大きな小人と小さな巨人
蒼月 遼介
プロローグ 均衡の神話
世界は、天秤の上にあった。
山ほどの歩幅で大地を渡る巨人の国。
木の根の隙間を街道のごとく駆ける小人の国。
その狭間に橋と塔を積み上げる人間の国。
誰もが自分の「正しい大きさ」を守って、うまくやってきた――はずだった。
「おい、聞いたか。境の森で“逆さの者”を見たって」
夜、焚き火のきしむ音にまぎれて、小さな酒場にざわめきが走る。
「また昔話か? “でっかい小人”と“ちっちゃい巨人”? 冗談きついぜ」
「冗談じゃねえ。木の幹みてぇな腕の影と、子どもみたいに軽い足音が同時にしたんだと」
「同時に……? どんな足取りだよ」
笑い声。肩をすくめる仕草。けれど、店の隅で黙っていた年寄りだけは笑わなかった。
「神話がある」
ひび割れた声。
「“逆さの者が並び立つ時、秤(はかり)は傾き、世界は新たに測られる”。縮尺の神(しゅくしゃくのかみ)がそう言い残したと、わしの祖父が――いや、もっと古くから語り継がれとる」
「へえ、じゃあ、その“逆さの者”ってのが現れたら世界はひっくり返るのかよ」
「ひっくり返る、とは違う」年寄りは焚き火を見た。「“測り直される”のだ。大きさで決めてきた秩序も、強さの物差しも、全部だ」
ぱち、と焚き火が弾け、火の粉が夜空に散った。
◇
同じ夜、境の森。
霧は薄く、月は蒼い。梢の間で風がため息をつく。
「……ごめんよ」
巨木の根元に、影がうずくまっていた。
ひと息で男の背丈ほども倒れてしまう枝を、指先でそっと起こす。
影――いや、「小人の国」に生まれた青年、リオは、いつもこうして森に謝っていた。
手を伸ばせば枝が折れ、足を寄せれば苔がめり込む。自分が歩いたあとには、必ずなにかが壊れる。
「もっと小さくなれたらな」
リオは膝を抱え、背をちぢめる。三メートル近い体は、どれだけ丸めても“ただの小人”にはならなかった。
そのとき――
「……あの、すみません。道に迷ってしまって」
木の間から、控えめな声が降ってきた。
月に縁どられた影は、驚くほど小さかった。いや、小さいのは巨人にしては、だ。
肩までの髪、外套をぎゅっと掴む手。背丈は人間の娘ほど――巨人の国の者にしては、あまりにも。
「あなた、巨人族……?」
「はい。あ、いえ、その……“いちおう”は。ミーナと言います」
ミーナはぺこりと頭を下げる。その仕草まで小さくて、リオは思わず目を瞬いた。
「ぼ、僕はリオ。小人の……“はず”」
二人は顔を見合わせ、同時に苦笑いをした。
大きすぎる小人と、小さすぎる巨人。
どちらも「自分の国の物差し」からこぼれ落ちていた。
「おかしいですよね。私、力仕事はからきしで……でも、人の重さは少しわかるんです」
「重さ?」
「心に何か、乗っかってると、足音が変わるんです。あなたの足音、やさしいのに重い」
ミーナは月を見上げた。「ずっと、そんな音で歩いてきたんでしょう?」
リオは胸の奥がちくりとするのを感じた。
誰かに“見つけられた”のは、初めてだった。
風が止まる。森の息が、ひと拍だけ遅れる。
――その瞬間。
地面の下から、低い鐘の音が広がった。
見えない波が足首を撫で、木々の葉脈を駆け上がる。
苔の間から、淡い紋様が浮かび上がった。円。線。古い文字。
「な、なにこれ」
「神殿跡だ……」リオは息を呑む。「村の長老が言ってた。境の森には、昔の“秤”が眠ってるって」
紋様は二人の足元でぴたりと止まり、ゆっくりと天秤の形を結ぶ。
左の皿には、針葉樹の影が。右の皿には、遠い山稜の線が。
皿の中心――二人の足が、同じ光の輪に重なった。
「……あの」ミーナが小さく笑う。「いま、わたしたち、針を動かしちゃった、のかも」
「動かしたのは僕じゃない。君だよ」
「いえ、あなたです」
言い合って、また二人は笑った。その笑い声が重なったとき、天秤の針が、かすかに震えた。
森が、聞いている。
世界が、測り直しを始める。
「――退け。均衡を乱す“異端”がいる」
冷たい声が霧を裂いた。
黒衣の影が、木々の間から現れる。胸元には秤の紋章。
「“均衡の秤(きんこうのはかり)”……」リオがつぶやく。
教団の追手。世界のサイズを守る番人たち。
「すみません、リオさん」ミーナが肩をすくめる。「迷ってる場合じゃなくなりました」
「うん。僕、少しは役に立てるかもしれない」
リオはそっと立ち上がる。巨木もたじろぐ影が、月に伸びる。
ミーナは掌を森に向けた。風の流れを読み、逃げ道を描く。
「右の茂み、五歩先で地面が柔らかい。そこ、音が吸われます」
「任せて」
黒衣たちが刃を抜く。
天秤の紋様が最後にひときわ明るく瞬き、すっと消えた。
大きすぎる小人と、小さすぎる巨人。
二人が並び立っただけで、針は震える。
その震えは、まだ誰も知らない。
――神話は寓話ではない。
これは、秤が傾き始めた夜の物語。
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