File 6:『哀しき玩具箱と王子の鎮魂歌』

 キメラ事件の報告書を提出しようやく一息つけるかと思った矢先、俺は再び神崎統括官に呼び出されていた。

 彼女が俺のデスクに置いたのは最新のデータタブレットと、いかにも古色蒼然とした黄ばんだ紙のファイルだった。


「蓮見、少し妙な案件があるの」

 神崎統括官は、まず古いファイルを指差した。

「これは二十年前の初期ダンジョン調査資料。当時、玩具メーカーの社長だった柏木倫太郎という男の私有林で、活動を停止したEマイナス等級の微小ダンジョンが確認されているわ。価値も危険性もゼロ。ただの洞穴として記録され、非課税対象になっていた」


 次に、彼女はデータタブレットを俺の方へ向ける。画面には、日本の山林を示す地図データが映し出されていた。だが、その一点だけ、まるでインクの染みがじわりと広がるように、黒ずんだ魔力反応が記録されている。その中心が、不規則な心臓の鼓動のように、赤い警告マーカーとなって明滅していた。

「そして、これがここ数ヶ月の広域探査衛星のデータ。二十年間、完全に沈黙していたはずの、あの『ただの洞穴』から、断続的に、そして僅かずつ増大する魔力反応が観測されている」


「……成長するダンジョン、ですか」

 俺の言葉に、神崎統括官は静かに頷いた。

「前例がないわ。だからこそ、不気味なのよ」


 彼女は柏木倫太郎のプロフィールを画面に表示させる。天才的な玩具職人としての華々しい経歴。そして、十六年前に一人息子である晴人を事故で亡くして以来、完全に表舞台から姿を消し、隠遁生活を送っていること。

「問題はこの柏木倫太郎が、完全な世捨て人だということ。電話にも出ない、手紙にも返事がない。さらに問題の場所は彼の私有地。確たる証拠がない以上、令状は下りないわ。令状もなしに、勝手に踏み込むことはできない」


 つまり手詰まり、ということか。

 神崎統括官は俺の目を見て、静かに言った。

「だから、あなたの出番よ、蓮見。今回は、まず彼と『接触』し、合法的に調査に入る許可を取り付けるのがあなたの仕事。どんな手を使ってもいい。――では、健闘を祈る」


 俺はその古びたファイルを受け取った。

 十六年間沈黙を続ける玩具職人と、二十年の時を経て、不気味に活動を開始した謎のダンジョン。

 今回の事件は、これまでとは比べ物にならないほど厄介な匂いがした。



  ◇



 それから一週間。俺の調査は完全に行き詰まっていた。

 柏木倫太郎の屋敷への電話は常に留守電。公式な書簡を送っても、返事はない。彼の古巣である「カシワギ・トイズ」の現役員に話を聞いても、「もう15年以上、会長とはお会いしていません」と丁重に断られるだけ。鉄壁の隠遁生活だった。


 俺は方針を切り替えた。現在の柏木倫太郎に繋がる糸がないのなら、過去から手繰るしかない。

 国税庁の書庫に眠る、古い登記簿や住民票のデータを洗い直す。焦点を当てるのは、彼の人生が大きく変わった、十六年前。息子である晴人を亡くした、その一点だ。


 そして一つの住所を突き止めた。彼が事件後に山奥のあの屋敷へ移り住む前に、家族で暮らしていた家。都心から少し離れた、古い住宅街だった。


 翌日、俺は玩具博物館の学芸員を名乗りその地を訪れた。

 目的の家には既に別の家族が住んでいたが、その隣家には表札に「鈴木」と書かれた、古くも手入れの行き届いた家があった。庭先で花に水をやっていた初老の女性。彼女こそが、俺が探していた柏木家の元隣人だった。


 俺が柏木倫太郎の功績を研究していること、そして、息子の晴人さんの思い出について聞きたいと告げると、彼女は最初は戸惑いながらも、やがて懐かしそうに目を細めてくれた。

「晴人ちゃん……。本当に、優しくて、手先が器用な、自慢の子だったわよ。あんな事故さえなければ、お父さんを超える職人さんになったでしょうに……」


 彼女は晴人の死後、倫太郎が抜け殻のようになってしまったこと、そして誰にも何も告げずに、この家を売って引っ越してしまったことを、悲しそうに語ってくれた。

 俺が礼を言って立ち去ろうとした時、彼女は何かを思い出したように呟いた。

「そうだわ。あなたみたいな方なら……」


 そう言って家の中へと戻り、やがてビロードが張られた立派な木箱を持ってきた。

 箱を開けると、息を呑むほど美しい装飾が施された大きな「ぜんまい巻き」が鎮座していた。それは、ただのぜんまい巻きではなかった。磨き上げられた真鍮の肌に、銀の蔦の装飾が施されている。その基部には、流麗な筆記体で『H.K』のサインが刻印されていた。若くして父の技術を受け継いだ、確かな才能の証だった。ずしりと重い感覚が手に乗る。


「これは晴人ちゃんがお父様のお誕生日のために作っていたものなんです。『父を驚かせたいので、完成までここに隠させてほしい』って、少し照れくさそうに笑って……」

 でも、と彼女は目を伏せた。

「結局、渡すことができなかったんです。あの事故のせいで……。柏木さんも、お引っ越しの時はもう、とても声をかけられるような状態ではありませんでしたから。機会を逃したまま、ずっと私の手元に」


 彼女はそのぜんまい巻きを、俺の手にそっと乗せた。

「もし、柏木さんに会えるのなら、これを渡してくださらない? あの子の魂も、きっと喜びますから」


 ぜんまい巻きのその重みは、ただの金属のものではなかった。

 十六年分の、親子の想いの重さだった。


 俺はこの遺品が固く閉ざされた父親の心と、謎のダンジョンへの扉を開ける唯一の鍵になることを確信した。



  ◇



 その日の夕方、俺は柏木倫太郎の屋敷の電話番号に、改めて一本の電話をかけた。

 案の定、呼び出し音が虚しく響くだけで本人が出る気配はない。俺は留守番電話に切り替わったのを確認すると、静かにメッセージを残した。


「柏木倫太郎様。突然のご連絡、失礼いたします。私、以前あなたの隣人でした鈴木様より、ご子息・晴人様の遺品をお預かりした者です。大変貴重な品ですので、直接お会いしてお渡ししたく存じます。ご連絡をお待ちしております」


 賭けだった。だが、その賭けに俺は勝った。

 翌朝、俺のスマートフォンに非通知設定で一本の着信があったのだ。


『……もしもし』

 スピーカーから聞こえてきたのは、どこか虚ろで、感情の読めない、老人の声だった。

「……柏木倫太郎様で、いらっしゃいますか」

『……今日の、午後三時に、屋敷へ。……晴人の遺品を持って一人で来い』

 それだけを言うと、電話は一方的に切れた。


 約束の時間。俺は、再びあの屋敷の前に立っていた。

 昨日まで固く閉ざされていたはずの門が、今日は、わずかに開いている。

 屋敷の玄関で呼び鈴を鳴らすが、応答はない。電話をかけても、呼び出し音が響くだけだ。


「……どういうことだ?」

 何か事件に巻き込まれているのか、それとも罠か? いや、そんな気配はない。ただ、重厚な木造りの門が入れと言わんばかりに大人一人分だけ通れる程度に開いている。

 とりあえず一歩中に入ったが、どうしたものかと周囲を見渡す。そこに屋敷の脇、森の入り口に立つ一本の木の切り株に、一体のビスクドールが腰掛けているのが、不意に目に入った。

 陽光を反射して陶器の肌が白く輝いている。この荒れた自然の風景に対して、あまりにも異質で、完璧な美しさだった。


 俺は何かに引かれるようにその人形へと近づいてようやく、違和感の正体に気づく。それは完璧すぎるが故だった。森の中にも関わらず、そのビスクドールの純白のドレスには、泥や土の汚れ一つついていない。陶器の頬は外に放置されていたとは思えないほど磨き上げられており、艶やかだ。まるで、つい先ほど俺がここに来るのと同時に誰かがそっと配置したかのように。

 そのビスクドールを観察していると、人形の見つめる視線の先、森の奥に、また別の玩具が立っている事に気づいた。


 まさか。

 俺はその槍が示す方へと、恐る恐る足を進めた。するとまたその先に、別のぜんまい仕掛けの動物人形が……。

 さながら人形たちが俺を道案内しているかのようだった。


 ――これは、招待状だ。柏木倫太郎からではない。この森の、ダンジョンそのものからの。

 確証はないものの、柏木がこの人形たちを置いているのではないということを、俺の直感が囁いてる。


 やがて人形たちの道案内の終着点、森の最深部にある、巨大なうろを持つ大樹へとたどり着いた。

 その根元にはぽっかりと、洞穴のような入り口が開いていた。

 手元の資料と見比べる。位置はどうやら正しそうだ。これが、あの信号を発していたダンジョンの玄関なのだ。

 この中に、柏木がいるはずだ。意を決して俺は静かに、その闇の中へと足を踏み入れた。



 大樹のうろを抜けた先は、洞窟というよりは巨大な屋根裏部屋のような空間だった。

 空気は乾燥しきっており、古い木の匂いと、微かに防虫剤の香りがする。そして、そこにはおびただしい数の「瞳」があった。


 動くモンスターは、一体もいない。

 その代わり、床から天井まで続く巨大な棚や、無造作に積まれた木箱の上に、所狭しと人形が並べられていた。ぬいぐるみ、ソフビ人形、ぜんまい仕掛けのブリキの玩具、そして、ガラスの瞳を持つ美しいビスクドール。その数、数百、いや、千は超えているだろうか。

 全ての人形が、その虚ろな瞳で、入り口に立つ俺を、ただじっと見つめている。

 物音一つせず、空気は墓所のように静止していた。埃と、乾燥した布と、そして防虫剤に使われるラベンダーの匂いが混じり合い、鼻をつく。無数のガラスの瞳が光を反射するたび、まるで星々の残骸がこちらを観察しているかのような奇妙なな錯覚に陥った。それは生物が闊歩するダンジョンよりも遥かに不気味だった。


(……なんだ、これは)

 俺は、背筋を走る悪寒を抑えながら、内心で呟く。

(資料では、ただのEマイナスの岩洞だったはずだ。だが、この広さは……明らかに登記と違う。この十六年で、ここまで拡張したというのか……?)


 岩肌を見れば人の手が入ったものでない事はわかる。しかし、ダンジョンが成長する――そんなことがあり得るのか?

 俺は人形たちの視線を背中に感じながら、その間を縫うようにしてダンジョンの奥へと進んでいく。

 やがて最奥、空間が大きく開け、博物館の展示室のような場所に出た。

 その壁の奥。玉座のように設えられた豪奢な椅子に、一体の美しいビスクドールが座らされている。そしてその足元に、一人の老人が子供のように床に座り込んでいた。かなり痩せこけているが、柏木倫太郎本人だ。


「……」

 彼は人形の足を柔らかい布で、ただ黙々と磨いていた。俺が近づいても全く気づく様子がない。その目はどこか虚ろで焦点が合っていなかった。完全に、自分の世界に没入している。


「柏木倫太郎さん?」

 俺が、静かに声をかける。

 彼は、ゆっくりと顔を上げた。だが、その瞳は俺を捉えていない。まるで、俺の背後にいる誰かに話しかけるように、ぽつり、と呟いた。

「……ああ、お客さんかい。……見ておくれ、晴人が、今日もこんなに穏やかな顔をしておる……」


 晴人。彼の亡くなった息子の名前だ。

 俺は懐から、あの「ぜんまい巻き」を取り出し、彼の目の前に差し出した。

「柏木さん。これを。晴人さんの、形見だそうです」


 その言葉に、柏木の瞳が初めてかすかな光を取り戻す。彼は、俺が差し出したぜんまい巻きに視線を移すと静かに体を震わせた。

「ああ…ああ……。これは、晴人が……。わしのために、作ってくれていた……」

 そして堰を切ったように、彼は途切れ途切れに語り始めた。


「晴人がいなくなって、わたしは、一人になった……。後を追おうとして入ったこの森で、この小さな穴を見つけてな……。一人で座っていると、やがて、声が聞こえるようになったんだ。『寂しい、寂しい』、と……。だから、わたしは晴人のため、その友達のためにたくさんの器を用意してやった。……見てくれ。こんなに、たくさんの子供たちが、わたしにはいる。そして友達が増えると、この場所もどんどん広がっていった……」


 彼は周囲の無数の人形たちを慈しむような目で見回した。

 俺はこの男とこのダンジョンの間に生まれた、あまりに歪で悲しい共生関係の全貌を、ようやく掴んだ。


 このまま、この老人をこの狂気の王国に放置はできない。これはもはや脱税事件ではない。ダンジョンによる、精神汚染事件だ。


「柏木さん。あなたを保護します。一緒に、ここから出ましょう」

 俺が彼の肩に手を置いたその時だった。


 カクリ、と。

 玉座に座る、美しいビスクドール――「晴人」の首が、ありえない角度にかしげられた。

 それと同時に、博物館の全域から無数のクリック音が響き渡る。ぜんまいが巻かれるような、乾いた音。


 殺到する悪寒に振り向いた俺は、信じられない光景を目の当たりにした。

 それまでただの置物だったはずの、数百、数千の人形たちが。

 ぬいぐるみが床を擦る、乾いた音。ソフビ人形がぶつかり合う、気の抜けた音。そして、陶器の乙女たちの関節が軋む、甲高い音。大小さまざまな不協和音が鼓膜を揺らす中、ぬいぐるみも、ブリキの兵隊も、陶器の乙女も、その全てが一斉に、その虚ろな瞳を俺へと向けたのだ。


「……!」


 その数が、異常だった。

 微笑を浮かべたまま、無言で、無尽蔵に、ぎこちない動きでこちらへとにじり寄ってくる。

 一体が腕に飛びかかってきたのを振り払うが、その隙に背中へ数体の人形が齧りついてきた。ジャケットを翻してそれらも吹き飛ばす。

 個々の人形ははそこまで強くない。だが、腕を折っても、頭を砕いても、全く意に介さずにただ前へ、前へと進んでくる。それはどんな凶悪なモンスターよりも遥かに身の毛のよだつ、おぞましい光景だった。


「くっ……!」

 俺は体術を駆使して人形たちを破壊していくが、キリがない。蹴り上げ、吹き飛ばし、破壊したところですぐに新たな人形がその隙間を埋めるように押し寄せてくる。這い寄ってきたぬいぐるみの群れに足を取られ、俺はついに体勢を崩した。

 好機と見たのか無数の人形の圧が高まり、その波に体が飲み込まれる。


 絶体絶命の瞬間に見えた、人形の海の向こう。

 そこに玉座に鎮座する「晴人」のドールだけが微動だにせず、そのガラスの瞳で、冷ややかにこの光景を見下ろしているのを。

 ――あれが、司令塔か……!


 俺は最後の賭けに出た。

 懐に手を伸ばし、あの「ぜんまい巻き」を掴み出す。

 振りかぶった俺を見てその意図を察したのか、柏木が悲痛な叫びを上げた。

「やめてくれ! 晴人に、その子に手を出すな!」


 俺は彼の制止を無視し、司令塔の人形めがけてその金属製のぜんまい巻きを全力で投げつけた。

 体制を崩しながらの投擲だったが、ぜんまい巻きはまるで意思を持ったかのように、吸い込まれるようにして寸分の狂いもなく人形の胸へと突き刺さった。


 張り詰めた空間に、ガラスが砕けるような澄んだ音が響き渡る。

 「晴人」のドールに、亀裂が走った。


 その瞬間、あれほど激しく襲いかかってきていた人形たちの動きが一斉にぴたりと止まり、糸の切れた操り人形そのままに倒れ、崩れていった。

 後には、静寂と、破壊された無数の人形の残骸。

 そして愛する「息子」を失った、老人の嗚咽だけが残された。


 柏木は砕け散ったビスクドールの元へと這い寄り、その陶器の破片を震える手でかき集め始めた。

「晴人…わたしの、はると……!」

 老人が残骸を胸に抱く中、地鳴りのような低い音がダンジョン全体を揺るがし始めた。天井から、パラパラと砂が落ちてくる。


(……まずい。主を失ったことで、このダンジョンそのもののが不安定になっている……!)

「柏木さん! もうここは崩れます! 逃げましょう!」

 俺は彼の腕を掴んで立たせようとする。だが、彼はまるで子供のように駄々をこねて、その場から動こうとしない。

「いやだっ! わたしは晴人の傍にいるんだっ!!」

 その絶叫に呼応したのだろうか。天井に亀裂が走り、巨大な岩塊が剥離して俺たちを目がけて落ちてくる。


「危ないっ!!」

 思考するより早く、俺は柏木の身体を突き飛ばす。

 直後、轟音。俺たちが先ほどまでいた場所に岩が落下して床を砕き、そして老人がかき集めようとしていた晴人の破片を無慈悲に粉微塵にしていた。

「あ、ああっ……!」

 粉塵の舞う中、なおも瓦礫へと這い寄ろうとする柏木の腕を、俺は強く掴んで引き留める。

 俺は一瞬だけ躊躇した後、瓦礫の脇に奇跡的に残っていた人形の顔の半分だけの破片を拾い上げ、それを柏木の腕の中に押し込んだ。

「これだけです! 行きますよ!」

 俺は人形の破片を赤子のように抱きしめる老人を無理やり肩に担ぎ上げると、崩壊を始めた王国の中を入り口に向かって全力で疾走した。


 背後で棚が倒れ、人形たちが瓦礫に飲み込まれていく。

 俺たちが大樹のうろから転がり出ると同時に、入り口だったはずの空洞は土煙を吐き出しながらひとりでに塞がってしまった。後には、ただの何の変哲もない大樹が残るだけ。呪われたダンジョンは永遠に閉ざされたのだ。


 俺は肩から柏木を下ろす。彼は腕の中の人形の破片を抱きしめ、ただ嗚咽を漏らし続けていた。

 一転して、森は穏やかな静寂に包まれている。先ほどまで感じていたあの不気味な気配は、もうどこにもない。


 ……今まで見てきたダンジョンとは、あまりに異質だった。あれは、一体なんだったのだろう…。

 スマートフォンで警察に要請を行った後、呆けたように晴人の欠片を見つめる柏木老人の横で俺はただ、二度と踏み入れることはできない、固く閉ざされた玩具の王国のことを考えていた。

 今回の事件は脱税というにはあまりに歪で、そして悲しすぎた。



 ◇



 翌日、俺は本部の執務室で神崎統括官に報告書を提出していた。

 報告書の上では、あの森で起きた全ての出来事は「私有地におけるダンジョン発生および住人の精神汚染」という、無機質な文字列に集約される。文字にしてしまえば、あれほどの悲劇もただの「一件のインシデント」として扱われていくだけなのだ。


「――以上が、現地での経緯です」

 書類の最後にサインをして差し出すと、神崎統括官は無言でそれを受け取った。

「ご苦労だったわ、蓮見。……けれど」

「けれど?」

「あなたの報告書には、『ダンジョンによる精神汚染』とある。しかし技術班の調査結果は違うの。一部回収できた人形の残骸からは、一切の魔力反応が検出されなかった。ただの陶器、ただのブリキよ」


 俺は思わず息をのんだ。

 あれほどの超常現象を引き起こしたものが、ただの玩具だったというのか。


「……つまり、証拠は残っていない」

「そう。記録と証言だけが真実。でも世間に公表されることはないわ」


 その事実は、俺の胸に重くのしかかった。

 あれは本当にダンジョンの仕業だったのか。俺が破壊したものは、本当に悪しき存在だったのか。それとも――哀れな父親の幻想を、俺が無理やり断ち切ってしまっただけなのか。


 報告を終え廊下を出ても、その問いは心の奥底で燻り続けていた。



 数日後、俺は再びあの住宅街を訪れていた。

 鈴木さんに礼を言うためだ。彼女は相変わらず庭に水を撒いていて、俺の姿を見ると驚いたように目を丸くした。


「まあ、また来てくださったのね」

「ええ。……お預かりした品は、無事に柏木さんへ渡せました」


 俺がそう告げると、彼女は胸に手を当てて安堵の息を吐いた。

「そう……。よかった。本当に、よかったわ」


 彼女の安堵した顔を見て、俺は一瞬、あの崩壊の瞬間を思い出していた。


 ――地響きが轟き天井から瓦礫が降り注ぐ中、砕けた人形の破片をかき集めようとしていた柏木の足元、瓦礫の中にあのぜんまい巻きが鈍い光を放っているのが見えた。俺は老人を肩に担ぎ上げると同時に床に落ちていたぜんまい巻きを素早く拾い上げ、ジャケットの内ポケットにねじ込んだ。その直後、俺たちがいた場所に、巨大な岩盤が落下した――。


 俺はポケットの中に今もあるあの冷たい金属の感触を思い出しながら、心の中で小さく謝罪した。まだ柏木は面会謝絶の身で、これを渡すことは叶っていない。だが、この心優しい女性にこれ以上心配をかけるわけにはいかなかった。


 なんと答えるべきか、俺は言葉を探した。あの顛末をどう説明すべきか迷ったが、結局ありのままを語ることはできなかった。ただ「柏木さんは晴人さんの形見を大事そうに受け取ってくれた」とだけ告げた。

 すると彼女は、静かに微笑んで言った。

「なら、もう大丈夫ね。……晴人ちゃんが抱えていた気がかりも、きっと、これで消えたことでしょうね」


 その言葉に、俺の胸を締めつけていた重石が少しだけ軽くなった気がし、肩に入っていた力が抜けていく。

 彼女に別れを告げ、帰り道を歩きながら俺は一連の出来事を反芻していた。


 俺をダンジョンへと導いた、あの異様な人形たちの道しるべ。

 絶体絶命の状況で、俺が司令塔を破壊するために使った息子の形見。

 そして、鈴木さんの最後の言葉。


 ――やはり、そうだったのかもしれないな。

 あのビスクドールに囚われていた本当の晴人さんの魂が、邪悪なダンジョンの意志に囚われた父親を解放するために、俺を呼び寄せたのだ。



 柏木が面会できる程度には回復したと聞いた俺は病院の個室を訪れていた。白いカーテンの向こうに横たわる柏木倫太郎は点滴に繋がれ、やせ細った身体を小刻みに震わせていた。医師によれば肉体的には大きな外傷はないが、精神の損耗が激しいという。


 老人は虚ろな目を開け、うわ言のように呟いていた。

「……晴人……。もう、行かないでくれ……。わたしを、一人にしないで……」


 その声は子を求める父の叫びそのものだった。

 俺は迷わず懐からあの「ぜんまい巻き」を取り出した。鈴木さんから託され、数奇な運命を経てなお俺の手元に残っていたそれを。


 そっと枕元に置く。

 老人の目が、かすかにその金属の輝きを捉えた。何かを思い出すようにじっくりと眺めていた老人の、乾いた唇が微かに笑みに歪む。


「……晴人。……戻ってきて、くれたのか」


 その表情は、俺があの暗い王国で見たどんな場面よりも穏やかだった。

 涙を滲ませながら眠りに落ちていく老人の横で、俺は静かに目を閉じる。


 ――これでいい。

 晴人さんの魂、そして柏木老人の魂も、これで本当に、安らかになるだろう。


 俺は白いカーテン越しに差し込む夕陽を見上げながら、深く息を吐いた。

 悪を断ち切るのが俺の役目だ。だがこの一件だけは、果たして何を斬ったのか。

 それでも確かに、ひとつの哀しみは終わりを迎えたのだ。








(第六話 了)

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