Chapter.7 廃墟内探索

「……なによ、あんたたち! いい加減に説明しなさいよ!」


カメラに向かって叫ぶミティの声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。


「わけのわからないことばっかり言って! ……もういいわよ!」


ミティは、やけになったように吐き捨てると、目の前の巨大な鉄製のゲートに向き直った。


「行けばいいんでしょ、行けば! 文句ある!?」


半ばキレ気味にそう叫び、彼女はゲートの冷たい取っ手に手をかける。

だが――その指先が、わずかに震えているのをカメラは捉えていた。

勢い込んで手をかけたはいいものの、その先に広がるであろう、忌まわしきカルト教団の巣窟。

その得体の知れない闇を前に、彼女の足は縫い付けられたように動かなかった。


その時だった。

不意に、画面の端から、もう一つの手がすっと伸びてきた。

ミティの手に、そっと重ねられる。

カメラを操作しているはずの、ルックの手だった。


「……大丈夫」


画面外から聞こえる、静かで、けれど芯の通った声。


「私が、ついてるから」


その言葉に、ミティはハッと息を飲み、隣にいるはずのルックを振り返る。

不安に揺れていた瞳に、確かな光が宿るのが分かった。

彼女は一度、力強く頷くと、もう一度ゲートへと向き直る。

今度はもう、迷いはなかった。


「……上等よ。さぁ、行くわよ!」


決意を固めたミティが、重ねられたルックの手に力を込め、二人で全身の体重をかけてゲートを押し開く。


ギィィィィ……ッ。


まるで闇の底から響くような、錆び付いた蝶番の悲鳴が、不気味な山の中にこだました。

ゲートの向こう側に、深淵のような暗闇が、ゆっくりと口を開けていく。


ミティとルックの二人分の体重を受け、巨大な鉄製のゲートはゆっくりと、深淵のような暗闇をその向こう側にこじ開けていった。


『開いた…』

『うわあああ、いよいよか』

『ミティ、ルック、気をつけて!』

『てぇてぇパワーで呪いを祓え!』


コメント欄の喧騒を背に、ミティはごくりと喉を鳴らす。

ゲートの隙間から吹き付けてくる空気は、カビと腐臭が混じった、淀んだ匂いがした。

彼女は意を決して一歩踏み出し、それに続くようにルックも敷地内へと足を踏み入れる。


ゲートから目的の建物までは、短い距離だった。

しかし、手入れを放棄されて久しい敷地は、腰の高さまである雑草に覆い尽くされている。

二人分の足音だけが、不気味な静寂の中でやけに大きく響いていた。


やがて、二人の前に建物の入り口がその姿を現す。

ガラスの嵌っていたはずの両開きの扉は、片方が無残に砕け散り、もう片方も蝶番が外れて傾いていた。

暗く、ぽっかりと開いたその入り口は、まるで巨大な獣の口のようだ。


ミティがその闇の中を覗き込もうとした、その時だった。


「ミティ君」


配信を通じて、アンカールの静かな声が響いた。


「一つ、忠告しておく。その建物の中は、かなり入り組んだ構造になっている。迷わないよう、くれぐれも気をつけてくれたまえ」


そのあまりに自然な、まるで見てきたかのような口ぶりに、ミティは訝しげに眉をひそめた。


「……なんであんたが、そんなこと知ってんのよ」


もっともな疑問だった。だが、アンカールがそれに答えることはない。

ミティは小さく舌打ちすると、半ば自棄になったように、傾いた扉の隙間から身を滑り込ませた。

ルックもその後に続く。


カメラのライトが、建物の内部を照らし出す。

そこに広がっていたのは、想像を絶する光景だった。


「……なんなのよ、この建物……」


ミティが呆然と呟く。

外から見ただけでは分からなかったが、内部は壁が入り乱れ、まるで迷宮のように複雑な構造をしていた。

四方八方に行き止まりや、どこに続くのかも分からない薄暗い通路が伸びている。

床には瓦礫や正体不明のゴミが散乱し、壁は至る所が崩れ落ちていた。


『うわ、ガチの迷宮じゃん』

『これはヤバい…』

『絶対迷うだろこんなの』


視聴者もその異常な光景に息を飲む中、配信画面がゲストの一人、栗栖あがさに切り替わった。

彼女は腕を組み、鋭い目で画面を見つめている。


「……なるほど。あの教団には、違法な薬物を製造しているという黒い噂が絶えなかった。もしそれが事実だったとしたら、この構造にも説明がつきます」


彼女は、ミステリー作家らしい冷静な口調で自らの推理を語り始めた。


「万が一、警察の強制捜査が入ったとしても、この迷路のような構造が時間稼ぎになる。その隙に、証拠となる薬物や機材を隠滅し、裏口から逃亡する……。そのために、意図的にこういう設計にしたのではないでしょうか」


「うわっ!」


ミティの短い悲鳴と共に、カメラの視点が大きく揺れる。

どうやら瓦礫に足を取られたらしい。

ルックが「大丈夫?」と声をかけ、ミティが「平気よ、これくらい!」と強がって返す声が聞こえる。


コメント欄には『ミティw』『足元気をつけろよ』『ルックの「大丈夫?」が優しい』といった書き込みが流れた。


栗栖あがさの推理した通り、建物の内部はまさしく迷宮だった。

いくつもの狭い通路を抜け、無意味に思える階段を上り下りし、二人は慎重に奥へと進んでいく。


やがて、ひときわ大きな両開きの扉が目の前に現れた。

ミティとルックは顔を見合わせ、頷き合うと、ゆっくりと扉を押し開ける。


その先に広がっていたのは、体育館ほどの広さを持つ、がらんとしたホールのような空間だった。

天井は高く、壁際にはかつて信者たちが使っていたのであろう、簡素な二段ベッドがいくつも並べられている。

中央には祭壇のようなものが設えられており、その前には集会で使われたであろう長椅子が、乱雑にひっくり返っていた。

十五年という歳月と、人の手の入らなくなった廃墟特有の静けさが、空間全体を支配している。


「……へぇ。ここで寝泊まりしてたのかしら」


ミティは、珍しく感心したような声を漏らしながら、カメラを持つルックを促してホールの中へと足を踏み入れた。

ライトの光が、床に散らばるガラス片やボロボロになった聖書のような本を照らし出す。


その光景を見ながら、アンカールが静かに、そして重々しく口を開いた。


「そこが、教団の信者たちが生活の拠点としていた大ホールだ。そして……あの集団自殺が行われた場所でもある」


その一言に、ミティの足がぴたりと止まった。


「……マジ?」


彼女の声から、先程までの強気な響きが消え失せている。

おそるおそる、自分の足元、そして周囲を見渡す。

この床の上で、かつて二十六人もの人間が折り重なるようにして絶命していた。

その事実が、ずしりとのしかかってくるかのようだ。


ルックも同様に衝撃を受けたのだろう。

彼女が持つカメラが、小刻みにカタカタと震え始めた。

その微かな振動が、声にならない恐怖を生々しく配信画面の向こうへと伝えていた。


『うわ…』

『ここかよ…』

『さすがに空気が重い…』

『ミティもルックも無理すんなよ』


コメント欄も、先程までの野次馬的な雰囲気から一変し、緊張と恐怖に支配されていた。

重苦しい沈黙が、ホール全体を支配していた。

集団自殺の現場というあまりに生々しい事実に、誰もが言葉を失う。

ミティもルックも、その場に縫い付けられたかのように動けずにいた。


その、時だった。


何かに引かれるように、ルックの持つカメラの視点が、ゆっくりと動く。

ぬるり、と。

今しがた二人が入ってきた、大ホールの暗い入り口へと。


そして、カメラは捉えてしまった。


入り口の闇の向こう側で、何かが、一瞬だけ、動いたのを。

それは輪郭さえおぼろげな、人のかたちをした影のようだった。

影は、まるで覗き込んでいたところを見つかったかのように、慌てて闇の奥へと引っ込んだ。


刹那の静寂。

そして、コメント欄が爆発した。


『え』

『いま、なにか』

『いた』

『いたいたいたいた!!!!!!!!』

『マジで出た!!!!』

『うわあああああああああああああああああ』

『ミティ逃げて!!!!』

『今すぐ出たほうがいい!!』

『中止だ中止!!!!』


ルックの「……ミティ」と言う呟きと共に、カメラが大ホールの出入り口を見たまま固まったミティを映す。


「ミティさん!」


あまりの出来事に誰も言葉が出ない配信に、ピピル野ピピカの声が響く。

凛とした、しかしどこか機械的な響きを持つ声だった。


「すみませんが、そのホールの奥、向かって右端の壁際まで行ってもらえませんか?」


その意図のわからない指示にミティは反発する。


「……はぁ? なんでよ! 今それどころじゃ……」

「いいから、お願いします」


有無を言わせぬ口調だった。

ミティは釈然としないながらも、ピピカの言葉には何かただならぬものがあると感じ、渋々といった様子で壁際へと歩き始める。

ルックもカメラを回しながら、その後を追った。


壁の前にたどり着いたミティに、ピピカはさらに指示を続ける。


「その壁の一番下の角、床との境目のあたりに、何か蓋のようなものはありませんか?」


ミティは訝しみながらも、言われた通りの場所に視線を落とす。

ルックがカメラのライトでその辺りを強く照らし出した。

すると、壁と床の継ぎ目に、一枚だけ色の違う床板が嵌め込まれているのが分かった。


「……あったわよ。これのこと?」

「はい、それです。それを、開けてみてください」


ミティは躊躇いがちに床板に指をかけ、持ち上げる。

埃っぽい木の蓋の下から現れたのは、壁の中に埋め込まれた、古びて赤黒く錆びついた鉄のレバーだった。


「何これ……」


ミティが困惑の声を漏らす。

コメント欄も『隠しレバー!?』『ゲームみたいだな』『何が始まるんだ…』と一気にざわめき立った。


「ミティさん。そのレバーを、思いっきり手前に引いてください」


ピピカが、淡々と告げる。

ミティは錆びたレバーと、配信画面の向こうにいるであろうピピカの姿を交互に想像し、何かを決意したように息を吐いた。


「……分かったわ。でも、後で全部、ぜーんぶ説明してもらうからね!」


そう言い放つと、彼女は両手でレバーを掴み、渾身の力を込めて手前に引き倒した。


ガコンッ!!


腹の底に響くような、重い金属音がホール全体に鳴り響いた。


「きゃっ! ……今の音、どこから!?」


突然の轟音に、ミティが驚きの声を上げる。

ルックが素早くカメラを周囲に向けながら答えた。


「……部屋の、真ん中あたりから」


二人は顔を見合わせ、音のしたホールの中央へと急ぐ。

そして、信じられない光景を目の当たりにした。


先程まで確かにそこにあったはずの床が、まるで舞台の奈落かのように消え失せ、ぽっかりと黒い四角い穴が口を開けていたのだ。

そして、その暗闇の中へと、まっすぐに続く石の階段が伸びていた。

地下へと続く階段が。


「……ど、どうなってるのよ、これ……」


あまりの超展開に、それまで冷静に分析していた栗栖あがさが、思わず素っ頓狂な声を上げた。

ミステリー作家の想像力をもってしても、目の前で起きていることは理解の範疇を超えていた。


『隠し階段きたああああ!』

『RPGかよwww』

『ピピカちゃん何者なんだマジで…』

『アンカールさんも何か知ってそうだよな』


コメント欄は、先ほどまでの恐怖が完全に消え、圧倒的な好奇心と興奮に支配されていた。


「ねぇ……これ、行っていいの……?」


ミティが、目の前の暗闇を覗き込みながら、恐る恐る尋ねる。

その声はわずかに震えていた。

それに答えたのは、やはりピピル野ピピカだった。


「はい。そこから外に出られますから」


ミティは大ホールの入り口の方を見て呟く。

「何かいるかわからないあそこに戻るよりはマシか……」

そしてカメラのレンズ、いやその先にいるルックを覚悟を決めた目でみて言った。


「……行くわよ、ルック」

「……うん」


短い返事と共に、カメラがこくりと頷くように小さく揺れる。

ミティは、一歩、また一歩と、地下へと続く石の階段に足を踏み入れていく。

ルックのカメラが、その背中をライトで照らし出しながら、慎重に後を追う。

ひんやりとした、カビ臭い空気が二人の体にまとわりついた。


階段は、思ったよりも長くはなかった。

やがて目の前に、どこに続くのか終わりが見えない長い通路が現れる。


栗栖あがさが、「迷路になっている建物で時間稼ぎをしている間に、ここから脱出するために造られた経路では?」と推測する。


「そこから出られますから、進んでください」


ピピル野ピピカの言葉に、得体の知れない何かが潜むかもしれない建物の中を進むよりはマシと判断した二人は、ゆっくりと先へと進む。

やがて片方の壁に、無機質なアルミ製の両開きの扉が現れる。


「なにこれ」と呟くミティ。

「開けてみても大丈夫ですよ」とピピル野ピピカ。


ミティは一瞬ためらった後、好奇心か配信者としてのプライドか、意を決してその冷たい取っ手に手をかけ、力を込めて押し開けた。


扉の向こうに広がっていたのは、廃墟のイメージとはあまりにかけ離れた、近代的な空間だった。

部屋の中央には、ステンレス製の大きな作業台がいくつも並び、壁際には薬品をしまうための棚や、業務用の巨大な冷蔵庫が設置されている。

まるで、どこかの大学の研究室か、製薬会社の実験室のような光景だ。


『うわ…』

『なんだここ…』

『めちゃくちゃ新しいじゃん』

『さっきまでの廃墟と全然違う…』


栗栖あがさが、驚愕の声を上げた。


「まさか……ここが、あの噂の……! 違法薬物を製造していた施設……!?」


栗栖あがさの叫びが、配信の向こうから響き渡る。

だが、その声に答える者は誰もいない。

地下の異様な空間に、全員が言葉を失っていた。

その静寂を破ったのは、やはりピピル野ピピカだった。


「ミティさん、ルックさん。扉を入ってすぐ左手の壁に、照明のスイッチがあるはずです。それを入れてみてください」


淡々とした、あまりに場違いなほど落ち着いた声だった。

ルックが、言われた通りにカメラを左の壁に向ける。

そこには、何の変哲もないプラスチック製のスイッチが取り付けられていた。

ルックは一度ためらい、そして意を決してそのスイッチを押し込む。


カチリ、という軽い音。


その直後、天井に設置された蛍光灯が一斉に点灯し、無機質な白い光が部屋の隅々までを照らし出した。


『うそだろ!?』

『電気がついた…!』

『なんで!? 15年前の廃墟だぞ!?』


コメント欄が、信じられないといった言葉で埋め尽くされる。

カメラがゆっくりと辺りを見回す。

ライトが点いたことで、部屋の異常さがより一層際立った。

ステンレスの作業台は一点の曇りもなく、壁際の薬品棚や椅子にも、十五年という歳月を感じさせる埃や汚れは一切見当たらない。

まるで昨日設置されたかのように、何もかもが真新しい。

そして、耳を澄ませば、巨大な冷蔵庫が「ブゥゥン……」と低い唸りを立てて稼働している音まで聞こえてくる。


「ど、どうなってるのよ……!」


栗栖あがさが、叫ぶように言った。

その表情は、もはや冷静な推理作家のものではなく、理解不能な現象に直面した一人の人間としての、純粋な混乱と恐怖に染まっていた。


「教団が解散してから、もう十五年も経ってるのよ!? なんで机や棚がこんなに真新しいの!? なんで電気がつくのよ!」


その時、カメラを操作していたルックが、ふと何かに気づいたように呟いた。


「……棚の中、何も入っていません」


カメラが薬品棚にズームする。ガラス戸の向こう側は、空っぽだった。

その言葉に、ミティもはっと我に返り、一番近くにあった冷蔵庫の分厚い扉に手をかけて開ける。


「こっちもよ! 何も入ってない!」


がらんどうの冷蔵庫内が映し出される。

そして、カメラの視点が、何も乗っていない、ただただ綺麗なだけの作業台の上を滑るように映し出した。


「……薬品を扱っていたなら、ビーカーとかフラスコとか、それ用の機材があるはず……」


ルックが、ぽつりと呟く。

その言葉が、この部屋の決定的な違和感を全員に突きつけた。

ここは、稼働している研究室ではない。

まるで映画のセットのように、真新しく、そして空っぽの空間がそこにあるだけだった。


「……一体、どうなってるのよ……」


ミティの呆然とした声が、不気味なほど静かな地下実験室に、虚しく響いた。


呆然と立ち尽くすミティ。

混乱の極致にある栗栖あがさ。

そして、何が起きているのか理解できず、ただ固唾を飲んで画面を見守る視聴者たち。

その混沌とした空気の中に、ピピル野ピピカの静かな声が、凛と響き渡った。


「――これは極々単純な話なんです」


その場にいる全員の意識が、一斉に彼女に向けられる。


「教団は、解散などしていません。十五年前のあの日からずっと、水面下で活動を続けていた」


ピピル野ピピカは、まるで歴史の教科書を読み上げるかのように、淡々と、しかし確信に満ちた口調で続ける。


「そして、これまで私たちが語ってきた一連の奇怪な事件。その全ては、呪いでも祟りでも、超常現象でもない」


彼女はそこで一度、言葉を切った。

ゴクリ、と誰かが息を飲む音が、配信に乗る。


「すべては、歪んだ顕示欲を持った一人の教主と、その教主を信奉する狂信者たちによって引き起こされた、ただの、人間による犯罪なんです」

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