第7話
緊張で口の中が渇く。腕の震えを止めるため、指が痛くなるほどに力を込めて鞘を強く握りしめた。
幸い、裏口に鍵はかかっていなかった。こんな倉庫、誰もちゃんと管理してないんだろう。
フェルが〈魔法の矢〉で木箱の上に座っている男を突き落とす。僕はそれに合わせて、もう一人を背後から殴り倒す。そういう手筈だ。
タイミングを合わせて、向こうが気を取られた瞬間に殴る。
大丈夫、簡単なことだ。
音を出さないように慎重に動き、事前に打ち合わせた定位置についた。フェルは……天窓からこちらを見ている。僕は配置についたことを合図するため、フェルにだけ見えるよう軽く手を振った。
ゆっくりと、深く呼吸する。僕の動きに合わせるかのように、時間をかけて頬を汗が伝う。男たちに気付かれないように身を潜め、フェルが動くのをじっと待つ。
男の一人が笑い声をあげ、踵で木箱を蹴った。木箱の上に座っているほうだろう。会話の内容はあまりきちんと聞き取れないけれど、どうも賭けで誰かをカモにして儲けたようだ。男たちの下品さには辟易するものの、同時に気付かれる心配はなさそうで安堵する。
天窓の隙間からフェルが身を乗り出し――小柄な影が、音もなく宙を跳んだ。
同時に首輪が光を放つ。以前、僕を木箱の下敷きにした時と同じだ。
椅子に座っていた男が慌てて立ち上がるが、仲間に警告するには遅すぎる。木箱の上に座った男が振り返るよりも早く、後頭部を弾かれて背中から反るようにして宙へ跳ね落ちた。
〈魔法の矢〉独特の軽い衝撃音、それが聞こえるよりも早く僕は駆けだしていた。動こうと思うよりも前に体が動いていたような気がする。そのまま、剣を鞘ごと振り上げて男の背中目掛けてあらん限りの力で叩きつけた。
直前に男が動き、剣は狙いを逸れて肩を打つ。衝撃が腕から伝わって脳が揺れる。まずい――そう思った瞬間には遅かった。
男は呻き声を上げながらも腕を振り回し僕の腕を弾く。バランスを失った剣が横に積まれていた木箱にぶつかり派手な音をたてた。
横目にこちらの姿を見ながら転倒し、地面に背を打ち付けて驚愕に目を見開く。
叫ばれると思ったが、それよりも早く男の真横にあった木箱の側面が大きく抉れた。
「声を出すな」
早口で簡潔に、警告を発したのはフェルだった。爪が微かに光を帯び、それは〈武器強化〉と同じ魔力で強化された武器と同じ特徴だ。
男は額に脂汗を浮かべながら、恐怖に引き攣った顔で何度も頷いた。
フェルが抉った木箱は、刃物で斬ったように表面だけが裂けている。
胸や喉に入れば十分に致命傷だ。猫の爪でこれほど――しかも間合いまで伸びるなんて。
これが〈爪〉の魔術なのか。
「鍵を探せ」
フェルに言われて、はっと我に返る。そうだ、ぼけっとしてる場合じゃなかった。
なんとか声は上げさせずに済んだけど、早く事を済ませないといけないんだ。
木箱から落とされた男が動かないことを確認する。打ちどころが良かったのか悪かったのか綺麗に気絶している。服のポケットを漁りながら脈を確認してみたが、死んではいない。
もう一人は、フェルに脅されて動けずにいる。一人目の確認を終え、今度はそちらを確認しようと立ち上がったところだった。
フェルの耳がぴくりと動いた直後、裏口の扉が派手な音をたてながら開き、鋭い視線が僕を捉える。咄嗟に身を隠した木箱の縁が弾け、木屑が宙を舞う。
独特の軽い衝撃音が続けざまに左右と頭上、三方向から僕を取り囲むように響く。〈魔法の矢〉を同時に三発。しかもかなりの精度だった。
裏口から入ってきた三人目の男。入る前から僕たちに気付いて準備をしていたのか、それとも咄嗟のことなのかはわからないけれど、どちらにしても先に倒した二人とは違うようだ。
男の指輪が光っている。あれが〈魔法の矢〉の術式だろう。身を隠しそびれ動けずにいる僕にその指を向け、容赦なく威圧してくる。
「見張りもろくに出来ねぇのかよ。何かと思えばガキじゃねぇか」
再び静寂を取り戻した倉庫内に、男の舌打ちが不自然なほどに響く。
一か八か、剣で籠を壊してみようか……けれど失敗したら終わりだし、中の猫を怪我させるかもしれない。
フェルと連携して男を倒すべきか?
この男の実力は未知数だ。少なくともただのチンピラって感じではないけれど、僕たちで敵うのかどうかわからないし、出会ったばかりのフェルと相談なしに連携を取れる自信もない。
一度逃げるべきだろうか?
いや、それは絶対にダメだ。コイツらが猫を処分しようとする可能性もある。
僕が迷って動けずにいると、視界の端で黒い影が動いた。
素早く、一切の音もなく、フェルは倉庫の暗がりを移動して男に飛び掛かり爪を振り下ろす――が、それよりも僅かに早く、男とフェルの間に〈盾〉が展開され、〈爪〉が弾かれる音が響いた。
ほとんど同時に、フェルの身体が弾き飛ばされて倉庫の壁へと叩きつけられる。男の長い脚が、フェルの小さな体へと叩きつけられていた。
「フェル!」
声をあげながら、僕は咄嗟に駆けだしていた。剣を鞘から抜き、明確な殺意を持って目の前の男へと振り下ろす。
加減するとこっちが殺られる。それに、フェルたちを守り切れない。
手を抜くことはできない。自分がそこまで即断して動けたことに戸惑いを感じつつも、動きには一切の躊躇いがなかった。
斬りかかりながら、僕は〈武器強化〉を発動していた。武器が淡い光を帯び、これで男の〈盾〉は無力化できるはずだった。
実際には、男は〈盾〉を使わなかった。僅かに体を揺らしただけで剣を躱し、僕は続けざまに二撃目を入れようと腕を振るう――が、重みを感じない。
――あれ?
剣を握っていたはずの手には何も持っていなかった。その認識から少し遅れて、金属が地面に落ちる甲高い音が響く。
男の腕が僕の体から引き抜かれ、その手に握られたナイフから赤い液体が滴り落ちる。
刺されたことに気付くまで時間がかかった。力が抜けて膝が地面にぶつかり、そのままお腹を抑えながら地面に倒れ込む。遅れて、痛みを自覚すると共に剣を落としたのだと気付いた。
視界の端で、フェルが微かに身じろぎしたのが見えた。良かった、まだ生きてるみたいだ。
それを認識した直後、視界が暗くなって――もう何も見えない。
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