第3話 里親制度の説明と初回見学会

 朝いち。コピー機ががこんと鳴り、里親ハンドブック v0.9が束になって吐き出された。

 表紙には白石ユナのデザイン——水色の帯に三行の約束。


怖がらせない/点火条件を理解する/近隣に先に挨拶


「“返金は恥ではない”は?」

「見学ツアーにだけ入れて、里親は“辞退は勇気”で統一」白石は笑い、背表紙をトントン揃える。

 黒川センター長が会議室を見回す。「言葉で奪われたものは言葉で返す。今日は数字も持って出ろ」


 ホワイトボードに進行を書いた。


センター概要/越境種の現状


適応ケアの基本(遮音・加重・匂い)


点火条件と安全網(ピーク42–45℃)


里親要件と段階(講習→仮訪問→試験外泊→正式譲渡)


Q&A/申込


 甘粕隊長が赤ペンで**“万が一”の欄に太線を引く。「消火布、炭酸、遮炎ネットは腕の届く距離**。失敗手順を先に通す」

 芹沢獣医は端末を見て「ぽか(H-27)、夜鳴き1回、体表温適温、体重+40g。——見学の前に10分、接触を入れよう」と言った。



 午後、第一回里親説明会。応募12、参加10。

 会議室の椅子は“半歩の余裕”で離し、扉は開放。角に低周波デモ機、机の上にはハンドブックと擬似耳栓(家でも練習できるように)。


「ようこそ。東京保護モンスターセンターです。——まず、里親にならない選択も正しいことを最初に言っておきます。辞退は勇気。恥ではありません」

 空気が少しほどける。

 わたしはスライドを出す。越境種の統計、討伐と保護の推移、再発事故率と里親継続率。

「保護→適応→里親まで一気通貫で運営します。再入所率は7.3%、里親継続は一年後 91%」


 手が上がる。スーツの男性——市議の政策秘書と名乗った。

「責任は誰が負う? 火が点いて近隣に何かあったら」

 甘粕が受ける。「保険枠はこちらの団体賠償+里親側の個人賠償。点火は42–45℃で可燃域外、安全講習と設備(遮音・加重・逃げ場)を必須。監理は初年度毎月」

 芹沢が続ける。「危険は**“音と速さ”の方にある。環境調整で一次予防**、手順で二次予防」


 もうひとり、手が上がる。母娘——クレヨンの手紙の差出人だ。

「高架の近くに住んでいます。低いゴーって音が夜にあります。……うちでも大丈夫でしょうか」

 わたしは家用キットを机に置いた。


遮音毛布(耳孔用)


微加重カバー


匂い布(安心相手の布)


“間カード”(半歩/静かに吸って吐く/触れる前に待つ)

「仮訪問で振動計を置いて、48Hz帯がどれくらいか測定します。白色音(窓のファン)とカバーで夜鳴きは落ちます。——大丈夫にしていくのがわたしたちです」


 娘さんが小さく頷き、ハンドブックの**“点く火の図”を指でなぞった。

「こわくない火って、何回見てもきれいです」

 胸が温かくなる。昨日の2秒が、今日の言葉**になっている。



 点火条件のミニデモは昨日と同じ手順で短く。焦がさない・驚かせない・二回まで。

 終わると、会議室の外でざわが立った。

 廊下の角に、肩カメラと白い歯。渋谷レオンだ。

「危険を隠してる、って視聴者が言ってるよ。里親なんて爆弾を配るようなもんだって」

 白石が一歩出て、広報窓口の紙を見せる。

「録音録画は申請制。外なら自由ですが、参加者の顔は映さないでください。——こちらのダイジェストは当日公開します」

「編集って怖いよね」

「そうですね。だから生(なま)で説明します」

 彼は肩をすくめ、鼻で笑った。「じゃ、切り抜きで世論に聞いてみる」

 世論は映像の角度で別物になる。——現場は角度では動かない。



 Q&Aの最後、申込が三件。

——母娘の家庭/単身高齢者(猫の看取り経験あり)/子どもありの共働き。

 黒川センター長が受領印を押す。

「一次講習は今週末、仮訪問は順に回す。……餌木、母娘のところへ先行してくれ。高架の帯域は実地で見たい」

「はい」


 会議室を片付けていると、甘粕が目配せしてきた。

「夜番、お前の横で一晩入る。ぽかの**“点かない夜”を作る練習をする」

「点かせる練習じゃなく?」

「点かない夜を増やすのが仕事だ」

 言葉が胸のどこかにカチ**と嵌る。



 夕方、センターの公式ダイジェストを白石が上げた。

『里親になる前に知ってほしい3つのこと

 ——怖がらせない/点火条件/近隣挨拶(2分43秒)』

 ピーク温度、安全網、失敗手順、講習→仮訪問→外泊の流れ。

 同時に、渋谷レオンの新着——『危険!家庭に“火”を持ち込む暴挙』が急上昇に刺さる。

 電話が鳴り、メールが増える。不安と興味、罵倒と応援。

 黒川センター長が短く指示。「数字で返す。里親公開FAQを拡張、会計も添える」

 わたしたちは夜に向けて、言葉を積み上げ始めた。



 夜番。甘粕が隣の簡易ベッドにいる。

「眠れるか?」

「耳栓、正しく挿しました」

「半歩で歩け。扉は静か、灯は一定。触る前に待て」

 教官の声は低く、子守唄みたいに落ち着く。


 ひゅ。

 わたしは待つ。入らない。

 二呼吸。

 ひゅが息へ溶ける。

 点火は——ない。

 点かない夜が、一つ増える。

 ガラス越しのぽかは、体を丸め、呼吸に合わせて小さく上下する。

 甘粕が囁く。

「“点けられる”より“点けないで済む”が上等。覚えとけ」


 記録に二本の線。鳴きの短縮と無点火。

 数字が味方をしてくれる。



 明け方。芹沢が交代に来た時、センターの固定回線が甲高く鳴った。

 黒川が受ける。相手は市役所の財政課。

「——はい。公開ヒアリング? 来週の予算委で。配信も可……承知しました」

 受話器を置き、こちらを見回す。

「保護は税金の無駄、の決戦が来る。保護基準の公開ツアーを組もう。現地で数字を見せる」

 白石が即座に手を挙げる。「オープンデー、安全デモと会計と現場見学、三本立てで」

 甘粕が頷き、芹沢が短く「やる」と言った。

 わたしはぽかのケージを見た。

 小さな頭がこてと寝返りを打つ。

 ——鳴かない夜の手触りを、ちゃんと言葉にしよう。数字にもしよう。


 スマホを開くと、母娘から仮訪問希望の返信。

『土曜の午後、お待ちしています。高架はすぐ横です』

 次の現場が、決まった。


(第3話 了/つづく)

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