第4話 MEMORIES OF LEMONADE

「お母さん!喉乾いたー!」


 まだあどけない少年が、葉っぱだらけの頭でフロアに入ってきた。私の息子、ピーターだ。


「あらあら、ピーター!そんなに葉っぱをつけて…どこで遊んでたの?」


 私は苦笑しながら、息子の頭についた葉を取っていく。


「うんとね、フィーが垣根に隠れてたの!だから僕も潜ったんだけど——」


 フィーとは、我が家で飼っている犬のことである。


「もう、なぜそこで潜るのかしら?あなたは犬じゃないのよ」


 ピーターの服についた葉も取ろうとするが、いかんせん、スエードのズボンについた葉はなかなか取れそうにない。


「メリサ、この子、着替えさせてくれるかしら」


 私は近くを通った家政婦を呼んだ。


「あらあら坊っちゃま!また垣根で遊んでいらっしゃったのですか?」


 メリサは相好を崩し、私たちのところにやってきた。メリサは我が家の家政婦で、もう長いこと働いてくれている。私が小さかった頃は若かったが、今はもう、すっかり年配の女性となっている。


「さあ、坊っちゃま、お部屋へ参りましょう」


 メリサが息子の手を引いて階段を上っていく。その後ろ姿を見送りながら、私はふふっと笑った。


「仕方ないわね、今日もレモネードを作ってあげましょう」


 ピーターはレモネードが好きだ。「お母さんのが一番おいしい!」 と、屈託のない笑顔でそう言う。私はキッチンに向かい、レモネードの用意を始めた。


 レモンを手に取り、薄くスライスしていく。すると爽やかな香りがキッチン全体に広がる。瓶にレモンと砂糖をたっぷりいれて、常温でしばらくおく。少ししたら瓶を何度かひっくり返す。それを何度か繰り返すと完成だ。ガラスに氷を入れて、レモネードの原液を入れ、最後に水を注ぐ。
小さなグラスに注がれた黄色い液体は、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。


「ああ、いい香り……」



 ふと昔のことを思い出す。ピーターがもっと小さかった頃、初めてレモネードを口にした時の、あの満面の笑顔。それを思い出すと、胸の奥にぽっと温かいものが広がる。それ以来、ピーターはレモネードが大好きだ。


 メリサがピーターを連れて戻ってきた。



「坊っちゃま、お母様のレモネードが出来上がりましたよ」



 その言葉に、ピーターの嬉しそうな声が返ってくる。



「わーい!お母さん、ありがとう!」


 ピーターはパタパタとキッチンに駆け込んできたかと思いきや、テーブルの椅子に飛び乗る。


「こらこら、危ないですよ。お行儀良くね」


 私はグラスを手に、息子のもとへ運ぶ。



「はい、今日は甘めに作ったわ」



 ピーターは笑顔で受け取り、ゴクゴクと飲み干す。



「うん!やっぱりお母さんのが一番おいしい!」


 それから数年が経った。もう小さな男の子ではなくなった息子を、私は駅のホームでじっと見つめる。夏の陽が高く昇る朝、列車の蒸気が白く立ち上る。周囲には軍服姿の若者たちと、その家族。胸に緊張と不安を抱えた親たちのざわめきが、ホームに淡く広がっていた。


 ピーターも軍服姿で、肩に重そうな鞄を背負っている。まだ少年の面影が残る顔に、決意の光が宿っていた。


「母さん……行ってきます」
 


 少し声を震わせながらも、彼はしっかりと私を見つめた。


 私は微笑もうと努めた。——笑顔を見せれば、彼も少しは安心するかもしれない。



「うん、行ってらっしゃい、ピーター」



 大きくなった手を握ると、指先に震えが伝わってくる。


「無事に帰ってきてね。愛してるわ」



 声がかすれ、胸の奥がぎゅっと痛む。言葉にできない私の思いは届いているだろうか。


 ピーターは私の手をぎゅっと握り返し、そして汽車のドアに向かって歩き出す。蒸気の匂いと軋む車輪の音が、心を締め付ける。彼からは昨日までのあどけなさは消え、少し大人びた背中になっていた。


 振り返った彼の瞳に、ほんの一瞬、柔らかな光が宿った。



「お母さん、帰ったら、レモネード、忘れないでね」
小さな声で彼は言った。


 その言葉に、私は胸が詰まる思いで応える。



「もちろんよ、ピーター」


 汽車の汽笛が遠くで鳴り、車両がゆっくりと動き出す。私はホームの端に立ち、ピーターの姿が遠ざかるのを見送った。

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