Chapter.3 カルト教団集団自殺事件

「さて、ここからは個別の事件を深く掘り下げていこう」


 アンカールの声が、重くなった場の空気を支配する。画面には『カルト教団集団自殺事件』というテロップが大きく表示された。


「まずは全ての元凶となる教団そのものについてだ。彼らは、よくある『終末思想』を掲げ、やがて訪れる世界の終わりから信者だけを救済することを目的として活動していたカルト教団だ」


 アンカールは淡々と、しかし聞き取りやすい声で続ける。


「教団創始者であり指導者でもあった女性には、信者の一人との間に生まれた、当時十歳になる娘がいたそうだ。そして、彼らには黒い噂が絶えなかった。活動資金を得るため、教団内で違法な薬物を製造している、とね。我々が先ほど話題にしたジャーナリストが彼らを執拗に追っていたのも、その辺りの裏付けを取ろうとしていたのが理由だとされている」


 画面に生前のジャーナリストの写真が小さく映し出される。


「彼らは人里離れた施設で共同生活を送り、外部との接触は、必要物資の購入や各種行政手続きなど、最低限のものだけだったという。だが、その閉鎖性と不気味さから、やがて彼らは世間から疎まれるようになり……ある町の山を丸々一つ買い取り、そこに新たな本拠地を構えることになった」


 その説明に、山道を歩くミティの声が重なる。

「それが今、私がいるところね」

 イヤホンでアンカールの言葉を聞いていたミティに、アンカールは画面越しに頷き返した。


「当然、周辺の住民からは激しい反対運動が起きた。そして、その反対運動の先頭に立っていたのが、後に議員となる、あの女性だ。彼女は、この時の活動実績で、議員にまで上り詰めたわけだ」


 その事実に、コメント欄がざわつく。

『うわ、繋がった』

『なるほど、いろいろ繋がってくるな』


「だが、彼らの活動や移住には法的な問題がなかったため、住民の反対を押し切って、教団はそこに居座ることになる」


 アンカールは、そこで一度言葉を切ると、物語の核心に触れるように続けた。


「そして、この頃から教団の内部に不協和音が生じ始める。原因は、教祖の娘だ。彼女は母親譲りか、相当に聡明でカリスマ性も備えており、教団内に少人数ながらも独自の派閥を作り上げていたそうだ。現状維持を望む母に対し、娘は『表向きは一旦解散し、完全に地下に潜って活動すべきだ』と主張し、二人は激しく対立していたという」


 その解説に、ゲストの一人、栗栖あがさがぼそりと呟いた。

「……よくある内輪揉め、ですね」


 その素っ気ない、どこか他人事のような口調に、コメント欄がすかさず突っ込む。

『口調w』

『あがさ先生、本音がw』

『そこがいい』


「あ、いや、その……」栗栖あがさは慌てて眼鏡を押し上げ、言い直す。「よ、よくある内部対立が、その、引き金になった的な……? 感じです、はい」


 アンカールは苦笑しつつ、話を本筋に戻した。

「そして時とともに母娘の確執はより深くなっていった。母親は娘に対して、教団を乗っ取られるのではという恐怖を抱き出したらしい。そうしてある日、その恐怖がピークに達した時、母親は常軌を逸したとんでもない決定を下すことになる。信者たちに……自身の娘を殺害し、その死体を処理するように、と」


「「「なっ……!?」」」


 ゲストたちの驚愕の声が重なる。コメント欄も『は?』『うそだろ』『ドン引き…』という言葉で埋め尽くされた。


「その命令は、忠実な信者たちの手によって実行された。抵抗勢力のトップを排除したことで、教祖である母親の地位は、本来なら安泰となったはずだった。……しかし、だ。実の娘の殺害を命じたことに対する罪悪感からか、彼女の言動は日に日におかしくなっていく。そして、やがて誰もいない虚空に向かって、何度も、何度も謝罪を繰り返すようになっていったそうだ」


 アンカールの声が一層低くなる。

「そして……あの惨劇が起こることになる」


 アンカールは、視聴者がその衝撃的な事実に息を飲むのを待ってから、さらに続けた。

「その後の惨劇に至るまでの経緯は、唯一生き延び、警察に通報した信者の証言によって、ある程度明らかになっている」


 画面に、証言者のものとされる調書のイメージ映像が映し出される。


「彼の話によると、娘の死後、精神の均衡を失った教祖である母親は、ある日突然、信者たちを集めてこう言ったそうだ。『このまま罪を背負ったままでは、我々は来るべき終末を生き延びることはできない。輪廻の輪を通り、この世の罪を洗い流し、清らかな魂として生まれ変わることで、我々は神によって最後の人類として選ばれるのだ』と」


 アンカールは、まるで教祖の言葉をなぞるかのように、抑揚のない声で語る。


「そして彼女は、『現世での最後の食事だ』と言い、普段は人任せにしていた料理を、自ら信者たちのために振る舞ったそうだ。その中のスープに、致死性の毒物が混入されていたという」


 コメント欄には『こわ…』『最後の晩餐かよ』『スープは一番やばい』という戦慄の書き込みが流れる。


「通報者となった信者がなぜ生き延びることができたのか。それは、ほんの偶然だった。彼はもともと食が細く、その日もスープをほんの数口しか飲まなかった。そのため、毒の摂取量がたまたま致死量に達しなかったのだろう、というのが警察の見解だ。また、事件当夜は複数人の信者が買い出しなどの所用で本拠地を離れており、信者全員を集めきれていなかった。この事実からも、この集団自殺はかねてから周到に計画されたものではなく、精神的に追い詰められた教祖による、きわめて突発的なものであったと結論付けられている」


 アンカールが事件の概要を締めくくったその時、山道を歩くミティから疑問の声があがった。

「ねぇ、アンカール。一ついい?」

「なんだい、ミティ君」

「その殺されたっていう、娘の遺体よ。結局どうなったの?」


 それは、誰もが気になっていた疑問だった。アンカールはミティの的確な質問に静かに頷いた。


「いい質問だ。結論から言えば、娘の遺体は見つかっていない。信者たちがよほど巧妙に処理したのだろう。警察も、後の捜査で教団施設や周辺の山を徹底的に捜索したが、ついに発見することはできなかったと記録に残っている」


 そのアンカールの言葉に、これまで黙って聞いていた栗栖あがさが、黒縁眼鏡の奥の目を細めて口を挟んだ。

「……ミステリーの定石だと、死体がないっていうのは、生存フラグ、ですけどね。……いや、生存フラグって感じぃ?」


 素の乾いた口調で言った後、慌てて語尾を上げて言い直す。そんな彼女に、アンカールは苦笑とともに深く頷いた。


「もちろん、警察も当然その可能性は考えただろう。だが、教祖の精神が変調をきたしていたこと、そして彼女が娘の殺害を指示し、それが実行されたという点については、事件当夜に所用で施設を離れていた他の生存者たちも、ほぼ同じ内容の証言をしているんだ。そのため、警察としても状況証拠を鑑み、『死体のない殺人事件』として処理せざるを得なかったようだ」


 アンカールの説明に、一同は重い沈黙に包まれた。誰もが、この血塗られた親子間の悲劇の異常さに言葉を失っていた。

 その静寂を破ったのは、意外な人物だった。


「あ、あの……! 一つ、いいですか……?」


 おずおずと、緊張した声で手を挙げたのは、Vtuberのピピル野ピピカだった。その突然の発言に、コメント欄がざわつく。

『お、ピピカちゃん』

『ちゃんとついて来れてる?』

『何を言うんだろ…?』


 アンカールは「どうぞ」と優しく促す。ピピカは、震える声で核心を突く質問を投げかけた。


「その……娘さんが殺されたっていうのから、事件までの流れも全部、信者さんたちの証言だけ、なんですよね……? それを裏付ける物とかって、何かあったんでしょうか……?」


 その素朴だが鋭い問いに、アンカールは一瞬目を瞠り、そして静かに首を横に振った。


「……いや、ない。君の言う通り、物的な証拠は何も見つかっていない。しかし、教祖の娘が、忽然と姿を消していることは事実であり、複数の信者たちの証言内容も驚くほど一致していた。そのため、信頼に足ると警察も判断したようだ」


 アンカールの言葉に、場は再び静まり返る。

 物証なき殺人。消えた娘。食い違うことのない信者たちの証言。そのどれもが、事件の輪郭を奇妙に歪ませていた。


 やがて、栗栖あがさがやれやれと言った様子で肩をすくめる。

「まぁ、閉鎖的なカルトの中で起こったことなんて、外の人間には分かりっこないし。……ないしぃ」


 その真理を突いた一言が、この議論の一つの結論であるかのように響いた。


「ちょっと待って」


 そのとき、配信に緊迫したミティの声が乗った。

 画面が彼女に切り替わると、足を止め、スマートフォンのライトで照らした先を見つめるミティの姿が映る。カメラも彼女の視線の先を追うが、そこには鬱蒼と茂る草木があるだけだった。


「どうした、ミティ君」とアンカールが聞く。

「今、何か動くのが見えたような……」


『こっわ』『出たか?』とコメントが流れる。


「な、何か動物でもいたのでは?」

 ピピル野ピピカの言葉に、ミティは安堵のため息を吐いた。

「きっとそうね」


 自身を納得させるようにそう呟くと、「騒がせてごめんなさい。じゃあ、早速向かうわよ」と言って再び歩き始めた。


 ミティのその様子に、アンカールは画面越しに頷き、穏やかに微笑んだ。


「気をつけてくれたまえよ、ミティ君。さて、では君がその忌まわしき場所に到着する前に、我々は次の話題へと移るとしようか」

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