第5話 保護基準の公開ツアーと“小さなざまぁ”

 朝の空気は乾いていた。

 会議室Aには消火布・炭酸・遮炎ネットが“腕の届く距離”で三角形に配置され、廊下の突き当たりには公開会計シート v0.31とQRが貼られた。CSVは誰でも落とせる。となりに**“誰でも試算”**の簡易表——寄付ゼロ仮定/市補助±20%感度が、白石ユナの図解で並ぶ。


「返金は受付でいつでも。恥ではないは目線の高さに」

 白石がテープで最後の一枚を留め、甘粕隊長は動線図をもう一度なぞる。

「入口→安全デモ→会計→ガラス見学→FAQ。“撮る側”は別導線で広報が受ける。半歩、静音、待つ」


 ぽかは遮音ドームの中で鼻を布に埋め、いつもの匂い布に小さくぐいと頬を寄せている。

 芹沢獣医が端末で体表温を見て頷いた。「適温。眠気優先。——見せない練習のほうが今日のキモだね」

「点かせないで済むを見せる」

 口に出すと、喉の奥の緊張がひと目分だけ小さくなる。



 午前十時、オープンデー開始。

 受付で耳栓(擬似)と“間カード”を配ると、列の前のほうに見覚えのある顔。母娘だ。

「ファン、効きました」母。

「ごうが少し小さくなって、寝る前に息がそろうの」娘。

 うなずいて、ガラス見学の札を渡す。


 最初のグループを会議室Aへ。

 甘粕が低周波発生器を指し示す。「48Hz。実環境より小さめにぶうと鳴らす。鳴いたら座る、触る前に待つ」

 床が薄く震え、胸郭が空気で撫でられる感覚。観客の肩が一拍、揃う。

 わたしは遮音毛布を丸め、耳孔モデルに当て、微加重をそっと重ねる。

「隠すのでなくずらす。音は消せないので通り道を変えます」

 鳴きは起きない。

 小さな拍手。音数石は灯らない。


 つづいて会計。

 白石がCSVの読み方を二分で説明し、誰でも試算の表で寄付ゼロ仮定を叩く。「黒のままです」

 スーツの男性——前にもいた政策秘書が手を挙げる。

「人件費の上振れが出たら?」

「感度表では**+15%で収支ゼロ近辺**、+20%で一時赤。——監理密度を第二年に月次→隔月へ、公開で調整します」

 男性は首を縦に振り、QRを読み込んだ。

 列の後ろから、大学生くらいの若者がスマホを掲げる。「式、ダウンロードしてもいいですか?」

「歓迎。出典はセンター、改変OK、公開なら再掲も」

 数字が空気を丸くする。無駄という言葉の角が、少し削れる音がする。



 ガラス見学。

 ぽかは寝る。それが今日の正解だ。

 見学の列に母娘、そして隣家の男性の姿もある。あの時、玄関で腕を組んでいた人だ。

 母娘が静かに吸って吐くをはじめ、男性も真似をする。

 鳴きはない。

 娘がささやく。「点かない夜と同じ」

 ——この言葉を、会議に持っていく。戦う代わりに説明する言葉だ。


 と、その時。胸の奥が微かにざわついた。

 床の震えが、説明時より深い。

 芹沢が眉を寄せ、振動ログに指を走らせる。「周波数……47.9、48.1の揺れ。発生器は停止中だ」

 甘粕の視線が入口へ流れる。

 ——肩カメラ、白い歯。渋谷レオン。

 腰のポーチから円筒、スピーカーの小型。

 低周波は切り抜けない。空気が知らせる。


「周波数源、外部」芹沢。

 甘粕が半歩で彼の間に入り、声を落とす。

「機材は申請制。停止を」

 彼は笑う。「現場の**“リアル”を伝えるだけ」

 その瞬間、ガラスの向こうの耳孔がぴく**。

 ひゅ。

 ——起きた。

 わたしはドアを開けない。待つ。二呼吸。

 遮音毛布の端が耳を覆い、微加重が背を落とす。

 ひゅが息へ戻る。


 白石がスピーカーの型番を映像に抜き、「記録しました。配信は外で。参加者の顔は映さないでください」

「報道の自由」

「安全が先です」

 甘粕が受付方向へ誘導する。半歩、静音、待つ。

 レオンは肩をすくめ、笑いだけ置いて去った。低周波は消え、空気が戻る。


 見学列の中で、隣家の男性がぽつりと言った。

「さっきの……“鳴かせて”たのか」

「見えない音は煽りに使いやすい。だから手順と公開で先回りするんです」

 男性は黙ってQRを読み込み、耳栓を指で確かめた。



 午後二時の回。

 会議室Aで安全デモを終え、廊下に出ると公開会計の前に人だかり。

 先ほどの大学生が**“誰でも試算”に寄付ゼロ・補助−20%を入れてプロットしている。

「二年目で黒回復。監理密度の調整と里親継続率の堅さが効いてる**」

 政策秘書がうなずき、手帳に「二年。継続」と書き込む。


 そこへ受付から小走りのスタッフ。

「返金、一件。途中退出の方に半額」

 白石が**“恥ではない”の紙を指差す。「導線に乗った返金。良」

 無理に残らせない。座って、帰る。それが都市を落ち着かせる**。



 夕方。最後の回のガラス見学。

 母娘の番が来た時、ぽかは目を開け、匂い布にぐいと頬を寄せ、短く鳴いた。

 ひゅ——一音。

 娘が胸に手を当て、吸って吐くを三回。

 鳴きは続かない。

 母の目に薄い涙。

「こわくない音の練習を、家でもします」

 わたしは頷き、仮外泊の書類をそっと渡した。

 ——漢字の列が壁にならないよう、説明は夜に電話で分割しよう。



 閉館後、公開ログを石板にまとめる。


『オープンデー(第1回)まとめ

 来場 168/ガラス見学 6回×15名

 満足指数 0.92(◎67% ○27% △6% ×0%)

 静けさ 0.94(音数逸脱 0)

 返金 1(半額→再予約 済)

 CSVダウンロード 213/誰でも試算投稿 47

 苦情 0(要望:“寄付ゼロ仮定をトップに”→採用)

 事故 0/外部低周波介入 1(記録・退場)』


 黒川センター長が会計シートの端に印を押す。

「市の予算委、明日。現場は数字と手順で返す。——“点かない夜”のグラフを一枚目に」

 白石が「2分40秒版のヒアリング予告」を上げる横で、甘粕が短く言った。

「小さなざまぁ、取れたな」

 わたしは笑って首を振る。

「ざまぁというより、“見えない音”の居場所を照らしただけです」

「それで十分だ」



 夜、ぽかの前。

 ドアの隙間から手を入れない。待つ。

 ひゅは来ない。眠りが勝つ。

 点火はゼロ。

 **無点火(良)に丸をつけ、“寝返り時の耳孔の動き:微(通常)”**とメモする。


 スマホが震えた。

 母からメッセージ。

《説明、わかりやすかったです。娘が“座って待つ”を家のルールにしたいと言っています。仮外泊、土曜の夕方でお願いします》

 ——点かない夜を、ひとつ家へ渡せる。


 その直後、通知欄に赤い点。

 渋谷レオンの新動画『低周波で誘導?センターの“演出”検証』が跳ねた。

 白石から即レス。

《当方ログ添付で否定出しました。周波数追跡、機材写真、参加者非特定で》

 手順は言葉になる。言葉は盾になる。


 消灯前、ぽかが匂い布にぐい。

 小さな鼻息。

 ——明日は市役所。“税金の無駄?”に、水でなく手順を。怒号でなく半歩を。

 東京は夜を越え、朝を呼ぶ。


(第5話 了/つづく)

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