出会いから遠いところ

津坂 洋

出会いから遠いところ

夏の終わりの夜、遠くの海辺で花火が上がっていた。

ひとつ、またひとつ。

夜空に広がる大輪の光が、海面に淡く揺れながら映り込む。


並んで座ったベンチから、それを黙って眺めていた。

言葉はなくても、隣に人がいるというだけで、夜の静けさは少しだけ和らいでいた。


「来年も、ここに来られるかな」

花火の合間に、小さな声が耳に届いた。

返事はしなかった。ただ胸の奥でざわめきが広がっていく。

その問いが、小さな嘘であることを知っていたから。

それでも否定できず、波音に紛れるように沈黙を選んだ。


大きな花火が打ち上がり、夜空をまばゆい光で満たした瞬間。

その轟音に合わせて、喉の奥から言葉が零れた。


「……好き」


響き渡る音にかき消され、誰の耳にも届かない。

届かなくていい。

ただ、自分自身の中で形にすることが大切だった。


「今、何か言った?」

「ううん」

横からの問いかけに、小さく首を振った。

夜風が頬を撫で、視線は遠くの闇に逃げた。


再び花火が夜空を彩り、短い夏の残り火のように散っていく。

その一瞬の輝きに心を預けながら、言えなかった言葉と、届かなかった言葉が胸の奥で重なり合って消えていった。


やがて音が途絶えると、残ったのは静かな波の音だけだった。

夜が広がり、夏の気配は少しずつ遠ざかっていく。


最後の花火が夜空に散った後、もう一度だけ心の中で呟いた。

「   」


その声は風に溶け、夜の静寂の中に沈んでいった。

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出会いから遠いところ 津坂 洋 @Tsusaka

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