仙道の類ならば、彰人まで人智の及ばぬ危険に晒してしまいそうで不安になった。
「その人は俺たちの大学にいる講師で…めちゃくちゃ美人なんだけど、何処か謎めいてる人だ。年齢不詳でやけに古代神話に詳しくて、正直俺は苦手だな…」
「もしや…不老不死、か」
「まさか、そんな事は有り得ないでしょ?」
「いやー…それがほぼ有り得るんだな…」
「え?」
苦虫を噛み潰したような表情の陽斗は、何処まで彰人に話していいのか探り探りで話を続ける。何か考えるようにソファの肘掛に凭れ、頬杖をつく赤月を横目で見遣った。
すると何かに気付いたように赤月が立ち上がり、壁に掛けてあった1枚の額縁に近づく。大きな額縁の中の被写体は、何故これを撮影したのか分からないようなものだった。野外で撮られた一枚で、全体的に茶色くくすんでおり地面には枯葉のようなものが山のように積み重なっている。
「陽斗、この写真は枯れ木を撮影したのか?」
「…あれ?いや、それは…」
「満開の桜の木……だったよね」
陽斗と彰人は顔を見合わせ、立ち上がり直ぐに赤月の元へと寄った。
□□□□
『これ、なんでだ…まさか』
『しゃ…写真が動いてる?』
『陽斗、これは何時撮影したものだ…?』
「……」
薄暗い室内から、その女は何かを見ていた。書類やファイルが散乱するデスクの上、宙に浮かぶ鏡が揺らめく。鏡の向かいに座る人影はデスクに頬杖をつき、つまらなそうに鏡を指で弾いた。キン、と涼やかな音を立てると鏡はその場で瞬時に消え去り、同時に室内は静寂に包まれる。音もなく閉ざされていた窓のカーテンが自然に開き、鏡と部屋の持ち主の顔が顕になると、彼女の異様な美しさと真反対の室内に誰もが閉口してしまうだろう。
デスクの上だけでなく、室内は荒れに荒れていた。本棚、引き出し、キャビネット、すべてのものがひっくり返されたような惨状は、強盗に入られたか台風でも通った後のように見える。書類は幾重にも積み重なり、ファイルは開かれたまま放置されていた。今朝空になったばかりのゴミ箱にはペットボトルとコンビニの稲荷寿司の空き箱が溢れ、ゴミ回収を早くも待ち望んでいる。
この部屋の主はそんな中、平然と椅子から立ち上がり、大きく両手を叩いた。
「…お呼びでしょうか」
何処からともかく現れたのは、馬の耳が頭上に生えた褐色の肌の男だ。双眸は洗練された琥珀のように鋭く輝き、身に纏う燕尾服は雪のように白い。臀部からは耳の毛色と同じ、純白の尻尾が生えて揺れている。異様なのはその異形に似た外見にも関わらず、所作の端々に優美さを兼ね揃えているところだ。まるで屋敷に勤める執事のような立ち居振る舞いをしており、彼が今いる場所との乖離がありすぎる。
「シロ、私は青天目写真館に行くわ。クロもそろそろ来る頃よね?」
「はっ」
「あなたたちは此処の片付けをお願い。無くなってない物がないか確認して…くれぐれも生徒たちに見られないように」
「御意…。天命のままに」
「天命だなんて…畏まらずに普段通りでいなさい。今の私は…ただの大学講師よ」
彼女はそう言いながらも、何処か楽しそうに嗤う。一瞬だけ、その美麗な顔立ちに大きな狐耳が見え隠れした。
「…青天目陽斗。鍵は必ず開けてあげる」
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