第9話 氷のようで氷ではないもの
僕と君が僕の部屋でゲームをしているとき、たまに母さんがクッキーを持ってきてくれただろう? 半月に一度、バケツぐらいの容器で買ってきてしまうほどに、母さんはそのお店のクッキーがお気に入りなんだ。そのお気に入りのクッキーを僕の友だちに「おやつにどうぞ」と言って出してくれていたから、君も相当、母さんに気に入られていたのだと思う。
「おー、だぶりゅー、える」
「オウル。つまり、フクロウですね」
「さすが。元英語部」
「このぐらいは、誰でも読めますよ」
「ウチは読めんかった」
「宮下さんの英語力が心配です」
「フクロウのキーホルダーに、フクロウという名前のケーキ屋。共通点やね」
「矢作くんは『売りつけられた』と言ってましたね。ケーキを買う目的でケーキ屋に来たら、キーホルダーを買わされた、ってことなんでしょうか?」
キーホルダーは店頭に並んでいなかった。ケーキ以外のものは、お祝いのときに使うローソクや、名前を書いてもらうプレートぐらいしか見えない。まだこのキーホルダーがこの店のものとは断定できないが、矢作くんからの情報であったり、店名だったり、全くの無関係とも言い切れなさそうではある。外からでは何もわからない。
「せやなあ……ま、入って聞いてみよか」
ここで三人で考えていても仕方ないか。考えるより、店員さんに聞いたほうが早い。僕はうなずいて、宮下さんの後ろに続こうとした。
「ん?」
一台のトラックが駐車場に停まって、僕の足も止まる。若い男性のトラック運転手は「よっと」と運転席から降りて、素早い動きでトラックの後方に移動し、荷台の扉を開けた。開けた瞬間に、冷気が外に逃げ出す様子が見られる。
「どしたん?」
「なんだろう、と思って」
「納品やろ。コンビニと同じやね。ウチの働いているところは、アイスは週三回、夜の十時納品やな」
「聞いてきていい?」
「かまわんけど」
働いている宮下さんには見慣れた光景なのだろう。理由は上手く説明できないのだが、ちょっとした違和感があった。この違和感を拭い去らなければ先には進めない。僕は宮下さんから離れて、トラックに近付く。
「お仕事中すみません」
「よいしょっと」
こちらに気付いているのかいないのか、運転手はトラックの下部から台車を勢いよく引き抜いた。ここにあるのか。台車は冷やしておく必要がないからかな。
「これって、何を運んでいるんですか?」
「え? ああ。うちは、ドライアイスの業者で」
仕事中に人から話しかけられることが少ないのだろう。運転手は驚きつつも、きちんと答えてくれた。僕もこの違和感を感じなければ、話しかけなかったと思う。ちらりと見えた扉の向こう側には、まだたくさんの発泡スチロールの箱が積み上がっていた。この店が最後ではなく、次の場所にも運ばなければならない。
「ありがとうございます。邪魔をしてしまって、ごめんなさい」
運転手は首だけでおじぎをして、台車を押しながら足早に店内へ入っていく。ドアが開くと、ちりんちりんと呼び鈴が鳴った。僕の母さんと同世代ぐらいのおばさんが奥から出てくる。
「なんやった?」
台車と運転手を通すべくドアの前から離れた宮下さんは、僕に問いかける。気になって聞いているというよりは、ただの確認のようなニュアンスだ。
「ドライアイスだそうです」
「ほーん。あの、水かけると白い煙が出るやつやっけ?」
「はい。家まで食品を持ち帰る際に、中身が悪くならないように食品と同じ箱に入れるものではあるんですが」
「合ってた」
「最近だと、ケーキなら、保冷剤を入れることが多い気がします。ドライアイスって、マイナス78度ぐらいなんですけど……ほら、ケーキはアイスと違って、持ち運んでいても溶けませんし。保冷剤で十分だと思うんですよ。うっかり触ると凍傷になっちゃうので、取り扱いにも注意が必要ですし」
「詳しいんやね」
「このぐらいは、一般常識の範囲ですよ」
「せやろか?」
僕はそうだと思う。君なら同意してくれそうだ。
家族の誕生日を祝うケーキは、母さんのお気に入りのケーキ屋のショートケーキと決まっていた。毎年変わらない。母さんとふたりで父さんのケーキを買いに行ったのが先月の話。
宮下さんは、常識知らずなところがちらほらあって、たまに会話が噛み合わない。これまでどんな人生を送ってきたんだろう。
「この店がたまたまドライアイス派なだけやないの?」
「保冷剤を用意するほうが、店としても安上がりだと思います。おそらく」
「そうなんか。ドライアイスって、原材料は何やの?」
「二酸化炭素です」
「気体のほうが高いん?」
値段を聞かれると、僕にはわからない。さっきの運転手は、店内で店員さんとしゃべっているようだ。
「値段は、売っている人に聞いたほうが……」
「そかそか。ま、ウチらはドライアイスを調べに来たんやなくて、このキーホルダーの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます