第18話

町の衛兵隊からの正式な要請を受け、私の店とギルド、そして町の診療所は、三者間で協定を結んだ。

『聖銀の雫』は、その希少性と重要性から、町の厳重な管理下に置かれる戦略物資として扱われる。

生産された『聖銀の雫』は、全てギルドが買い上げて、町の防衛と医療のために最優先で供給されることになったのだ。

この協定は、私の店に、これ以上ないほど強力な公的な裏付けを与えてくれた。

私の事業は、もはや一個人の商店ではない。

フロンティアの町の、未来を左右する公的な機関へと、その姿を変えつつあった。


アルノー商会による、衛生局を騙った妨害行為も、この協定が結ばれたことで完全に意味をなさなくなった。

町の公式な医療品に対して、王都の機関が疑問を唱えることは、フロンティアの自治権への明確な侵害行為となる。

彼らは、大義名分を完全に失ったのだ。

私はようやく訪れた平穏な日々に、心の底から安堵していた。

ミーナさんとアンナさんと共に、店の経営に集中できる。

お客様の笑顔に、毎日触れることができる。

そんな当たり前の日常が、何よりも尊く感じられた。


だが、敵は決して諦めてはいなかった。

公的な揺さぶりが通用しないと悟った彼らは、より陰湿で、許しがたい手段に打って出る。

それはじわじわと、私たちの足元を蝕む、兵糧攻めという形となって現れた。


ある日のこと、いつも私の店にポーション瓶を卸す行商人が、困り果てた顔で訪ねてきた。

「エリアーナさん、申し訳ない。今月から、瓶の納入が、半分以下になってしまいそうだ」

「どうしてですの、何か、問題でも」

「それが、フロンティアへ向かう街道筋に、最近たちの悪い連中が居座るようになっちまってね。アルノー商会と名乗る連中の息がかかった、傭兵団らしいんだが」


行商人の話によると、その傭兵団は、フロンティアの町へ入る全ての商人から、法外な通行税を取り立て始めたという。

表向きの理由は、街道の安全確保だそうだ。

しかしその実態は、明らかにこの町への物資の流入を妨害するための、経済封鎖だった。

「特に、あんたの店で使うような、ガラス瓶や薬草、オイルなんかを積んでいると、しつこく嫌がらせをされるんだ。税を払っても、荷物を改めると言って、わざと商品を壊されたりしてね。これじゃあ、商売上がったりだよ」


行商人は、深いため息をついた。

彼の話は、始まりに過ぎなかった。

それから数日の間に、同様の報告が、次々と私の耳に入るようになる。

化粧品の材料となるハーブを納める農家が、畑を荒らされた。

オイルを運んでいた商人の馬車が、崖から突き落とされた。

薬草を採取しに行く冒険者が、森の中で謎の集団に襲われた。

アルノー商会の妨害は、日に日にエスカレートして、その手口は凶悪さを増していく。

彼らは、私の店の生産ラインを、根元から断ち切るつもりなのだ。


店の棚から、少しずつ商品が消えていく。

材料がなければ、私もプルンも、魔法の薬を作ることはできない。

お客様に、申し訳なさそうに頭を下げる日々が続いた。

町の経済も、目に見えて停滞し始めていた。

活気のあった市場からは、人影が減って、戸を下ろす店も出始めた。

フロンティアの町全体が、重苦しい空気感に包まれていく。


「あのクソ野郎どもめ、どこまでも汚え真似をしやがる」

ギルドの執務室で、バルトさんが机を拳で叩きつけた。

その顔は、怒りと無力感で歪んでいる。

ギルドの冒険者たちも、見回りを強化してくれている。

しかし、広大な街道の全てを、二十四時間監視することは不可能だ。

敵は、ゲリラのように、こちらの隙を突いてくる。


衛兵隊も、町の防衛で手一杯で、街道の奥深くまで手を出す余裕はない。

私たちは、じわじわと追い詰められていた。

ザック先生も、小屋の周りを何者かにうろつかれていると、警戒を強めていた。

私も、夜道を一人で歩くことは、固く禁じられた。

店の経営も、ままならない。

明るかったミーナさんとアンナさんの顔からも、笑顔が消えつつあった。

私のせいで、この町が、大切な仲間たちが、苦しんでいる。

その事実が、私の心をナイフのように切り刻んだ。

私に、もっと力があれば。

王都の権力にさえ屈しないほどの、絶対的な力が。


そんな絶望的な状況が、一週間ほど続いた、ある夜のことだった。

その日も、私は在庫の少なくなった棚を眺めて、深いため息をついていた。

店の明かりを落として、二階の工房へ上がろうとした、その時だ。

店の扉が、激しく叩かれた。


「開けろ、ギルドからの、急ぎの知らせだ」

外から聞こえてきたのは、切羽詰まった若い冒険者の声だった。

私は、慌てて扉の鍵を開ける。

そこに立っていたのは、全身ずぶ濡れになったギルドの使いだった。

彼は、肩で息をしながら、一枚の羊皮紙を私に差し出した。


「ギルドマスターからです、今すぐ、執務室へ。とんでもない方が、お見えになりました」

とんでもない方という、その言葉の意味を、私はまだ理解できなかった。

しかし、ただならぬ事態であることだけは、ひしひしと伝わってくる。

私は、ミーナさんと共に、嵐のような夜の道をギルドへと走った。


執務室の扉を開けた瞬間、私は息を呑んだ。

部屋の中の空気が、凍りついたように張り詰めている。

バルトさんやザック先生、衛兵隊の隊長までもが、まるで石になったかのように、直立不動で立ち尽くしていた。

そして、その視線の先。

部屋の中央に置かれた、客人のためのソファに、一人の騎士が座っていた。


その身にまとった銀色の鎧は、ただ美しいだけではない。

歴戦の勇士だけが持つ、圧倒的な威厳と風格を放っていた。

腰に下げた長剣の柄には、ジルベール辺境伯家の紋章が、誇らしげに輝いている。

彼は、私たちの入室に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。

その青い瞳は、磨き上げられた鋼のように鋭く、そしてどこまでも澄み切っていた。

年の頃は、まだ二十代半ばだろうか。

しかし、その身から発せられる覇気は、バルトさんをも上回っている。


「あなたが、エリアーナ殿ですかな」

落ち着いているが、腹の底に響くような、重い声だった。

私は、その圧倒的な存在感に気圧されて、声を発することもできずに、ただこくりと頷いた。

騎士は、満足そうにわずかに口元を緩めると、すっと立ち上がった。

そして、私の前まで歩み寄ると、片膝をついて、礼儀正しく一礼した。


「ジルベール辺境伯様に仕える、騎士団長、ラウル・ド・ヴァリエールと申します。我が主君の使いとして、参上いたしました」

そのあまりに丁寧な挨拶に、私はどうしていいか分からず、ただうろたえるばかりだった。

「ジルベール様より、其方への、正式な招待状を預かっております」

彼はそう言うと、懐から取り出した、辺境伯家の紋章が押された封筒を、厳かに私へと差し出した。


それは、まるで夢の中の出来事のようだった。

私が恐る恐る受け取った手紙には、私の献上品への最大級の賛辞と、私を正式な謁見に招きたいという、信じがたい内容が記されていた。


私が手紙を読み終えるのを待って、ラウル騎士団長は、静かに顔を上げた。

「エリアーナ殿、ジルベール様は、あなたにお会いになるのを、心よりお待ちです」

その言葉は、この絶望的な状況を打ち破る、天からの声のように、私の耳に響き渡った。

アルノー商会が張り巡らせた、卑劣な包囲網。

その闇を切り裂く、あまりに強大な光が、今この辺境の地に差し込もうとしていた。

私は、震える手で招待状を握りしめて、目の前にいる騎士の姿を、ただ見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る