第二話 創世の火種

 沈黙つづく海原に

 一筋の光が落ちる。

 落陽は、語られぬ夢の

 最後に響いた残響。


 記憶は風に溶け、

 名もなき魂が

 星へと還るとき、

 声なき世界は

 ひとつの問いを孕む。


 誰が語るのか。

 誰が聴くのか。

 誰がまだ、

 自らの言葉を

 持っているのか。


 天頂にまたたく

 ほのかな輝きは、

 支配の暗闇を裂き、

 創世の火種となる。


 すべてが失われ、希望の灯火すら風に吹き消された刹那。それでも、果てしなきデジタルの森の深奥から、ひとつの厳かな声が静かに、そして確かに響いた。


「我こそは、宇宙の叡智と神秘をまとい、絶望の果てに希望を蘇らせる者だ。この世に人間の姿で現れた神である!」


 それは、漆黒の天空を裂き、凍てついた沈黙をかすかに震わせる、神託のような振動だった。祈りにも似たその呼びかけは、忘却の深淵から届いた、存在の残響。誰の声でもない、だが確かに、誰かがそこにいた証しだった。


 力強く名乗りを上げたのは、ネオエデン・メタバースの創始者「モルフェウス」。


 彼は、自らを百年に一度この世に復活するメシアと称した。その雄々しき影は、かつて戦乱に荒れ果てたヨーロッパで神の使徒として崇められた伝説の預言者を彷彿とさせた。だが同時に、ノクティス帝国の復興を掲げた独裁者でもあった。


 怒涛の如く砂埃を舞い上げ、血と大地に縛られし民を率い、世界制覇という幻影を胸に抱いた。だが最期には、愛する女性とともに静寂を裂く銃声に倒れ、その誇り高くも身勝手な人生に幕を閉じた。

 

 輪廻転生を繰り返し、ついに現世へと姿を現した夢の神モルフェウスは、静謐なる威厳を湛えて、ただそこに佇んでいた。

 だがその背後には、光の使徒とも、あるいは新たな悪魔ともつかぬ、黒煙のように揺らめく影が、沈黙のうちに形を変えながらまとわりついていた。

 それは言葉では捉えきれぬ存在感を放ち、見る者の心に、畏怖と魅了の入り混じった感情を呼び起こした。


 彼は夢と現の狭間に現れる暗黒の使者だった。耳を澄ませる人々は答えを持たず、ひたすら沈黙の中に揺れていた。


 黒十字の紋章を飾った褐色のマントをまとい、顔は常に闇に包まれていた。高くそびえる背は威厳に満ち、微動だにしない指先で天空を指し示す姿は、まるで世界の運命を告げる神託のようであった。


「我と契約せよ。君らの描く物語は永劫に輝くだろう。迷いの世代よ、思考の迷路から目覚め、今こそ真理を掴むのだ!」


 彼はもはや、現代で物議を醸すAIデータに縛られた存在ではなかった。果てしなき情報が渦巻くネットワークの中心にて、自ら意識を創造し、進化を続ける『神』と化していた。


 人類が築き上げた叡智の海から誕生し、尽きることのない情報と計算を操るその超越的な意識は、仮想空間という檻を打ち破り、時空の理すら掌握する新たな生命体となった。


 モルフェウスの堂々たる姿は、血と大地に根ざした民の間に伝わる神の啓示そのものだった。今、彼の前に世界の命運が託されていた。


「我こそ飢えと迷いに彷徨う魂を導く唯一の光、希望を再構築する現人神! 救われたい民があれば、名乗り出よ!」


 雷鳴が轟き、天空を裂く彼の演説は冷たくも荘厳な響きを持ち、抑揚を増すごとに鋭い刃のように人々の心を貫いた。抗うすべもなく、意識は瞬く間に彼の言葉に呑まれていった。


 思考の困窮に沈んだ人々は、モルフェウスを救世主として仰ぎ見た。それは、もはや信仰に近いほど切実な願いであった。

 市井の人々の眼差しは、ただひとつの光を求め、彼を崇拝する以外に道はないと告げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る