第2話「覚醒、【完全模倣・改】」

 どれくらい時間が経っただろうか。

 冷たいぬかるみの中で、僕は生死の境をさまよっていた。

 降り続いていた雨はいつの間にか止んでいたが、濡れた服が容赦なく体温を奪っていく。

 空腹と寒さ、そして孤独が、じわじわと精神を蝕んでいくのが分かった。

 もう、何も考えたくない。

 このまま楽になれたら、とさえ思った。

 その時、茂みの奥から複数の気配が近づいてくるのを感じた。

 ガサガサと草を掻き分ける音。

 そして、闇の中に爛々と光る、赤い瞳がいくつも現れた。


「グルルルル……」


 低い唸り声と共に姿を現したのは、体長二メートルはあろうかという巨大な狼だった。

 全身が影のように黒く、口からは鋭い牙が覗いている。

 魔獣、シャドウウルフ。

 それが一匹だけでなく、五匹、六匹と僕を取り囲んでいた。

 終わった。

 本能的にそう感じた。

 スキルも武器も持たない高校生が、こんな化け物の群れに勝てるわけがない。

 どうせ死ぬなら、せめて一矢報いて……いや、無理だ。

 手足に力が入らない。

 一匹のシャドウウルフが、僕に向かってゆっくりと距離を詰めてくる。

 その一歩一歩が、僕の死へのカウントダウンのように思えた。

 もはやこれまでか。

 僕が全てを諦め、死を覚悟した瞬間だった。

 ――ピーン、と頭の中で何かが張り詰めるような音がした。


『生存を望むか?』


 唐突に、脳内に直接、無機質な声が響いた。

 誰の声だ?

 幻聴か?

 しかし、その問いかけは、僕の心の奥底に眠っていた本能を叩き起こした。

 死にたいか?

 冗談じゃない。

 こんな理不尽な場所で、何もせずに食われてたまるか。

 生きたい。

 生きて、あいつらに……僕を裏切ったあいつらに、思い知らせてやりたい!


『……承認。生存への渇望を確認。スキル【模倣】の再構成を開始します』


 声に応えるように、僕の体が淡く光を放った。

 目の前のシャドウウルフが、その光に警戒して一瞬動きを止める。

 そして、リーダー格と思われる一匹が、その場に溶け込むように姿を消した。

 スキル【影渡り(シャドウウォーク)】。

 影から影へと高速で移動する、シャドウウルフの固有スキルだ。

 次の瞬間、僕の背後に殺気が現れる。

 死角からの奇襲。

 だが、その動きが、僕の目にはなぜかスローモーションのように見えた。

 スキルが発動する原理、魔力の流れ、筋肉の動き、その全てが頭の中に流れ込んでくる。


「【模倣(コピー)】」


 無意識に、その言葉を呟いていた。

 そして、シャドウウルフが牙を突き立てるよりもコンマ数秒早く、僕はその場から掻き消えていた。

 背後から襲いかかったシャドウウルフは、僕の残像を噛み砕き、困惑したように周囲を見回す。

 僕は数メートル離れた木の影の中に、息を潜めて立っていた。

【影渡り】を使った……?

 いや、違う。

 感覚が全く違う。

 脳内に流れ込んでくる情報が、僕に教えてくれる。

 これは、いつもの劣化コピーなんかじゃない。

 目の前のシャドウウルフが使ったスキルを、完全に写し取った。

 それだけじゃない。

 そのスキルの構造、原理、そして改善点までをも完璧に理解していた。

 影に溶け込むのではなく、自身の存在そのものを希薄化させ、気配、音、匂い、魔力、その全てを断ち切る。

 これならば、影がない場所でも完全に姿を隠せる。


『スキルの進化を確認。固有スキル【模倣】は【完全模倣・改(パーフェクト・コピー・オルタ)】へと進化しました』


【完全模倣・改】……。

 これが、僕の本当の力。

 あらゆるものを写し取り、その理を理解し、さらに優れたものへと創り変える。

 これは、他者の力を喰らい、自分の血肉に変えるための、究極の能力だ。


「ハ、ハハ……ハハハハハ!」


 笑いが込み上げてきた。

 無能?

 外れスキル?

 冗談じゃない。

 こいつは、神様が僕に与えてくれた最高の切り札だ。

 僕は改良したスキルに、新たな名前を付けた。

【無影(むえい)】。

【無影】を発動させたまま、僕は地面に転がっていた手頃な石を拾う。

 シャドウウルフたちは、依然として僕の姿を捉えられず、混乱している。

 その隙は、あまりにも大きかった。

 群れの中で一番油断している個体の真横に、音もなく回り込む。

 そして、ありったけの力を込めて、そのこめかみに石を叩きつけた。

 ゴッ、という鈍い音と共に、シャドウウルフが悲鳴を上げる間もなく地面に沈む。

 仲間が突然倒れたことで、残りの狼たちに動揺が走った。

 僕は再び【無影】で姿を消し、次々と狼たちを強襲する。

 気配も音もなく現れる死神に、シャドウウルフの群れはなす術もなく数を減らしていった。

 数分後、森の中には僕一人だけが立っていた。

 足元には、息絶えたシャドウウルフたちが転がっている。

 荒い息をつきながら、自分の両手を見下ろす。

 血と泥に汚れた、ただの高校生の手だ。

 だけど、この手には今、無限の可能性が秘められている。

 生き延びた。

 そして、手に入れた。

 この理不尽な世界で戦い抜くための、最強の力を。

 復讐だ。

 僕を無能と蔑み、この森に捨てたクラスメイトたち。

 王国の連中。

 僕の尊厳を踏みにじった全てに、後悔させてやる。

 僕は夜明け前の薄暗い空を見上げた。

 その瞳に、もう絶望の色はなかった。

 あるのはただ、燃え盛る復讐の炎だけだった。

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