第15話 花見支度
街の瓦礫は、ゆっくりと片づいていった。
焼け落ちた梁は人の手で運び出され、灰は水で鎮められ、崩れた土塀に新しい土が塗られる。
祈りと作業の混じる日々。誰もがまだ痛みを抱えているのに、どこか柔らかな笑みが増えていた。
焔はしばし床に臥せっていたが、やがて起き上がれるようになった。
紅い瞳の光はまだ薄い。けれど、歩けばちゃんと前へ進む。
「無理をするな」と暁が言い、雅は焔の肘を当然のように支える。
市場は片側だけが仮設の屋台で、立ち昇る湯気が春の空気に細い線を描く。
白木の箱に並ぶ塩漬けの山菜、まだ湿りの残る団子、桜の葉で包んだ餅。
女たちが値切り、子らが笑い、男たちは肩を貸し合ってる。
焦げ跡はまだそこかしこに残っていたが、それでも人々は野菜や干し魚を並べ、声を張り上げていた。
「安いよ、ほかほかの芋だよ!」
「こっちは飴細工だ、桜の形にしてやるよ!」
子どもが駆け回り、笑い声が広がる。
死と炎の匂いをまとっていた場所に、確かに「生きる」音が満ちていた。
焔は足を止め、しばしその光景を眺めた。
白い髪が風に揺れ、赤い瞳は淡い光を映す。
人々の逞しさを前に、口には出さずとも胸の奥にかすかな温もりが灯る。
「おい主! 見ろよ、団子だ!」
雅が声を弾ませ、串に刺さった三色団子を得意げに掲げる。
「腹の足しにちょうどいい。食おうぜ!」
「……買い食いばかりして」
暁が冷たい目を向ける。
「いちいち騒がしいわね。任務中でしょう」
「任務中に腹が減ったら動けねぇだろ?」
「だからといって団子が必要とは思えない」
二人のやりとりに、焔はため息をついた。
だが、その唇の端にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「……退屈が、遠いな」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、春風に紛れて消えていった。
◇
市場を抜けると、道の隅にまだ焼け残った土蔵があった。
黒ずんだ壁の下に、小さな灯のようなものが揺れている。
近づくと、それは人の形を取りかけてはほどける淡い影だった。
「……助けて……」
かすれた声が、風に紛れて響いた。
雅が眉をひそめる。
「子ども、か?」
「違う。女よ」
暁が冷静に目を細めた。
「まだ、燃えた夜に囚われているのね」
焔は一歩前に出た。
白い髪が揺れ、袖口から伸びた指先が印を結ぶ。
「業火に還れ――滅」
低い声とともに、影はぱちりと弾ける。
消える直前、涙のような囁きが残った。
「……ありがとう……」
その声を聞いたのは、三人だけだった。
通りがかった町人が手を合わせる。
「やっぱり……祓い屋様だ。ありがてぇ……」
人々が小さく頭を下げていく。
焔は何も言わず、ただ赤い瞳を伏せた。
けれど、その横顔に灯った影は、どこか柔らかかった。
◇
町外れには、小さな社があった。
焼け落ちた家々の中で、そこだけが奇跡のように残っていた。
社の脇には一本の桜が立っている。まだ蕾を多く抱え、夜の冷え込みに耐えるように枝を震わせていた。
「……燃えなかったのか」
雅が感嘆の声を漏らす。
「奇跡みてぇだな。花が咲いたら、きっと町の連中も元気出るぜ」
「花に寄りかかるのは人間の常ね」
暁は冷たく言いながらも、しばらく見上げていた。
蕾の先端にかすかな紅が宿っているのを認め、ほんの少しだけ表情を和らげる。
焔は社の前に立ち、掌を合わせる。
低く、言葉を紡いだ。
「この地に残る穢れ、我らが祓う」
白い髪を夜風が撫で、赤い瞳が灯籠の光を映す。
彼の声とともに、桜の根元から淡い影が立ちのぼった。
かすかな呻き。燃え残った夜の記憶が、形を持たぬまま渦を巻く。
「主、俺も!」
雅が糸を操り、影を絡め取る。
暁は鋭く爪を光らせ、影を裂く。
焔が最後にひと息、静かに告げる。
「業火に還れ――滅」
影はふっと消え、辺りに静けさが戻った。
残されたのは、まだ硬い蕾をつけた桜だけ。
雅はしばらくそれを見上げ、ふっと笑った。
「……来年は、この下で酒盛りだな」
「来年と言わず、すぐにでも」
暁が冷ややかに言う。
「どうせ、また主が退屈を嫌うでしょう」
焔は二人を横目に見て、小さく嗤った。
「退屈は、遠い」
夜風に蕾が揺れる。
それはやがて、次の春を告げる花となるのだろう。
《了》
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