第十章:帰還
視界を包んでいた白と青の光が、ゆっくりと薄れていく。
耳に残っていた薪のはぜる音も遠ざかり、代わりに蝉の声と夜風の匂いが戻ってきた。
静馬は硬い土の感触に気づき、ゆっくりと目を開けた。
そこは——竹林の入口だった。
足元には夏芽と狩野が倒れており、二人ともかすかに息をしている。
腕の中には、澪がいた。
七歳の姿のまま、目を閉じて静かに眠っている。
体温はあたたかく、脈もある。
「……帰ってきたんだ」
呟いた瞬間、胸の奥に張り詰めていた何かがほどけ、力が抜けた。
けれど、周囲の空気はあまりにも静かだった。
夜の町は音を失い、家々は戸を固く閉ざし、灯りすら漏れていない。
遠くで犬が一声だけ吠え、それもすぐに途絶えた。
夏芽が目を覚まし、澪を見て息を呑む。
「……本当に、連れ戻したのね」
狩野もゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。
「だが……何かがおかしい」
竹林の奥から、ひときわ強い夜風が吹き抜けた。
その風は生温く、湿っていて、どこか血と灰の匂いが混じっていた。
混じるように——「パチ……パチ……」と、あの音がかすかに届いた。
静馬は澪を抱き直し、ゆっくりと歩き出した。
その足取りは重く、肩には戦いの疲労だけでなく、見えない何かの重さがのしかかっていた。
夜道の両脇に並ぶ家々の窓は、暗いまま微動だにしない。
まるで町全体が、八幡様の息を潜めているかのようだった。
やっとのことで荒川家の門前にたどり着いたとき、庭先の柿の木が音もなく実を落とした。
熟した果実が地面で潰れ、甘い香りがふわりと広がる——しかし、その香りの奥に焦げた匂いが混ざっていた。
澪がゆっくりとまぶたを開けた。
「お兄ちゃん……また、来るよ」
その声は幼い澪のものだったが、瞳の奥に青白い光が一瞬だけ灯った。
静馬は息を呑み、握っていた短刀を無意識に強く握りしめた。
刃はまだ熱を帯びており、かすかに震えていた。
夏芽がその様子を見つめ、小さく首を振った。
「これで終わったなんて……思わないほうがいい」
狩野は無言で煙草を取り出し、火をつけた。
炎が一瞬揺れたように見え、そのまま静かに吸い込まれていった。
夜空には雲が流れ、月が姿を現す。
しかしその月の周囲に、かすかな炎の輪がゆらゆらと揺れている。
その光景は美しくも不吉で、まるで天そのものが薪となって燃えているようだった。
静馬は澪を抱きしめ、目を閉じた。
彼の耳には、もう一度、あの薪の音が聞こえていた。
——パチ……パチ……と。
そして心の奥底で、確信にも似た予感が芽生えていた。
この戦いはまだ終わっていない。
八幡様は、きっと再び——。
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